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92.腕輪に封印した心

 万里子の引越しはひっそりと行われました。

 時期的に丁度、冬星エルの儀式と重なり、今回の儀式はヤンテ神殿で行われると発表された為に王都はその準備で大賑わいだったのです。

 専属女官の任を解かれたレニーとセシュラは、一旦それぞれの家に戻されました。最後まで万里子について行くと言って聞かなかった娘達に手を焼いた実家の両親に連れ戻されたのです。

 ヤンテの姫であり、国王の婚約者であった万里子の専属女官という地位は、貴族にとっては娘を是が非にでも就かせたい職だったでしょう。それがこんな結果となり、彼女達は今後どうなってしまうのか……万里子は申し訳なく思い、二人に自らが心を込めて染めた布を渡しました。

「マール様。これで全部ですわね」

 シアナの声にハッと我に返り、万里子は振り返りました。

 今居る部屋は、ヤンテ神殿の一室でした。

 明るいヤンテの光を沢山取り込めるように設計された最上階の部屋は、このヤンテ神殿の中でも最上級の部屋です。それでも、やはり今まで居た王妃の棟に較べるととても質素で、真っ白な清潔感のある壁はあまりにも殺風景でした。

「はい。ありがとうございます」

「それにしても……こうして見ると、マール様自身の持ち物はあまりにも少なくて……もっと色々もらって来ても宜しかったのではありませんか? 愛用のお茶道具ですとか、寝具ですとか……。欲しい物は持って行って構わないとグランデ様も仰っていたではありませんか」

「それはさすがに出来ませんよ」

 シアナの言い様に万里子は思わず苦笑します。

 万里子が出て行く事を簡単に受け入れたグランデを、シアナはまだ怒っているようです。

「あの方はお使いにはならないのですから……! あ……申し訳ありません」

 “あの方”とシアナが口を滑らせた途端に、万里子の顔色が変わりました。

 王妃の棟には、ムムカが入る事になったのです。

 万里子が王妃の棟を出て、内装をムムカの好みに変えたら正式にムムカは王妃の棟の住人になります。

わたくし、まだ信じられませんわ。陛下もそれを承認なさったなんて……!」

 それは、王としてクラムルードが下した答えでした。

「元々は私が申し出た事です。王妃が居ない王家は、また混乱を招きます。元々婚約者候補の筆頭だったムムカさんの名前が挙がるのは当然の事です」

「マールは馬鹿だよ。ほんとに馬鹿だ」

 いつの間にか扉の前にネストラードが立っていました。屋内だというのに、分厚いマントを着ています。

「ネスト……!」

「そんな馬鹿なマールだけど、マールがちゃんと自分で決めたんだろう?」

 近くまでやって来て立ち止まったネストラードは、少し屈んで万里子の目を覗き込みます。

 いつの間にか万里子を見下ろす程に成長していたネストラードは、幼さがすっかり消えていました。

「そうだよ。私が決めたの」

「じゃあ、とことんやるといい。僕がスイルの王になるだなんて馬鹿な事を一人で決めても、マールは静かに受け入れてくれた。僕も、マールの決断は受け入れる」

「……ありがとう。とうとう、行くのね」

 開いたままの扉には、最新式のイニスがあります。ネストラードもまた、この日を旅立ちの時と決めていたようでした。

「うん、行くよ。マール。これだけは忘れないで。僕達は一番の親友だよ」

「ありがとう。私も同じ気持ちだよ。ネスト、元気でね」

 ネストラードは対話の鏡に使えそうな物が欲しいと言いました。それには万里子も喜んで応じ、自分で持ってきたイニスの中を探り始めました。ふとその手元を覗きこんだネストラードは、万里子のイニスから豪華な装飾の靴が覗いているのが見えました。それは、万里子がイルーに行っている間、兄であるクラムルードの部屋にあった物と一緒です。様々な愛用の品を置いてきても、その靴だけは持って来ていたのでした。

「ええと……これはどうかな?」

 自分で染めた糸を編みこんだ腕輪を手にとって振り返ると、にこにこと嬉しそうに笑うネストラードの視線とぶつかり、万里子は不思議そうに尋ねます。

「何? どうしたの?」

「その靴。兄上の部屋にあった靴だ」

「……これ位は、持っていてもいいかなって、思って」

 思わず小さな声になった万里子から腕輪を受け取ると、ネストラードは早速自身の手首に巻きました。ネストラードの瞳と同じ淡いピンクと、淡い紫と水色を使った腕輪はネストラードによく似合っています。

「ピッタリだ」

「良かった! 実は、イディさんにね、ネストのお母さんの容姿を聞いていたの」

「……母上の?」

「そうよ。だって、お母さんの国に行ってそこで王様になるんでしょう? お母さんを感じていられたら頑張れるんじゃないかなって」

「ありがとう。すっごく、嬉しいよ。そういえば……腕輪といえば、クラムルード兄上の腕には見たことのない腕輪がはめられているよ。知ってた?」

 万里子は頷きます。万里子の腕時計は結局そのままクラムルードが持っています。返してもらうきっかけを失った事もありましたが、出来ればそのまま持っていて欲しいとも思っていました。

 重なり合った留め金を外すと一回り大きな輪になるそれは、今クラムルードの左の手首につけられています。どこに行くにも外そうとしない事から噂になり、万里子の耳にも入っておりました。

 ネストラードは万里子の頬に軽く口付けを落とすと、万里子には小さな宝石箱を渡しました。手の平に収まるその中には、様々な大きさのいびつな石が入っています。

「母上の形見なんだ。スイルのあちこちの湖で採れた宝石の原石が入ってる。母上にとっては、近くて遠い故郷を思い起こせる唯一の物だった」

「そんなに大切な物を?」

 戸惑う万里子の手を包み込み、ネストラードは更に宝石を押し付けます。

「いいんだよ。だって僕はそのスイルでこれから暮らすんだから。ここでのスイルの思い出は置いて行く。そう考えたら、これはマールに渡して行きたいって思ったんだ」

 そう言われて、万里子も頷きました。

 ネストラードはイニスを持って部屋を出て行きました。

 万里子はネストラードの言葉を噛み締めました。クラムルードが、あの時計をずっとしている……。

 クラムルードの住む宮殿と、万里子の新しい住まいとなったヤンテ神殿は同じ敷地内にあります。

 ですが、あくまでもヤンテ神殿の象徴として神殿預かりの身となった万里子は、茶会や晩餐会に招かれる事も、宮殿に行く事も無くなりクラムルードの姿を見る事は無くなりました。

 万里子は開けっ放しだったイニスの奥深くに靴を押し込めると、きちんと蓋を閉じました。

 ヤンテの姫として、クラムルードを支えると決めたのです。


 その日の夜、万里子は不思議な夢を見ました。

 万里子は真っ白な空間に立っていました。遠くからキラキラと光が見え、万里子はそちらに歩いてみる事にしました。

 近づくと、光っているのは澄み渡った湖面でした。はるか高くから明るい光が降り注いでいます。

 その光景はあまりにも美しく、万里子は見とれてしまいました。

『人間とは愚かなものよ』

 突然話し掛けられたにも関わらず、万里子は驚きませんでした。

 いつの間にか、湖面の上に美しい女性が立っています。静かな湖面に僅かに揺らぎました。

『のう? そうは思わぬか』

 その問いに、万里子は静かに首を振ります。

「そうかもしれませんが、強くもあると思います」

 美女は面白そうに、ふっと唇の端だけを上げました。

『面白い事を言う。お主の選択も、愚かだとは思わぬか』

「……どうでしょう。愚かかどうか、決めるのは私ではありません。でも、後悔はしていません」

『ふむ……泣くだけでは無くなったという事か』

 万里子はふふっと笑いました。

「人を愛し、守りたいと思ってから気付くなんて、貴方には愚かと思えるんでしょうね」

『……だが、お主のような者はまだ見ていたいと思う』

 ふと見上げた時、もう万里子は一人きりでした。

 湖面も先程の出来事が夢だったかのように穏やかです。

 

 それまで単なる器でしか無かった万里子が、身体の中に居るヤンテの神を受け入れ、依代として自分に何が出来る事なのかを考えるようになったのはその頃からでした。

 やがてそれは不安定だった気候を安定に導き、人々に闇の時代以前の日常をもたらす事となりました。




 * * *



 それから季節はひとつ、ふたつ巡りました。

 その間、季節星の儀式は九回行われ、その度に万里子は様々な場所に出かけました。

 ジェルミが新しく王となり歩き始めたガルディスや、すっかり大人っぽくなったネストラードが居るスイル。それに、スティリカが居るイルーにも、今度は船に乗って訪れました。

 それだけではありません。小さな国や街にも赴きました。

 神殿の大小に関わらず訪れては地元の民と会い、話をする事で、人々は黒髪黒目の万里子に対する偏見が無くなっていきました。

 その頃でしょうか。

 吟遊詩人が、とある王の恋の歌を歌い、広まるようになったのは――。


 『王は国の為、民の為、自分のたった一度の恋を腕輪に封印した。その娘は誰よりも美しい黒髪を持つ、神に愛されし娘』


 いつしかそれが、クラムルードの事だと囁かれるようになりました。

 国民の前に姿を見せる時も、傍らには誰もおりません。伴侶が立つべき左側はいつも空席で、その代わりその左腕にはいつも同じ腕輪がありました。

 ならば神に愛された黒髪の娘とは……? 噂はどんどん広がります。

 人々はあちこちの神殿を訪れては祈りを捧げ、地元の民と接する万里子の姿を思い浮かべました。


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