86.十七年前の真実
「どういう事……? だって、私は日本人で。お父さんとお母さんが……お兄ちゃんと、千里と……日本人だもん。私は佐藤家の長女だもの!」
ですが、キリエは小さく嘆息すると静かに首を振りました。
「違うわ。残念ながら……あなたは正真正銘、イルー人よ」
その言葉は伯母が登場してから頭を掠めていたものの、万里子自身信じたくない思いが勝って考える事を拒否していたものでした。
「でも……おかしいわ。どうして、お父さんとお母さんは私を子供として育てたの? 二人とも、何も言ってくれなかった……」
「それは仕方ないわ。だってあなたは間違いなく、幸代さんから産まれてきたんだもの」
幸代とは、万里子の母の名です。
万里子は益々頭が混乱してしまいました。
闇の神殿から赤ん坊が消え、闇の森を抜けたらいつも遠くに小さく見えるヤンテまでもが消えていました。その事に気がついたスティリカは、瞬時にあの時神殿で赤ん坊を包んだ紅い光がヤンテだったのだと気がつきました。
ヤンテが……消えてしまった……間に合わなかったのだ……。
スティリカは呆然とその場にへたり込みました。
ヤンテも赤ん坊も失ってしまい、自分の選択が全て裏目に出てしまったと打ちひしがれるスティリカの視界に、チラチラと紅い光が入りました。
それは、隣に立つライカの指輪から発する光でした。
紅い石がはめ込まれた指輪――それはヤンテが与える星詠みの証でした。
ヤンテがこの世界から消えた今でもそれは変わらずに光を放っています。
ヤンテは姿を隠しただけだ。決して消えて無くなってなどいない。
スティリカはそう確信すると、すぐに行動をおこしました。
対話の鏡でその事をスルグに話すと、スルグもまた同じ考えでした。大神官であるスルグは、現役神官の中でも一番ヤンテの言葉を受け取る事が出来たのです。その彼が、姿は確かに見えなくなったけれど、ヤンテの力は確かに感じると言いました。それはとても弱く、小さな反応ではあるけれど、確かにヤンテの力の熱であると言うのです。
二人は協力してヤンテの行方を捜す事にしました。
どれ位の時間が経ったでしょう。ある日、二人はとうとうヤンテを見つけ出したのです。
ヤンテは、地球という星の、とある家族の一員として生まれた女の子と共に居りました。その女の子は、ヤンテと共に消えたあの赤ん坊でした。
なぜそこだったのか、どうして家族の一員として迎えられているのか……それは二人にも分かりませんでした。
スティリカもスルグも、勿論他の星の事など知りませんでした。違う星に隠れてしまったヤンテと、ヤンテを宿す赤ん坊は今度どうなっていくのでしょう……心配で仕方がありませんでした。
スルグとスティリカが二人の力を合わせる事で、なんとか赤ん坊の様子を見る事が出来ます。対話の鏡越しに魔力をぶつけ合うと、鏡には赤ん坊が映りました。お腹の中央に紅い石を見つけ、スティリカは思わず涙を浮かべました。
赤ん坊がいる国は、スティリカの世界とはだいぶ生活様式が違うようでした。
まるで違う世界――赤ん坊に、どうやってこの世界の事を知ってもらえば良いのか……いずれまたこの世界に戻ってきてもらわねばならないのに、どうしたらいいのか……スティリカは、なんとか自分も赤ん坊の元に行けないかと考えたのです。初め、スルグは反対しました。なにしろ方法が分かりません。他の星に飛ぶなど、危険も伴います。ですが、姪の言う事も理解できました。赤ん坊に行く末を託した責任もあり、スティリカはどうしても後を追うとスルグを説得しました。
今度は、スティリカが赤ん坊の元に行く方法を探りました。ですが、ヤンテの力で世界を飛んだ赤ん坊とは違い、スティリカにもスルグにもそこまでの力はありません。二人は悩みました。
スティリカを心配したライカも加わるようになると、スティリカは未だ輝きを失わないライカの指輪に手掛かりを見出しました。
スティリカが星詠み誕生の時期と季節星の関係を解明し、闇の神殿を建設したばかりの頃、ヤンテにそっくりな紅い玉が星詠みに選定された少女の横に落ちていた事がありました。スティリカは、その石はヤンテの分身ではないかと考え、神殿に奉納したのです。
本当に分身ならば、たとえ力はヤンテ本体より弱くとも同じような事が出来るのではないかと考えました。
ですが、そう簡単に石は光ったりしませんでした。何度祈っても、何度願っても、石はそのままです。でも、諦める気にはなれませんでした。
機会は突然訪れました。スルグが興奮気味に対話の鏡で話し掛けてきたのです。
「ヤンテの力が強くなっている。熱を感じるのじゃ。強い引力を感じる」
神殿の石に変化が見えたのは翌日です。スティリカはこれが最後の好機だと思いました。スルグは大神官の退官を考える程に力が衰えてきていたのです。彼は、病に侵されていました。
「叔父様、私は戻ってこれるか分かりません。ですが、何としてもあの赤ん坊はこの世界に連れ戻します。いつになるか分かりませんが、必ず! ですから叔父様はこちらの世界で語り継いでください。赤ん坊の名は、『サトウマリコ』です」
スティリカの強い覚悟に、スルグはただ頷くしかありませんでした。
その後、どんどんヤンテの力が強くなるにつれて、神殿の石も輝きを増しました。スティリカは近しい者に後を頼むと、闇の神殿に篭りました。それからどれ位時間が経ったでしょう。あの日のように、突然目を開けていられない程の紅い光が、儀式の間を包み込みました。あの時と違うのは、光が包みこむのがスティリカである事です。
まばゆい光に包まれながら、スティリカは身体がふんわりと浮くのを感じました。
スティリカは、強く、強く祈りました。
次に目覚めた時、スティリカは硬い寝台の上に横たわっていました。
身体全体が重く、うまく動けません。かろうじて動かせる首をゆっくりと巡らせると、そこは壁も天井も寝台も真っ白な無機質な小さな部屋でした。白い天井には長細い光棒が付いていて、辺りがよく見えます。
小さな白い部屋の小さな白い扉が開くと、白い服を着た女性が入ってきて目が合いました。
何から何まで白……それにこの光……ここはナハクの神殿かどこかかしら?
赤ん坊が居た世界はもう少し様々な色で溢れていました。失敗したのかしら……やはりあの小さな分身の石では、力が足りなかったのかもしれない……スティリカはそっと嘆息しました。
が、対して女性は驚いたように声を上げると慌しく部屋を出て行きました。
何事かとスティリカが不思議に思っていると、今度は大勢の人々が部屋に奇襲をかけてきました。
老若男女、格好も髪の色も様々な人々が五人も六人もやって来たでしょうか。彼らは皆大変興奮しており、なにやら喚いております。スティリカは彼らの言っている事が理解できず、これは何かの呪文だと考えました。何しろ、彼らはそれぞれに発する言葉は違うのですが、その所々に「ヨカタヨカタ!」という言葉が入っているのです。
傍にはライカも見えず、スティリカは何とか一人で対峙するしか無いと思い、重い身体をなんとか起こしました。そうして彼らに向かってゆっくりと手を上げて術を――と思ったところで、自分の手に何やら管が刺さり、口も器具で覆われている事に気がつきました。
拘束されている! これは……息は出来るけれど術を発動させるには難しい……! 殺める事なく、術者の攻撃手段を容易く奪う器具を使うなど……なんて卑怯な!
それでも何とか術で対抗しようとモゴモゴ口を動かしますが、うまく舌が回りません。
それを好機ととったのか、部屋に乱入して来た面々は一斉に奇声を上げると突進してきました。
「ヨカタヨカタ!」
「ヨカタヨカタ!」
この者達は何者だろう……いつスティリカを攫い、こんな場所に拘束したのか……一体、何が目的だというのでしょう。見たところ平坦な顔はナハクでもカナムの一族でもないようです。その特徴はイルー人にとてもよく似ていました。
イルー人……? いや、でも茶色の髪の者など……爪の色といい、やはり術者か?
この天井の光る棒といい、かなりの発達した文明を持つ一族のようです。スティリカの拉致は、此度のヤンテ消滅と関係があるのでしょうか。
くっ! 私とした事が、ヤンテとあの赤ん坊の事に気が取られていて、警戒を怠っていたわ……こんな力をつけた一族が居たなんて……!
せめて相手の顔をこの脳裏に刻みつけよう……そう思い睨みつけた先で、少し頭髪が薄くなった男性が意外にも笑顔を見せました。そこでようやくスティリカは異変を感じて寝台の周りを取り囲んだ面々を見ると、その中に見知った顔がありました。
赤ん坊の……お父上?
それは、対話の鏡を介して見ていた赤ん坊の新しい家族でした。
彼をはじめ、皆笑顔でスティリカを見詰めています。中には涙を浮かべている者もおりました。そして彼らのその様子に攻撃的なものは何も感じませんでした。
やっと警戒を解いたスティリカは、部屋の入り口にもう一人、女性が佇んでいるのに気付きました。
その女性の腕の中には、会いたくて会いたくて仕方が無かったあの赤ん坊が眠っていたのです。
赤ん坊というにはもうだいぶ大きくなっており、顔立ちもはっきりとしてきていましたが、ずっと見守ってきたのですから間違いありません。
こうして二人はやっと再会を果たしたのです。
その時にはもう、地球の時間で一年という月日が経っておりました。




