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83.たった一人の旅立ち

 クラムルードがマールの寝室から出ると、隣のサロンで待っていたのはシアナでした。

 深く礼をしたシアナはクラムルードがやけに青白い顔をしているのに気付くと、きゅっと唇を引き締めました。

「術を……マール様に術を使われたのですか」

「――お前に計画は話していたはずだ」

 クラムルードは疲れたように答えると、用意された椅子に深く腰掛けました。

「ですが……」

「あいつを帰す方法は、無い。この世界にとっても必要だ。だが、あいつが抱える不安も分かる。このまま無理矢理ここに置く事がいい事だとも思えない」

 一気にそう話すとクラムルードは額を押さえ大きく息をつきました。

「すまない。今日は疲れた……」

「申し訳ございません。あの……失礼を承知でお伺いしたいのですが……マール様に術は効いたのでしょうか……」

 その問いにクラムルードはチラリと視線だけを飛ばしました。

「ああ……だがかなりの熱を体内に送り込んだにも関わらず、髪色を僅かに変える事しか出来なかった。――だが、これで少しは誤魔化せるだろう」

 万里子はその身にヤンテの神を宿している為か、この世界に来た時から術が効かない事をジルから聞いていたシアナはクラムルードの返事に驚きました。この計画を聞いた時に術で姿を変化させると聞いておりましたが、万里子の体質の話をしても不思議とクラムルードは自信を見せておりました。

(何か確信でもあったのかしら……)

 それでも目の前のクラムルードはかなり疲れているようです。相当の力を使ったのでしょう。顔色も益々悪くなっているように見えます。

「申し訳ございません。すぐにガイアスを呼びましょう」

「あいつはもっと辛いだろう。俺よりあいつについてやってくれ。数日は寝込むはずだ」

 クラムルードは青い顔をしながらも万里子を気遣い、ふらりと立ち上がると手を貸そうとするシアナを断り扉に向かいました。

「容態をこちらにも知らせてくれ。決行は五日後だ。熱が続くようなら予定を変更しなければならない」

「畏まりました」

 クラムルードを見送ると、シアナは急いで寝室に入りました。

 

 万里子は寝台の中央で眠っておりましたが、顔は赤らみ額には珠の汗を浮かべております。シアナは慌ててレニーに布を冷やすよう命じ、セシュラに薬茶を作るよう言いかけて唇を止めました。

(薬は良いものなのかしら? まったく。陛下ったら肝心な事を仰らないのだから!)

 心の中で舌打ちするととりあえず胸元を緩めて乾布で汗を拭き取りました。

 先程のクラムルードの言動から、この万里子の容態は術の影響である事は明らかでした。それは何よりも髪に表れています。大部分が淡い灰色になっており、根本はまだ完全に定着していないのか黒く残っています。ですがその部分も徐々に灰色が侵食しておりそれに抗うように黒色が斑になっておりました。

「シアナ様。布を冷やして参りました。セシュラが薬茶を処方したいので様子を伺いたいと言っておりますが……」

 シアナはレニーの声にハッとして万里子の髪を隠しました。

「いいえ。大丈夫よ」

 万里子が旅に出る事はごく一部にしか知らされていない計画です。その間、万里子は体調を崩して寝込んでいる事になります。いずれ二人にも知らさなければなりませんが、まだ内密にしていなければなりません。シアナは心配そうに眉尻を下げるレニーから布を受け取ると、二人を落ち着かせて自室に戻るよう促しました。

「今はマール様の熱が下がり、髪の色が落ち着くのを祈らなければ……」

 万里子の身体を拭いた乾布はすぐに汗でぐっしょりと濡れてしまいました。その後にそっとあてた冷やした布も、すぐにぬるくなってしまいます。シアナは何度も何度も布を冷やしなおし、眠らずに万里子の身体を冷やしましたが、万里子は一晩中顔を赤くして熱にうなされておりました。

(こんな時にあの方がいらっしゃったら……)

 途方に暮れたシアナが思い浮かべたのは少し前に宮殿を出て行ったルヴェルでした。



 そのルヴェルが突然宮殿に戻って来たのは、その三日後の事でした。

 三日三晩熱にうなされた万里子は、ようやくクラムルードの術の熱が身体から抜け落ち、目を覚ましたのです。大層体力を消耗しておりましたので、レニーには消化の良い食事を用意させ、セシュラには薬茶を作るよう申し付けました。

「マール様、大丈夫でございますか?」

 こくり。と力なく頷きます。何か話そうと唇は動きますが言葉にはなりませんでした。

 シアナを見る万里子の瞳は黒いままでした。が、髪の色は斑な部分も無くなり、全体が淡い灰色になっておりました。

「二人が驚くわね……。マール様、失礼致しますわね」

 シアナは万里子の頭に布を巻くと、髪の毛の一本もはみ出さないようにしっかりと髪を中に押し入れました。

「マール様が目覚められました事、陛下にご報告して参りますね」

 その時、万里子の瞳が少し揺らいだ事にシアナは気が付きませんでした。

「レニー、セシュラ。私は陛下にご報告に参ります。マール様にお食事と薬茶を飲ませたら、眠らせてください。お願いね」

「はい」

 二人には陛下に報告し、正式に出発が決まったら話そうと考え、シアナは棟を後にしました。

 万里子が王都を離れた事を隠し通すには、二人の強力が不可欠だからです。二人は初めこそ万里子に対して不信感を抱いているようでしたが、ガルディスとの騒ぎがあってからというものとても献身的に万里子に尽くしてくれています。秘密も守るだろうとシアナは考えておりました。

「シアナ殿……と、いう事は姫様が目覚められたという事ですか」

 ガイアスはシアナがやって来るとそう確認し、すぐに執務室のクラムルードに取り次ぎました。

「丁度良かった。今ルヴェル様とジル様もおいでです」

「ルヴェル様が――?」

 ヤンテ神殿に仕える身となったジルはともかく、サイナに戻ったはずのルヴェルがまた王都に来ていた事にシアナは驚きました。

 ガイアスはそれには多くを語らず、シアナを中に通しました。中に入ると、皆の視線が一斉にシアナに向けられます。

「意識が戻ったか」

「はい。ですがかなり体力が落ちていらっしゃいます。今、レニーとセシュラに食事と薬茶を頼んで参りました」

「二人に……?」

 クラムルードはピクリと眉を反応させました。万里子のイルー行きを秘密にしておきたいクラムルードは二人にまで話すべきか迷っておりました。

「マール様の髪は布を巻いて隠してきました。ですが、不在を体調不良で隠し通すには二人の強力は必要だと感じております。私だけでは不審を買います。二人の方が宮殿では顔が利きますので……」

「今、私達もその話をしていた所ですよ。レグゼスにも協力を得るべきでしょう。何しろ今王都に要る人物の中では一番イルーの地理に長けているのですから」

 クラムルードは難しい顔をして考えましたが、やがて諦めたように頷きました。

「いいだろう。体調はルヴェルが見てくれるか。良さそうなら明日にでも最終調整をしたい」

「畏まりました」

「今はお話も出来ないご様子。ルヴェル様に診て頂けるのでしたら安心です」

「後ほどセシュラにも何を煎じたか聞こう。なに、カナムの術の特徴を知っていれば治療はさほど難しいものではない。材料も此度の王都入りである程度は用意してある。一晩もあれば元に戻る」

 シアナはルヴェルのその言葉にホッと胸を撫で下ろしました。

 ルヴェルの言葉通り、翌日には起き上がり元気になった万里子はサロンにおりました。

 事情を聞いたレニーにセシュラ、レグゼスもおります。そこにジルとルヴェル、イディとネストラードが現れました。

「我侭を言ってごめんなさい」

 万里子が皆を前に深々と頭を下げました。

「それと……色々協力してくれて、ありがとうございます」

 万里子の決断を心配して険しい表情をしていたジルも、その様子にやっと困ったように微笑みました。

「では、明日決行という事で……最後の打ち合わせをする」

 イディの一言で万里子は姿勢を正し、「お願いします」ともう一度頭を下げました。



 * * *



「マール様。マール様。お時間でございます。起きてくださいませ」

 扉の外からシアナの声がします。マールは既に起きており、シアナを迎えました。

「お早うございます」

「まあ、マール様もう起きてらっしゃったのですね」

 外はまだ薄暗く、ヤンテの光もまだぼんやりとしておりました。これより少し明るくなる明け方には出発する事になっております。万里子はもう随分早くに起きて、レグゼスに書いてもらったイルーの地図を確認しておりました。

「では参りましょうか」

 シアナに促されサロンに行くと、そこにはレニーとセシュラが万里子を待っておりました。

「レニーさん、セシュラさん。行って来ます」

「姫様。ここの事はまかせてください」

「気をつけて行ってらっしゃいませ」

 万里子は力強く頷くと、シアナに連れられ宮殿の脇にある森の中に入りました。この時の為にジルとシアナで結界を変化させており、二人は誰にも気付かれずに移動する事が出来ました。

「あ……皆さん……」

 森の中にぽっかりとあいた空間には、今回の旅を知る全員が揃っておりました。

「マール。光篭は持ったかい?」

 ルヴェルが問いかけます。光篭とは、ジルが作り出す光玉とルヴェルが作るイニスを掛け合わせたもので、身体に斜め掛けにできるポシェットのような物でした。それは大きさの割に沢山入るイニスの特徴と、中に保護の術を閉じ込めた光玉が一緒になった特別製です。

 昨晩この光篭にはレニーが小分けにした食事と飲物を詰め込んでおり、その量は数日分にもなりました。ルヴェルが突然やって来たのはこれを作る為だったようです。

「はい。何から何までありがとうございます」

「では……呼びますよ」

 ジルはそう言うと、目を閉じて小さく呟きはじめました。

 少しするとザザ……と木々のざわめきと共に真っ白な大きな鳥が現れました。ジルが使役する聖獣、ラブルです。

 海は凍り船が出せない為、ジルがラブルに乗っていく事を提案してくれたのでした。ですが、ラブルに乗れるのはたった一人です。イルーには万里子はたった一人で向かう事になりました。

「本当に一人で行くんだな?」

「そうだよ。マール本当に大丈夫?」

「あちらの神官には遠話の鏡で連絡しておきました。迎えの者とすぐに合流できれば良いのですが……」

 次々に心配そうに声が掛けられますが、万里子はキッパリと首を振りました。

「行きます。私も、ちゃんと進みたいんです。こんなに無理を言って、こんなにしてもらった以上、一人じゃ嫌だなんて言ってられない。スイルに行くって一人で決めたネストのように」

「――マール……! 知ってたの?」

 万里子は寂しそうに微笑みました。

「うん。実は、スイルから戻る日にミルファ女王陛下に言われたの。すごく、すごく動揺したし、色々考えたんだけど……でもあの日から、ネストすごく変わったもの。正直焦ったし寂しかったけど、ちゃんと面と向かって送り出せる自分になるの。――決めたの」

 万里子は自分を囲むように立っている全員をゆっくりを見ると、深くお辞儀しました。

「行って来ます。我侭を聞いてくれてありがとう。もっと大きくなって、帰って来ます」

「――行って来い」

 クラムルードの言葉で万里子はラブルの背に乗りました。ふわふわの羽毛は温かく、首のちょうど後ろにはくぼみがあります。ジルの指示通りそのくぼみに腰を下ろすと、ラブルはゆっくりと羽を動かしはじめました。同時にキュイインと空気が震えるような音が聞こえ、ジル達の声も一切聞こえなくなりました。ラブルは羽ばたきと同時に結界にも似た空気の層を作り出します。万里子はぎゅっとラブルの首に抱きつきました。

「ラブルさん。お願いします」

『うむ。任せておれ。日が高い内にイルーに着きます故ご安心を』

 白玉の時のように頭に直接届くような声が聞こえます。羽ばたきの感覚が短くなり、万里子はぎゅっと目を瞑りました。

 ふわっと浮く感覚があり、おなかがむず痒く感じました。目を開けると、既にかなり高い場所におり、人々はおろか宮殿までもが豆粒のように小さく眼下に見えました。先程までの景色との違いに眩暈を覚え、万里子はまた首にぎゅうっと抱きつきました。ラブルと万里子を覆う空気の層の外側からキュルルルルルルと空気を裂くような鋭い音が聞こえます。すると、あっという間に大陸は見えなくなってしまいました。

 眼下はどこまでもつづく白い大地です。海が分厚く凍っているのが分かります。その白い大地はどこまでもどこまでも続いていました。

 変わらない景色の中、時間の感覚すらも分からなくなってしまいます。ですがヤンテの光が段々と遠ざかり、イルーが近づいているのが感覚で分かりました。

 決して動かないこの世界唯一の光、ヤンテはイルーにかすかにしか光を届けないのです。

「ラブルさん。もうすぐですか?」

『うむ。大陸が見えたらすぐに着陸する。衝撃に備えよ』

「はい。ありがとうございました」

『我はラブル最後の一羽。姫君の役に立て光栄に思うぞ。我にまた光の中飛翔する自由を与えてくれた』

 そんな力はヤンテであり、自分では無いのに……万里子は何も答えられず、ただただラブルの首に頬を寄せました。

 ぐらり。

 突然視界が揺らぎ、驚いて見下ろすと少し先に大陸が黒い影になって見えてきました。

「あ! 大陸です! 見えました!」

 嬉しそうに声を上げる万里子に、ラブルはただキィと鳴きました。

「ラブルさん? あっ!」

 またぐらりと大きく揺れ、万里子は慌てて首に抱きつきます。ラブルの変化に気がついたのはその時でした。

 大きく、腕が回りきらなかった首に今は手が回るのです。

「えっ?」

 キィィィ

「縮んでる!? どうして!? ラブルさん! ラブルさん!」

 どんどん陸は近づき、ラブルは羽ばたきを止めて足の爪を出し着陸態勢になりました。

 キィィ

「ラブルさん、何か言って!」

 万里子は必死に話し掛けますが、もはや鳴き声しか聞こえません。

 ラブルはふらつく身体で倒れこむように陸に降り立ちました。万里子はその衝撃で大きく前方に投げ出されてしまいます。

「きゃあ!」

 ゴロンと前転するような格好になり、強かにお尻を打ちつけた万里子でしたが、ラブルの様子が気になり振り返ります。

 ピィ……ピィィ

 ですが、万里子の目の前でラブルの身体はどんどん小さくなっていきます。

 ピィィィ――!

 バサバサと苦しそうに羽根を地面に打ち付けて羽根はハラリハラリと散り、辺りを真っ白にしました。

 

 


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