76.赤い珠の謎
シリルに咎められたライルはあれから大人しくなり、黙々と手と口を動かして周りを呆れさせました。なんと、追加で運ばれてきた果物のタルトのような大きな菓子もあれから二つペロリと食べてしまったのです。
追加で運ばれた中には食べ損ねた万里子の分も入っておりました。ライルはそれさえも狙っているようにじっとりと菓子を見詰めていましたが、万里子はそれを阻止してやっと食べる事が出来ました。
そうこうしているうちに、ライルが何やら気になる言葉を発していた事も万里子は綺麗に忘れてしまったのです。
王子達にミルファ女王陛下からの呼び出しがあり茶会が終了を告げましたが、万里子は自室に戻ってからも顔を見せないネストラードが気になっておりました。王子達を呼び出したという事は、ネストラードは既にミルファと一緒では無いと思っていたからです。
「ネストラード様は此度ミルファ女王陛下の血縁というご縁もございましたが、マール様をお連れするラウリナ王国の王族代表という立場での列席でもあります。ミルファ女王陛下はスイル国の王子殿下との顔合わせの場を設けられたのかもしれませんね」
打ち合わせから戻ったシアナにそう言われ、それはそうかもしれない……と万里子は納得したのでした。
「そうか……王族って大変ですね。あ、シアナさんは王子達見ました? 話してみると性格は全然違うんですけど、そっくりなんですよ。話してると段々見分けがついてきたんですけどね。あれ? シアナさん、どうかしました?」
見るとシアナの顔色があまり良くありません。万里子の言葉にハッと顔を上げると無理矢理笑顔を作り、シアナは何でもないというように首を振りました。
「いいえ……何でもございませんわ。少し明日の式典の事を考えておりましたの」
話を逸らされた事にも気付かず、万里子はシアナの言葉に反応しました。
「式典……。またヤンテの神が現れるでしょうか……」
万里子はおなかを擦りますが、今はまだ何の変化も感じません。
窓に目をやり島の神殿を見ますが、ヤンテ神殿とは違い光の柱もありません。やはりヤンテ神殿とはヤンテの影響力が違うように思えました。
とはいえ、本番でまた意識を失うとも考えられます。前回は倒れて寝込んだ事もあり、式典の度にそうなるのであれば、万里子もたまったものではありません。
「私も、ヤンテ神殿程の神力は感じられませんでした。私はマール様の仰る光の柱は見た事は御座いませんが、やはりあの場所は特殊な空間なのでございましょう」
不安を口にした万里子を、シアナが慰めます。
すると、万里子についていた女官の一人が万里子に話し掛けました。
「あのぅ……ネストラード殿下でしたら、もう随分前にお部屋にお戻りでございます」
その言葉に万里子は驚きました。
「そうなんですか? ええと……」
「サリエスでございます」
「……ごめんなさい。えと、サリエスさん。ネストはずっと部屋に?」
ネストラードが案内されたのは万里子の隣の部屋でした。
万里子が茶会から戻って来ても、隣室の前には護衛の者もおらず、てっきりまだミルファの所に居るのだと思っていたのです。
「ええ……。姫様がお茶会より戻られるも随分前でございます。お茶会の方にご案内するよう言われていたようですが、ネストラード様がお断りになったと聞いております」
「え……? 私、ちょっと行ってきます!」
スイルに到着した時、少し緊張した様子はありましたが、万里子を気遣う程には余裕が見えていたので、護衛も遠ざけてまで部屋に篭っているのは心配でした。
コン、コン
ノックをしても返答がありません。
眠っているのでしょうか――万里子は今度は少し強めにノックしてみました。
「……何。少し放っておいてくれと言ったはずで……マール……」
やっと顔を覗かせたネストラードは不満げな口調でしたが、相手が万里子だと知ると諦めたように扉を大きく開けました。
心なしかその顔色は少し青白く見えます。
「ネスト……具合が悪いって聞いたの。気付かなくってごめんね? 大丈夫なの? 部屋の前に護衛の人も置かないなんて、ダメじゃない」
ネストラードは万里子を見ると薄く笑みを浮かべました。
「うん……ごめんね。ホラ、僕初めての長旅で疲れちゃったみたいなんだ」
「本当? 本当にそれだけ?」
「――うん」
今度は少し視線を伏せて小さく頷くだけです。
その様子に万里子が再度口を開こうとすると、ネストラードが大げさに溜息をついて唇を尖らせました。
「だってさぁ、なんだかんだ言って、マールはここんとこ移動続きで旅慣れしてるじゃない? 僕ってば宮殿から出た事ないんだよね」
「……そっか。ずっと暗闇で宮殿の門は閉じられてたんだもんね」
そしてネストラードの言う通り、万里子はこの世界に来てからというもの地下神殿からナハクの村へ、その後サイナに行き、そして王都へと向かい、式典のためにとうとう隣国スイルにまでやって来ました。
知識だけはネストラードの方が勝るのでしょうが、この世界を実際に見て回っているのは万里子の方が多いのです。
「でも……さ、マール。僕お願いがあるんだけど……ちょっとだけ、ぎゅーってしていいかな」
万里子は驚きましたが、俯いたままのネストラードが心配で、そっと近づくとぎゅうーっと抱き締めました。
背丈はいつのまにかネストラードの方がほんの少し高くなっており、万里子は少し背伸びしないとネストラードの肩に顎を乗せる事が出来ません。
自分で言い出したにも関わらず、万里子の行動に虚をつかれて一瞬身体を強張らせたネストラードでしたが、すぐに万里子の背中に手を回してぎゅっと抱き締めました。
「そうだね、私ネストより沢山この世界を見てきたね。でもいつか、自分の居場所を見つけるんだ。その為ならどこだって行っちゃうよ」
「自分の、居場所……」
ネストラードがミルファを交わした条件を、万里子は知るはずもありません。
ですが万里子の言葉はネストラードの胸に、ストンと落ちました。
「間違ったら、どうする?」
「どうかなぁ……私間違ってばかりだし。隠れるの止めるって決めたばかりで実は今も自分じゃどう動いたらいいか分からないんだ。でもなるようにしかならないんじゃないかなぁ」
「そっか。それでいいのか」
「うーん……人を故意に傷つけたりするんじゃなきゃ、いいんじゃないかな。私は人も自分も傷つけたくなくて動けなかったんだけど、結局色んな人に迷惑かけちゃったし。動かない事でこうなっちゃったから、今度は動くしかないんだと思う」
背中に回されたネストラードの手の力が一層強まり、万里子は少し息苦しさを感じましたが、ネストラードの胸の中に渦巻いている感情が落ち着くのを万里子はじっと待っていました。
「マール、強くなったね」
「ネストのおかげだよ」
「……僕、の?」
「そうだよ。ネストが友達だって言ってくれたでしょ。優しくしてくれる人は沢山居たけど、迷惑かけないようにって思ってて気を張ってて、ダメな子だって呆れられるのが怖くて。でもネストが友達だって言ってくれて、すごく心が軽くなったんだよ」
「……そっか……。うん、僕も、ありがと」
「んー? なんか良く分からないけど、うん」
二人はそのまましばらく抱き合い、どちらからともなく手を離すと夕食の呼び出しがあるまで色々な話をしました。
* * *
翌日、式典は厳かな雰囲気で行われました。
湖の小島にそんなに沢山の人間が上陸できるのかが心配でしたが、殆どの人間は宮殿前の広場で様子を見守るようです。島にはスイル側は王族と神官、踊り手数名が。ラウリナ側は万里子とネストラード、シアナ、そして護衛のガイアスが二隻の船に分かれて乗船し、島を目指しました。
神殿ではまた数段高い玉座のような場所があるかと思いきや、そこにあったのは祭壇だけでした。
万里子は最前列中央に、女王陛下とネストラードに挟まれ着席します。高い場所に座り、参列者を見下ろす位置で式典に臨まなくて済むのは万里子にとって有難い事でした。
祭壇の奥には薄い幕が張られ、その前には色とりどりの果物が並べられています。式典は貴族の娘達の踊りから始まりました。その後、神官長を中央に神官達が並び祈りを捧げている時でした。
周りの人々と同じように頭を下げて祈りのポーズをとっていた万里子に異変が起きました。
じんわりと、腹部が温かくなったのです。ですが以前の式典とは違い座っていられないような熱ではありません。そっと手を当てると、じんわりと手の平に熱を感じる程度でした。
式典はそのまま終わり、全員が列になって神殿を出たところで、突然万里子の足が止まります。
意識はしっかりしており、皆の後に続かなければと思うのに、足が動かないのです。
空を仰ぎ見ると、いつもよりも大きく見えるヤンテがそこにあり、万里子を明るい光で照らしていました。
ドクン、と心臓が高鳴るとヤンテの光が一層明るくなりました。
その様子に変化を感じた人々が振り返ると、一筋の光が万里子の元に向かうところでした。その先で、万里子は両手を空に掲げています。
閃光がはしるとあまりの眩しさにその場に居た全員が目を瞑りました。
「マ、マール様っ!」
中でもいち早く立ち直ったシアナが万里子に駆け寄りますと、万里子は重ねた小さな手に赤い丸い珠を持っていました。
「こ、これは……?」
「わ、分からない……けど、ヤンテから光が降りてきたように感じて……そしたら持ってたの。ねぇ、シアナさん。これって――」
「ヤンテじゃ! ヤンテがご自身の一部をスイルに分け与えてくださったのじゃ!」
「わ! びっくりした!」
いつの間にか皆万里子の周りに集まっておりました。
大声を上げた神官が、万里子の手から珠を取り上げます。
「姫様! これを安置し祈る為の神殿だったんですな? いや、そうに違いない!」
「なんだと! わ、私にも触らせてくれ!」
「お前達、黙りなさい!」
珠に神官が群がり、我も我もと手を出しましたが、女王陛下の一喝で珠は女王陛下の手に渡りました。
「ほう……まるで小さなヤンテではないか……。神官長、宝珠を神殿に」
「畏まりました」
恭しい手付きで神官長が受け取ると、いそいそと神殿に戻ります。その後を神官が追いました。
「おい、お前大丈夫なのか?」
神官の騒ぎとミルファのやり取りを呆然と見ていた万里子に、ライルが心配そうに声をかけてきました。
夕食の場でネストラードとも意気投合した三人の王子は、万里子にもとても好意的に接してくれます。視線をやりますと、シリルとリスルも心配そうにしておりました。
「う、うん。大丈夫」
「マール、船に乗れる? 手を貸すよ」
ネストラードが手を取り、船に乗せてくれ島を離れると万里子はやっと大きく息をつきました。いつの間にか腹部の熱も収まっています。倒れなくて済んだのはいいのですが、自分の中に居るという『ヤンテの神』がどう反応するのかが分からず、少なからず万里子は混乱していました。
「大丈夫? 今回は意識はあるみたいだけど、ちゃんと僕が分かる?」
「うん。大丈夫。ちょっとびっくりしたけど……」
島の騒動は外から見ていた人々にも伝染しており、広場に戻ってきた万里子は人々の歓迎に迎えられました。
「下がれ! 姫様はお疲れなのだ!」
ガイアスが万里子を庇い、殺到する人々を制しやっとの事で部屋に向かう事が出来ました。
「マール様、まだ少し鼓動が早いような気が致しますわ。夕食まではお部屋でお休みになっててくださいまし。よろしいですわね?」
シアナは神官が島から戻ってきたら話を聞くつもりだと言うと、足早に部屋を出て行きました。
鼓動が早いのは、珠が現れた騒動の所為ではありませんでした。万里子は自分の中で生まれた疑問に、胸が高鳴っていたのです。この仮説を誰かに聞いてもらいたい、そう思っていた時、ネストラードが部屋を訪ねてきました。
「マール。大丈夫?」
「ネスト! うん。大丈夫だよ。前回みたいに苦しいって事も熱があるわけでもないから」
「そう……なら良かった。あのさ、僕……マールに話があるんだ」
何やら言いにくそうに口ごもるネストラードが部屋に入って来ると、万里子はネストラードの手を握り締めました。
「私もネストに話があるの! 大きなヒントを得たかもしれないのよ!」
「え? ヒント?」
「そう。私が今日手に持ってたあの赤い珠なんだけど……あれ、私の荷物を入れ替わりになった鞄から出てきた赤い珠に似てない? きっと同じ物だと思うんだ! あれには季節星もついてたけど、意味があるのかな?」
万里子が興奮気味に捲くし立てます。鞄にあった珠も同じ物ならば、あちらもヤンテがもたらした物に違いありません。一緒に入っていたあの膨大な資料が手元に無いのが悔やまれます。
「あぁ、早くラウリナに戻りたいな。ね? ネスト。――そういえばネストの話って何?」
「――え? あ、ああ。うん。僕の話は後にするよ。そうだな……僕も早く戻りたいよ」
せっかく喜んでいる万里子に、ネストラードは自分が決めた道を話す事は出来ませんでした。