84.キリエの正体
「どうしよう……! ラブルさん……! ラブルさん!」
地面の上でバタバタともがきながら小さくなっていくラブルを見て、万里子は慌てていました。
ラブルはどんどん小さくなり、今では両手で抱えられる位になってしまっています。
暴れるラブルを放ってはおけず、万里子は力一杯抱き締めました。
万里子は以前、ラブルについて教わった事をふと思い出しました。
ラブルは鳥目で暗闇の中では飛ぶ事が出来ず、闇の時代にどんどん数を減らしてしまい、今ではたった一羽……それをジルが保護していたと聞きました。暗闇で飛べない理由はともかく、なぜ数を減らすまでの事になったのか――どうしてそこまで考えが及ばなかったのかと、万里子は自分の浅はかさに情けなくなります。暗闇で飛べないだけでは数が減るはずなど無いのです。
(皆、闇の中こうして小さくなって死んじゃったんだ……! ラブルは光がなきゃ生きていけない鳥なんだ! それなのに、私を運ぶためにこんな……こんな光が届かない場所まで飛んで……)
苦しそうに暴れるラブルはもはや言葉を話す事は出来ず、ピィ、ピィ! と鳴くばかりです。鋭い爪が腕を引っ掻きイディから渡された防寒用の分厚いマントでさえ引き裂かれ万里子の腕がむき出しになりました。それでも万里子はラブルを抱き締めずにはいられませんでした。
残る一羽をジルが保護できたのは、きっとジルが光玉を作りだせるから……闇の時代の十七年、ラブルはジルの光玉の力でその存在を保っていたのでしょう。
(ジルさん……っ! ジルさん……! 何も言わずに私をここに送り出してくれて……どうしよう。ここにジルさんが居たら……!)
そこで万里子はハッと気付き、暴れるラブルをそっと地面に下ろしました。
ここにジルはいません。でも、光玉の力を備えた物ならあります。
万里子は斜め掛けにして身に着けていた光篭を外すと、中身がどうなろうと構わずに片っ端から掻き出しました。中からは潰れた料理が次々出てきます。入れ物に入れられたスープは零れて地面を濡らしました。
光篭はヤンテの光がほんの僅かしか届かないこの地でも煌々と明るく輝いています。その上中には保存の術がかけられておりました。ルヴェルの技術を使った鞄の特徴をも持った優れものです。ここなら、助けられるかもしれません。
光篭の中身を全てぶちまけた時、ラブルはくたりと地面に倒れ、ピィ……と弱々しい鳴き声をあげていました。大きさは既に万里子の手の平位になっています。まさに消える寸前でした。
「ごめんね。ごめんね。我慢してね」
万里子は両手でラブルを抱き上げると、光篭の中にそっと入れました。
風の音と、自分の速い鼓動だけを感じる中、万里子は祈るような気持ちで光篭に手を添えるとそっと耳を寄せました。
ピィ……ピィ……
(良かった! 生きてる!)
万里子の頬には安堵の涙が流れました。もうこれ以上自分の為に何者も犠牲にしたくはありません。万里子がそっと光篭を抱き締めると、ほんのりと温かな熱と先程よりも元気なピィピィという鳴き声がしました。
大切に光篭を身につけると、辺りに散乱した食べ物を一箇所に集めて穴を掘り埋めました。沢山散ってしまった羽根から一際大きな羽根を選び、光篭に一緒に入れます。それは必ずまた大きくなるように……というおまじないでした。
ピィピィという鳴き声はラブルが生きている証拠であり、とても嬉しいのですが、いつかまたラブルと会話したいと万里子は強く願いました。
手が土だらけになり、ずっと座り込んでいてマントもすっかり汚れてしまいました。ラブルの鋭い爪で引き裂かれたマントからは冷たい風が入り、万里子の身体を冷やします。
万里子はほんのり温かい光篭で暖をとるように抱きかかえると、立ち上がって歩き出しました。
泣いてばかりではいられません。なんとか命を繋いだラブルの為にも、送り出してくれた皆の為にも、そして自分自身が前を向いて歩いていく為にも、キリエを訊ねなければなりません。
万里子は懐からレグゼスの地図を取り出すと、光篭の灯りで目指す場所を確認し、一人歩き出しました。
歩いても歩いても、人影は見えません。イルーの奥へと進めば進む程、暗くなっていきます。まだ僅かにヤンテの光は届いておりましたが、そのヤンテも形がぼんやりとして、夜が近い事を知らせていました。途端に心細くなりますが、万里子は頬をパシパシと叩いて気合を入れると足を先に進めました。
(ダメ! 泣いちゃダメ! 寂しいって思う前に、動くの!)
この地ではヤンテの光は貴重なものです。万里子は自分の感情が揺れ動く時にヤンテの光の明るさや天候が左右される事を指摘されていました。この地ではそれが命取りになります。自分自身が先に進む為には、くよくよしてなどいられないのです。
「大丈夫。大丈夫よ、万里子。皆が信じて、送り出してくれたんじゃない。大丈夫!」
そう自分を奮い立たせ先に進むと、箱型の建物が点在するのが目に入りました。
(集落かしら? 誰か人が居たらキリエの家までの距離を聞けるんだけど……)
これ以上暗くなる前に、宿も確保しなければいけません。ジルはイルーの神官に連絡を取り、イルー側から迎えが来ると言ってくれましたが、まだイルー側の迎えも見えません。そもそもどこに着陸したのかが分からない万里子には、無事イルー側の迎えと会えるのかも分かりませんでした。
「これは……家……じゃ、無い?」
箱型の大きな建物の近くまで来ると、どの建物にも灯りが無く、人の気配もありません。
おぼろげな光の中そびえ立つ建物は不気味なまでに大きく、万里子は困り果ててしまいました。
(どうしよう……鍵かかってる……人は居ないのかな……)
更に奥へと向かうと、ほんの少し扉が開いている建物を見つけました。そこからかすかに漏れる光を見つけ、万里子はそちらに向かいました。
キィ……
大きな木の扉から中を覗くと、そこには大きな船がありました。
(船……そうか。海が近いここは船の倉庫なんだ……だから人気が無いのか……)
「すみません! どなたかいらっしゃいますか?」
奥に声をかけると、ひょろりと背の高い男が船の後ろから顔を覗かせました。
「な……なんだ? なんだあんたは? 怪我でもしてんのかい?」
顔まで泥だらけになっている少女に、男は驚き声を上げます。
(あ、そうか……手が土だらけなのに、さっき顔叩いちゃったから……)
「いいえ。道をお尋ねしたいんです。ここからキリエの家は遠いんでしょうか?」
すると男は顔を曇らせました。
「歩いていくんならちぃと時間がかかるな。おめぇ見たところイルー人のようだが、キリエの家を知らんのか?」
万里子の髪はクラムルードの術により明るい灰色に変えられておりますので、男はそれを見て万里子をイルー人だと判断したようです。途端にくだけた口調になり、心配そうに話し掛けてきました。
「ええと……そうなんですが、向こうの大陸で生まれたのでイルーはまだ詳しくなくて……」
しどろもどろになりながらもそう言うと、男はその言葉をすんなり信じたようでした。
「うーん……連れてってやりてぇけどなぁ……。船の整備をせにゃならんで。キリエの家は闇の森の手前にあるだ。なあに。道は簡単だ。ヤンテの光からどんどん遠ざかりゃいいんさ。知り合いはいねえのかい?」
男は工具を手にしたまま万里子がやって来た方向と反対側を指差します。このまま真っ直ぐ奥へと進めばいいようです。
「ありがとうございます。迎えが居るんですが、まだ会えてないんです」
迎えが居る、という言葉に男はホッとしたように笑顔を見せました。
「そうけ。なら気ぃつけていきな」
「はい」
男に別れを告げ、万里子は先を急ぎました。
ですが、歩いても歩いても森が見えてきません。段々と夜特有の冷たく乾いた空気になり、マントの裂けた場所から入ってくる冷気に万里子の身体は急激に冷えていきました。
「寒い……」
胸に抱き締めるようにして持っている光篭からピィピィとラブルの声が聞こえ、万里子はその度にラブルに話し掛けながら一歩一歩先に進みました。
(おなかすいた……)
あまりの空腹と寒さ、疲れに、少しだけ休もうと万里子は大きな木の下で両膝を抱えるようにして座り込みました。勿論、光篭は抱き締めたままです。すると急激に眠気が襲ってきました。
(ちょっと……ちょっと休むだけ……)
万里子は重い瞼を閉じ、少しだけ休む事にしました。ですが極度の緊張と空腹に、そのまま倒れてしまったのです。
* * *
パチパチと火のはぜる音が聞こえ、万里子は目を覚ましました。
抱き締めていたはずの光篭を手にしておらず、慌てて体を起こすと、そこは暖かな寝台の中で、光篭はちゃんと窓辺に掛けられておりました。
「あった……良かった……」
ホッとすると、今度は忘れていた空腹感が戻ってきます。気がついてしまうとぐうぐうと鳴るおなかは止める事が出来ません。
万里子は辺りをきょろきょろと眺めました。
(一体ここはどこだろう……)
壁一面には作りつけの本棚があり、様々な大きさの本がぎっしりと詰め込まれています。反対側の壁には囲炉裏のようなものがあり、そこでは組み上げられた木が勢いよく燃えていました。
そのままぼんやりと火を見詰めていると、扉が開けられました。
「ああ、目を覚ましましたね。ちょうど良いところでした。食事をお持ちしましたよ」
入って来たのは、なんとライカでした。
「あ……あなたは……ライカさんですよね」
「ええ。宮殿の広場でお会いしましたね。申し訳ありません。お迎えに向かったのですが、お着きになった場所が予定の場所よりだいぶ離れていたようで、見つけるのに手間取ってしまいました」
どうやらラブルが縮みながらも一生懸命飛んでいた為、だいぶ流されたようです。でもこうしてライカに助けてもらえたのは幸運だったと万里子はライカに感謝しました。
「私、キリエさんに会いに来たんです」
「ええ、ええ。存じております。ここはキリエの家ですよ。残念ながらキリエは闇の神殿に行っておりまして……ですがキリエには既に報せを出しておりますので、まもなく参られるでしょう」
「そうですか!」
キリエはとても忙しい人だと聞いておりましたので、こんなに早く会えるとは思ってもいませんでした。
万里子はライカが用意してくれた食事をゆっくりと食べ、おなかを満たしました。そんな万里子をライカは目を細めて見守っています。
「ライカさん、キリエさんはどんな方なのか、教えてもらえませんか?」
ライカは星詠みに選定されてからというもの、キリエの元で過ごしてきたといいます。新しく神官長になってからも、それは続いており、ヤンテの姫君のお披露目式典にも同行していました。ずっとキリエと共にいるのですからキリエに関しては詳しいはずです。
ですが、ライカから返ってきたのは意外な答えでした。
「それはマール様。貴女様の方がご存知のはずですよ」
「え?」
万里子はキリエに会った事がありません。万里子はライカの言葉に戸惑いました。
その時、部屋の外からチリチリンと鈴の音が聞こえました。
「キリエが戻ったようです。すぐにお連れ致します。このままお待ちください」
「は、はい……」
ライカの言葉はまるで、万里子がキリエと会った事があると言っているようでした。
(なぜ……?)
ですが、それもすぐに分かる事です。今扉の向こうにはライカとキリエが居るのですから。
万里子は失礼にならないよう、寝台から出て身なりを整えました。あちこち裂けたマントは脱がされており、普段着の衣の皺を手で伸ばすと、扉を見詰めました。
その扉が開かれ、ライカが勿体ぶった仕草でキリエを案内しました。
「さあ、キリエ……久しぶりの再会を楽しみにしておりましたでしょう……どうぞ」
ライカは先程からおかしな事を言います。久しぶりの再会――一体どういう事なのでしょう。
ですが、ライカに続いて入って来た人物を見て、万里子は驚きのあまりうまく言葉に出来ませんでした。思わず両手を口に当て、ようやく「……うそ……なんで?」と搾り出すような声で呟きました。
「伯母さん……」
万里子は目の前に現れた人物が信じられませんでした。それはあの日一緒に召還され、そして次の術で元の世界へと還されたはずの伯母、佐藤まり子その人だったからです。