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87.還る場所

 それからしばらくして、スティリカは無機質な白い四角い部屋から運び出され、硬い乗り物に乗せられました。

 硬い乗り物には椅子が取り付けられており、狭いながらも快適な乗り心地でした。

 一体どこへ向かおうというのか……はじめは恐れもありましたが、毎日のように顔を出しては甲斐甲斐しく世話をする彼らに、スティリカは次第に心を開いておりました。

 乗り物には透明な板が取り付けられており、外の景色が望めます。かなりの速度があるようで、流れる景色はあっという間に遠ざかっていきます。スティリカが居た場所は、建物も白い大きな箱のような場所でした。

 少しすると様々な色彩が目に飛び込んできました。色とりどりの衣、髪の色も金色や茶色、灰色がちらほらと居る中、一番多いのは黒色でした。

 初めはスティリカも黒は死の色という先入観がありましたが、今ではそれがこの世界では普通の事だと知っています。何より、あの赤ん坊は美しい家族の中でも一際美しい黒い瞳と黒い髪を持っておりました。

 やがて窮屈そうに肩を並べる小さな建物の一つに連れ込まれました。途端にくつろぎ始める彼らの様子に、ここが彼らの家なのだと分かりました。それを知り、スティリカはなぜかホッとしたのです。

 スティリカは彼らの発する言葉から、徐々に日本語を覚えていきましたが、まだまだ理解するのは難しい状態です。彼らはなぜかスティリカを「マリコ」と、赤ん坊によく似た名で呼びます。聞きたい事は山ほどありました。でも言葉を知らないスティリカは彼らと会話する事は出来ません。なにより、身体は未だ岩のように重く、口もうまく動かせません。


「あの頃は何も分からない状態だったけれど、私は貴女の名前に由来する、『佐藤まり子』が亡くなると同時にその場所に入り込んでしまったようなの。姿形は変わっても、彼らはその空席に入り込んでしまった私を『まり子』だと信じて疑わなかったわ。彼女は長い事植物状態だったから、記憶が曖昧なのも、おかしな世界の話をするのも、言葉がうまく話せないのも仕方ないとすんなり受け入れてくれたの……」


 そう知ったのは、義妹である幸代さちよが着替えを手伝おうとして衣を用意した時、丈が合わない事でした。それに、着れる物でもどうにもスティリカの容姿には似合わないデザインだったのです。

 それでスティリカは、生まれてくるはずだった本物の万里子は、死産だったのではないかと考えました。生まれてくるその瞬間に、冥界に行く魂がヤンテを呼んだのではないかと思ったのです。


「あなたのお父さん、たかしさんは姉であるまり子にとてもよく面倒を見てもらったらしいの。学生の頃兄が事故死してしまった時、家は任せて好きな事をしろと言って、両親を説得してくれたのもまり子だったようね。そのまり子が脳の病気で寝たきりになってしまって、回復の願いを込めてあなたに万里子と名付けたようよ」


 スティリカには言葉の壁が大きく立ちはだかり、なかなか新しい家族と打ち解ける事が出来ませんでした。

 それを家族は寂しく思っておりましたが、よちよち歩きが出来るようになった万里子を連れて行くととても嬉しそうに笑いましたので、弟夫婦は度々万里子を連れて訊ねるようになりました。

 出来の良い兄と、誰が見ても振り返る美少女の妹……注目は彼らに集まり、万里子はその影にすっかり隠れてしまっていました。その為、自分をいち早く見つけ、笑顔を向けてくれる伯母に懐くのも当然の事でした。

 スティリカは万里子と共に言葉を覚えていきました。やがて、スティリカは覚えたての言葉で故郷の話をするようになりました。魔法や不思議な動物達――それらを万里子は“物語”として聞きました。日本語を覚え、何気ない日常の振る舞いにイルー人だった自分が薄れていくのを感じると、スティリカは万里子にだけ聞かせていた故郷の話を本に残す事にしました。書き留めておかなければ、忘れてしまうという恐れがあったからです。その証拠に、サイナの血を引くスティリカ自慢の魔術がいつのまにか使えなくなっておりました。イルーよりも小さく弱い星の光は、天候すら読めません。万里子の体内に眠るヤンテの熱さえ、感じる事が出来なくなってしまいました。


 こんな事で、この子をあの世界に無事還せるのかしら……


 不安が募ります。スティリカの魔力が尽きてしまった今、頼みの綱は大神官のスルグだけです。

 彼には万里子のことは伝えてあります。魔力を失い、すっかり日本人になってしまったスティリカは無理でも、万里子の熱を感じて呼び戻せるよう方法を探してくれるはずです。

 と、そこまで考えてスティリカは愕然としました。

 それは、赤ん坊にこの世界で与えられた“名前”です。

「サトウマリコ――」

 それは、この世界ではスティリカ自身を表す名でもあります。

 それがこんなにもありふれた名前である事を、スティリカはこの世界に来てから知りました。

 名前とは、一生その人物についてまわる大切なものです。故郷では、神殿でその土地の神官長に賜る大切なもので、一つとして同じものはありません。

 ですがそれは故郷の星の常識。こちらも同じとは限りません。ここで暮らすようになっていくつもの年を重ねました。万里子は学校に通うようになってスティリカと会う時間は減りましたが、それでも学校の事を尋ねるとこう言っていました。

「あのね、伯母さん。学年に名前の子が二人もいるの。家庭科の先生もサトウマリコなのよ」

 そうなのです。同じ名前が溢れるこの世界でも、万里子の名は特に多いものでした。

 そんな状況で、目的の人物だけを戻せるものでしょうか……ですが、すっかり力を失ってしまったスティリカにはただ万里子の成長を見守るしか出来る事は無かったのです。



「……それであんなに大勢が召還されたのね」

 初めに神殿に召還された時はあまりに大勢で万里子は押しつぶされそうになりながら足を踏ん張ったものでした。まさかの消去法で行われたのですから、目的の人物が自分だったのかという疑いはそこから始まったのかもしれません。

「そうだ……あの時、二回目の呪文で伯母さんは消えちゃったでしょう? 元の世界に戻されたんじゃないの? どうしてここに居るの?」

「ここが、私の元々の居場所だからよ。私もこんな結果になるとは思わなかったわ」

 召還を行った人物はスルグではありませんでした。背の高いスティリカは、別の神官が呪文を唱えるのを見守りました。

 もはや言葉を理解できないスティリカには、呪文の意味も分かりません。でも、ぎゅうぎゅう詰めだった神殿から一人、また一人と候補者が消えていきます。次の瞬間、自分の身にも足元がぐらつく感覚がやってきました。


(戻される――!)


 でも、“どっち”に?


 目の前では万里子が不安げに瞳を潤ませて手を強く握ってきます。

「よし、じゃあ万里ちゃん、どちらかが残ってしまったら、帰った方が親族に説明する事。良い?」

 明るくそう提案したスティリカに、万里子は心底嫌そうに顔をしかめました。

「え? 一緒に帰ろうよ……」

 不安げにこちらを見上げる万里子でしたが、それは無理な話です。スティリカは、万里子がここに残る事を知っています。

 スティリカは、飛ばされる場所がもしもまた日本だとしても、ヤンテを、そしてあの赤ん坊をこの星に還せた……その事に満足していました。

 立っている感覚が完全に無くなった瞬間、スティリカはしっかり握られていた万里子の手を、一気に外しました。


(あなたはここに残るのよ――!)


 一人残していく事は不安でしたが、スルグやライカが万里子に真相を語ってくれるでしょう。

 そう、スティリカは心を鬼にして考えて万里子の手を振りほどいたのです。

 この時、スティリカは既にスルグが亡くなっていた事も、神殿に残されたのが万里子一人ではなく、もう一人の候補者が居た事も知らなかったのです。



「alankiuyk.~lnok;ihnmi.un」


 目覚めた時にすぐ近くで耳慣れない言葉が聞こえ、スティリカは飛び起きました。


「yuytttbmouuo/olhguu;uboeae」


 心配そうに自分を見つめるのは、知らない青年でした。

 それでもどこかで見たような気がして、スティリカはじっと青年を見詰めます。その様子で察したのか、青年は自分の指にある紅い石の指輪を見せました。

 暗い室内でも明るく輝く石はスティリカの目にチカチカと眩しく、思わずきゅっと目を瞑ります。

 すると頭を思い切り揺さぶられるような感覚に襲われ、スティリカはぐらりと寝台に突っ伏してしまいました。

「キリエ! 大丈夫ですか!」

 今度はハッキリと言葉が聞こえます。

 ですが、それに応えようにも頭を左右上下に振り回されているような感覚はとても気持ちが悪く、目を開けようにも眩暈がしてしまい、スティリカはしばらくじっと耐えていました。

 息遣いが荒くなるスティリカを、青年は心配そうに見守っています。

 ようやく眩暈が治まり、青年に向き直ったスティリカは驚きました。

 先程まで見知らぬ青年だと思っていた彼は、スティリカの良く知る人物だったのです。

「――ライカ」

 名前を呼ばれて、ライカはホッとしたように微笑みました。

「お帰りなさいませ。キリエ……。ずっと、ずっと待っておりました」

 短い言葉でしたが、そこには安堵、疲労、喜び、苦悩……様々な感情が詰まっておりました。

 スティリカは胸が熱く込み上げるのを感じました。

「――ただいま戻りました。ライカ」


 スティリカは、神官の術により、他の候補者『サトウマリコ』と共に、“元の居場所”へと戻されました。

 それは、日本の佐藤家ではなく、イルーの自室だったのです。



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