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74.ミルファの魂胆

 翌日、万里子は身体を起こして目を擦ろうとして瞼がぷっくりと膨れ上がっている事に気付きました。

 昨晩湯浴みの為迎えに来たレニーが泣きはらし真っ赤になった目を心配して、就寝のその時まで水に浸した布で瞼を冷やしてくれたにも関わらず、それはそれは酷い状態でした。

「お早う御座います。姫様……まぁ、お顔が……あぁ、擦ってはいけませんわ。本日の朝食はこちらのサロンに運ばせましょう。陛下にはそのようにお伝えいたしますわ」

 万里子はレニーの提案に、有難く頷きました。

 昨夜あのようなやり取りをしたばかりです。クラムルードと顔を合わせるのは気まずさがありました。

 万里子の脳裏に、クラムルードから投げかけられた冷たい視線が甦ります。乱暴に掴み上げられ、突き放すかのように突然離された腕を、万里子は知らず知らずさすっておりました。

(きっと、アイツだって今朝私と顔を合わせるのは嫌なはずだわ。あの目つき……どう考えても嫌われてるもの)

 なぜ、兄上の手を取らなかった――クラムルードはそう万里子を責めました。万里子は今楽な方に逃げても本当の意味で笑顔になれないと思ったからでしたが、クラムルードは万里子が早々に目の前から居なくなる事を願っていたのかもしれません。たとえヤンテの依代が消えたと周りに知れ騒ぎになったとしても、その問題に立ち向かう方が万里子を婚約者として側におくよりマシだったのかもしれません。それほどまでに嫌われている。万里子はそう考えていました。

「だって、あんなに綺麗な婚約者が居るじゃないの……」

「え? なんでございますか? 姫様」

「えっ? あぁ……ええと……ほら、ここに乗り込んできたお嬢さまがいらっしゃったじゃないですか。あの人、自分の事を陛下の婚約者だと言っていました。私のような微妙な立場の人間が居なかったら、ふたりを苦しめる事は無かったんだろうなーと思っていたんです」

 するとレニーが困ったように眉尻を下げました。

「それは……姫様が気にする事ではございません。それにあのお二人のご婚約も、実は宰相様の仕組まれた事なのです」

 カナムは出生率の低い一族で、一族の色である赤の要素が薄いレニーですら、それはそれは宝物のように大事に育てられたのでした。

 そうして一族の中でもその色を濃く受け継いで生まれたのが、先日女王の棟を訪れたムムカだったのです。年が近い事もあり、王はカナムの一族であるべきと考える宰相は、すぐにムムカをクラムルードの婚約者に仕立て上げたのでした。

「でも……そんなのよく当時の国王陛下が許しましたね?」

「ムムカ様がお生まれになった頃、既に国王陛下は病に臥しておられ、王の棟からお出になる事は滅多にございませんでした。代行として動くのは全て宰相様……国王陛下のお耳に入れぬよう、幼い婚約者を宮殿の一角に招く事など造作も無い事だったのです」

「そこにクラムの意志はあったんですか?」

 クラムはあの気性です。当時はだいぶ幼かったでしょうが、グランデの好きにさせるはずはないのではないかと思えました。それでもその婚約話を受け入れたのならば、それはクラムルードの方もムムカを憎からず想っているのではないかと万里子は考えたのです。

 ならば、同じくグランデに嵌められたとはいえ、今の万里子の存在は想い合うふたりの邪魔者でしかありません。自分に向けられる冷たい視線や乱暴な物言いはそうでなければ説明がつかない気がしました。 

「最初は嫌がっておいででした。ですが、実は陛下――クラムルード様には少し女性嫌いの気がございまして。きっと幼き頃よりお妃候補として様々な令嬢を押し付け……いえ、まぁそのような事を画策する貴族もおりまして辟易していらした所に、グランデ様が囁いたのです。ならば、形だけでもムムカ様とご婚約されては? と……」

「グランデさん……策士ですね」

「ええ。夜会などどうしてもエスコートが必要な場でご一緒な位で、ムムカ様も普段は客間の方で家庭教師について花嫁修業をしておいでです。あまりに二人を会わせてはクラムルード様が婚約破棄を言い出しかねない、という宰相様のお考えがあったようですわ」

「え? じゃあクラムはムムカさんを好きだったわけじゃ……」

「いいえ。クラムルード様の女性嫌いはご婚約後も変わりませんでした。ですからムムカ様も下手に動けなかったのでございます。ですが、お二人の中が進展していないのをいい事に、姫様をお妃候補にするなど、宰相様も此度の事は少し乱暴ですわ。いくら姫様に他国から手を出されぬようにとはいえ……」

「そ、そうですか……。二人は恋人同士ではないんですか……」

「ええ。クラムルード様の方からお会いになる事など殆ど無く……いけない。そろそろサロンに参りましょう。セシュラが食事の用意をしてくれているはずですわ」

 レニーに促され、立ち上がった万里子はホッとしたように深く息を吐き出し、自分が息をつめてい、ぎゅっと寝台のカバーを握っていた事に気付きました。

(緊張してるのかな。今日、いよいよスイルに行くんだもんね)

 ネストラードもシアナも同行するとはいえ、ヤンテの依代として儀式を上手く乗り切らなければなりません。無理矢理連れて来られたとはいえ、ラウリナの国には沢山の大切な人が出来たのです。

 ミルファの言う事をどこまで信じて良いか、万里子にも不安はありましたが、精一杯努めてこの場所に戻って来なければ、と強く思いました。



 * * *



 スイルの国は話に聞いていた通り、とても平坦な土地でした。

 山は無く空が広く感じられます。鬱蒼とした森もなく、草地のあちこちに点在する大小の湖の近くに寄り添うように小さな林がありました。

 湖と林の間を縫うように作られた道は蛇行して時折陸船ペガロが左右に揺れました。

「わっ!」

 窓から外の流れる風景を見ていた万里子は大きく体勢を崩し、傍に控えていたシアナに支えられてなんとか転倒は免れました。

 陸船ペガロは三台が連なって走っています。通常であれば揺れは殆ど気にならないのですが、この旅では速さを重要視した為、気をつけていなければ転んでしまいそうです。万里子は外の景色を眺める事を諦め、ソファに深く腰掛けました。

「大丈夫でございますか? 今回、途中の小国ではまだ混乱が収まっておりませんので宿屋が手配できないのです。スイルにはもう入っておりますのでまもなくですよ」

「はい」

 

 出立は万里子の望みで静かに行われました。

 ジルやグリューネを始め、見知った顔が並ぶ中にはクラムルードに控える形でイディもおりました。皆が次々と万里子に声をかける中、クラムルードとイディは動きません。視線は感じておりましたが、万里子は二人を見る勇気がありませんでした。

 それでも陸船ペガロに乗り込む際、後ろ髪ひかれる思いで振り向き、精一杯の大きな声で「行ってまいります!」と二人に向かって言いました。

 クラムルードはそれに顔を顰めましたが、イディは驚いたように目を見開くと、力強く頷いてくれました。

「伝わってると、いいな」

「――きっと、伝わっておりますよ」

 シアナはただそう言いました。食事会の後、打ち合わせの為クラムルードと残ったシアナでしたが、クラムルードとイディの様子がおかしい事に気付いていたのでしょう。それでも多くは聞かないシアナに、万里子は感謝し、また頑張ろうと思えたのでした。


 少しすると、窓からキラキラした光りが入ってきました。

 それはヤンテの光によって乱反射し、陸船ペガロの中をくるくると回ります。

「宮殿に到着したようでございます」

 窓から見える景色も、いつの間にかゆっくりになっています。

「外を見ても構いませんか?」

「ええ。大丈夫でございますよ」

 シアナに訊ねてから外を覗くと、大きな湖を両翼で抱き締めるように背の低い青い建物が立っています。氷の宮殿のようなそれは外壁に繊細な彫刻が施され、その凹凸がヤンテの光の乱反射を作っているようでした。

 湖の中央には、小さな島があり青い三角屋根の棟が印象的な建物があり、周りには沢山の人々がおり建物を飾っています。

「姫様。水の宮殿――通称水宮の前にあるこの大きな湖が緋湖ですわ。この湖のほぼ中央にある小島に、この度ヤンテのお言葉により神殿が建てられました。儀式はあの神殿で行われます」

「あそこで……」

 神殿を実際に目にして実感が沸き、万里子はぎゅっと拳を握りました。

「マール様。ご準備を。宮殿前に女王陛下もいらっしゃっております」

 シアナの言葉に視線を宮殿に戻すと、横長の建物の中央にある観音開きの大きな扉があり、左右にはズラリと人々が並んでおりました。その中央には淡い紫の衣を纏ったミルファが堂々とした佇まいで立っています。

 陸船ペガロが音も無く静かに止まると、人々は丁寧に腰を折り頭を垂れます。その間をミルファは真っ直ぐに歩き、陸船ペガロのすぐ近くまでやって来ると最後シアナに助けられながら陸船ペガロを降りた万里子を見て恭しく礼をとりました。

「姫様。此度はようこそスイルへ。最初に行われる季節星の儀式、この記念すべき回のご出席をこのスイルに選んでくださった事、大変光栄でございます」

 ミルファの言葉に、出迎えの場に居合わせたスイル人からざわめきが起こります。マールやラウリナ国王陛下の王弟ネストラードの手前、それは控え気味にではありましたが、それでもミルファの言葉は、ヤンテの姫君がラウリナのヤンテ神殿でも盛大に行われるであろう儀式への参加を蹴ってまでスイルを最初の地に選んだと思わせるのに充分でした。

 その言葉にいち早く反応したのはシアナでした。反論しようと口を開きかけましたが、万里子はシアナの手をぎゅっと握り、シアナを制しました。

「おお。姫様だけではなく、ラウリナ国王弟ネストラード殿もおいでとは。ここスイルはネストラード殿にとっては故郷も同然ですわ。全国民が歓迎致しましょう」

 ミルファの言葉は益々芝居がかったものになり、頭を垂れたままのスイルの人々は益々好奇心を刺激されたようでございます。

「姫様。此処に居る者達は姫様のご到着を心待ちにしており、短いご滞在期間楽しんで頂けるよう心を砕いて準備を致しました。一言お言葉を頂ければ皆も喜びましょう。顔を上げさせても宜しければ……」

「あ、はい! あ、あの。短い間ではありますがお世話になります」

 居並んだ人々は一斉に顔を上げ、深々とお辞儀をする万里子を見て、なんて可愛らしい姫様だと顔を綻ばせました。

 が、次の瞬間人々の目は驚愕に見開きました。

「ほ、ほら。ネストもちゃんとご挨拶を!」

「え? あぁ、えっと……世話になる」

 ざわつきが一層大きくなります。

「メリル様……メリル様にそっくりじゃ……」

「なんて事……!」

 その傍でミルファは口角をくっと上げ、満足気に人々の反応を見ておりました。

「さぁ、皆静まりなさい。お二人は長旅でお疲れですわ。さぁ、ディナス。女官に案内させなさい」

 はっとしたように人々は静まり、奥から数人女官が出て着ました。全員淡い青色のお揃いの衣を着て、胸元にリボンがついています。宮殿で働く女官の制服のようです。

「ご滞在の間、お世話させて頂きます。お部屋にご案内致します。こちらへどうぞ」

 女官の言葉に、やっと大勢の視線から解放されるとホッとした一行が歩き出しました。

 その姿が見えなくなり、出迎えに出た人々も戸惑いながらもそれぞれの持ち場に戻ろうと動き出し、ミルファはとうとう笑いを抑えられなくなり手にした扇で口元を隠しました。

「ディナス! 見たか。皆のあの反応を」

「ええ。皆の印象に強く残った事でしょう。ですが、姫君の事は本当に諦められるのですか? ヤンテの姫君がスイルの保護下にあれば、ラウリナの脅威など――」

「ディナス。お前は姫君を攫おうとしたジャーレがどうなったか知っておろう。私はそのような危険な賭けはせぬ。じゃが――姫を諦める代わりに、それ相応の代償は欲しいものよ。あれ程にスイルの血を濃く受け継いでおるのだ。可愛い甥のネストには、こちらに残ってもらおうとするかのう」

 フフフ……いよいよ声が抑えられなくなり、ミルファは楽しそうに笑い声を上げたのでした。


 


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