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69.許婚

嫌々ながら連れてこられた王妃の棟でしたけれども、その一番奥にあります寝室に足を踏み入れた万里子はほうっと大きな溜息をつきました。


クラムルードに引越しを告げられた後、ふたりが口論している間にも荷物は着々と運びこまれており、既に万里子が身ひとつで移動するだけになっていたのでございます。

結局、先日接見の間で起こった出来事を考えるとこのまま王女の棟に残るのは不安だというシアナの言葉に、万里子も渋々頷きこうしてやって来たのでした。


最初の控えの間で、万里子はセシュラとレニーに出迎えられた万里子は、困ったように微笑むだけでした。

それから何度溜息をついたでしょう。

最奥の寝室に入ってからも、大きな溜息をつく万里子にセシュラは心配そうに万里子に声をかけました。


「あの……姫様。大丈夫でございますか?まだお加減がよろしくないのでは……」


「素敵……」


「は?」


セシュラが万里子の表情を窺いますと、万里子はうっとりとした目で室内を見渡しました。


「素敵です!このお部屋!」


王妃の棟の寝室は落ち着いた色合いの胡桃色の丸みを帯びた家具が配置され、壁の色は柔らかな乳白色で、先ほどまで滞在していた綺羅綺羅しい部屋とは違い、万里子は感嘆の溜息を付いていたのでした。


「それはようございました。このお部屋は陛下がとても心を砕かれて……」

「わぁぁーー!これ!これ私が染めた布!」


初め万里子の足取りはそれはそれは重かったので、心配していたセシュラではございましたが、万里子の様子が変わっていた事に心底ホッとし、言葉を遮られた事などは気にせずににこやかに先を促しました。


ソファに無造作に置かれたクッションや、窓に取り付けられた薄いカーテンが外から注がれるヤンテの明るい光を柔らかいものに変えており、一見地味な色合いの組み合わせの室内を淡い橙色が彩っておりました。

勿論それらの布は全て万里子が染め上げたもので、その様子に万里子は胸がいっぱいになりました。

仄かに灯る灯篭のように所々に明るく配置された懐かしい布達の中、万里子の目を惹くものがありました。


「こちらはグリューネ様がお持ちになったのでございます。姫様が作られた物が身近にあった方が心穏やかになられるだろうと陛下が……」

「初めて成功した布まで……!ベッドカバーになってる!すごい!グリューネさんいつの間に作ったんだろう?」


「そちらの布は特に陛下が気に入ってらして……」

「ふかふかー!」


一気に飛び込むと、万里子はその柔らかさを堪能し、顔を埋めました。


「まぁ……姫様ったら」


その様子をセシュラはフフフと微笑みながら見守っておりますと……。


「なりません!ムム様!ムム様!お待ちください!」


外から慌てたレニーの声が聞こえました。控えの間に残っていたレニーでございましたが、誰かがやってきたようです。どんどん音が近くなる事を考えると、どうやらムムとかいう人物がレニーを振り切り向かってきているようでございます。


「えっ?何?」


「――姫様、すぐにお立ちくださいませ」


「えっ?あ、ハイッ!」


少しもたつきながらも寝台から降りた万里子の耳に、耳を劈くような高音が響きました。


「ちょっとっ!ここ開けなさいよっ!」


「えええ!?」

「いけません姫様、まずは私が対応致します」


セシュラは急いでそういいましたが、時既に遅し。万里子が手を叩いた後でございました。


現れたのは赤い巻き毛が印象的な美少女でした。

普段の万里子ならばうっとり見蕩れてしまう程の美しさでありましたが、その顔には憤怒の表情が現れ、キッチリとくるくる巻かれた巻き毛は生き物のようにゆらゆらと揺れておりました。

細い腕に遠慮気味にかけられたレニーの手は小さく震え、この少女の気迫が窺えます。


「放しなさい!私はお前如きが軽々しく触れていい人間ではなくてよ!」


キツく睨まれ、レニーは身体をビクリと大きく震わせるとすぐに手を放しました。

少女はレニーに触れられていた箇所を軽くはらうと万里子の前に立ちはだかるセシュラに向き直ります。

万里子にはその動作がとても高慢に映り知らず知らずの内に眉を寄せてしまいました。

それがどうやら少女を更に刺激したようでございます。


「あなた、どういうつもりでこの部屋を使うの!?」

「ムムカ様!姫様は陛下のご命令で――」

「何ですって!?クラムルード様が言うわけないでしょ!私を――許婚である私を差し置いて!!」


「え」


(許婚!?え……じゃあ……)


「じゃあ、この棟はあなたの……」


戸惑いながらも口にしたその言葉に、少女の眉は一段と釣り上がりました。


「そうよ!私が住む予定だったんだから!マリー様が現れた時には、あの方ならば仕方ないと一時は諦めましたのよ!でもあの方はとてもお優しくて、クラムルード様の妃にはならないと約束してくださったのよ。それなのに!」


「ああ……あの子はマッチョ好きだったから……」


「まちょ?それはなんですの?」


「大柄で胸板とか腕が厚くてムッチリ太い人です。そう、ガルディス人のような!」


「つまり、マリーさまはガルディスのような、まちょという男がお好きなんですのね?でもあなたは!?あなたクラムルード様の妃の座を狙ってこうしてやって来たのでしょう!?」


一時落ち着いた赤毛がまたもや愛らしい顔の周りをうねり出しました。


「ない!無いです!興味ありません!私の好みも全然違います!もっっと優しくて笑顔が素敵な人がいいです!」


万里子の言葉にムムカの勢いが削がれたところでセシュラが咳払いをした。


「恐れながらムムカ様、姫様は王女の棟にて攫われかけたのでございます。その為にこの度住まいを変える必要があったのですわ。あちらは危険なのです。ムムカ様もまた闇に戻ってしまうのは嫌でございましょう?」


「そ、それは……。それはそうだけど!!でもこの部屋は!」


「ムムカ。いい加減にしなさい」

「おじいさま!」


突然割り込んできたしわがれた声はグランデのものでした。

開けられたままのドアから、レニーが申し訳無さそうに顔を覗かせます。


「申し訳ございません……ムム様を迎えにいらしたとの事でしたので、ご案内致しました」


「そんな、おじいさま。私ここで引き下がるわけには!」

「姫様、孫娘がご迷惑をおかけしました。連れてゆきますので、今日のところはこれで許してもらえんでしょうか」


「は、はぁ……」


それでもなにやら喚いているムムカではありましたが、グランデがあっという間に引きずって行ってしまいました。


「今の……ええっと、あの人が未来の王妃様で、この棟を使う予定だったって事でいいんでしょうか?」


その言葉に、セシュラもレニーも困ったように俯いてしまいました。

お互いに顔を見合わせておりましたが、先に口を開いたのはレニーでした。


「ムム様……いえ、ムムカ様は、ご覧いただきました通りカナム族の姫君でございます。実はカナムの一族はなかなか子供が出来ぬのです。他の一族との婚姻でなんとか一族は存続してまいりましたが、それでもカナムの血を濃く引く者は珍しいのです。そんな中ムムカ様がお生まれになり、誰もがムムカ様が王妃様に相応しいと……その……」

「担ぎ上げられて、甘やかされてきたって訳なんですね」


きっとその中にはレニーも含まれているのでしょう。明るいオレンジ色の髪を持つレニーには、燃えるような赤毛のムムカがさぞかし羨ましかった事でしょう。


「そんなお相手が居るっていうのに、ほんとアイツ何考えてんのかしら。信じられない!」


万里子はこの部屋にすぐに移るようにと偉そうに命令したクラムルードを思い出し、また怒りが込み上げてきました。



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「それで。無事移ったか?」


王妃の棟への引越しを終えた事を報告するためにクラムルードの下を訪れたシアナは、側近に伝えたらすぐに戻ろうと考えていたのですが、すぐにクラムルードの執務室に通されました。

目の前でクラムルードは書類に目を落としたまま、視線を上げる事無くシアナに問いかけました。


「はい。マール様は内装を大層気に入られたご様子でございます。慌しい日が続きましたが、陛下のご配慮のおかげで心穏やかに過ごせましょう」


「……そうか。――シアナと言ったな」


「はい」


報告が済み、退室の為に礼を取ろうとしたシアナでございましたが、まだ物言いたげなクラムルードの様子に膝を折ろうとして思い留まりました。


(引越しの確認だけかと思ったのだけれど……何かあるのかしら……?)


「後見についたジル殿は、サク殿をガルディスに派遣する事を決断した為に、今後大神官としての責務をひとりで背負うことになる。私もまた国王として、問題が山積みだ。それは兄であるイディも同じ事。ルヴェル殿は力になってはくれるだろうが、彼もまたサイナの長としての責務がある。グリューネ殿がまた宮殿で働いてくれる事になったからな」


「それは……一体どういう意味でございますか?」


失礼にあたるかとは思ったものの、その言葉の真意を知らないでは万里子に報告が出来ぬと思い、シアナは目の前で忙しく書類仕事を続けるクラムルードに問いかけました。

その言葉にクラムルードは文字をしたためていた手を止め、ほんの少し視線を宙に泳がせました。

どう言ったものか考えているようでしたが、少し逡巡するとシアナに強い視線を合わせました。


「――君には神官としての職を辞して、アイツに四六時中付いていてもらいたい。いきなり人々に傅かれる立場になり、混乱しているだろう。スイルの動きも気になる」


スイルの名を聞いてシアナの滑らかな眉間にもツイと皺が寄りました。嫌な予感がしてなりません。


「ミルファ女王殿下が何か……」


「面会の申し出があった。――受けるつもりだ。アイツには決定事項として伝えて欲しい。ジャーレとの事があったにせよ、ジェルミとも面会済みともなればスイルとだけ面会しないなどと出来るわけがない。式典の姫が偽者だったのもあって……そのあたりも突付かれては断るわけにはいかなかった」


シアナの嫌な予感は当たってしまいました。

ジャーレと面会をしたあの日、シアナの言葉で渋々面会に向かった万里子――その後会えたのは、仮死状態の万里子で……「まさか」「どうして」「もしかして」「あの時止めていれば……」そんな言葉が頭の中を駆け巡りそれ以上に言葉にならず、ただただ身体をさすっていたのを思い出し、シアナは自分自身を抱きしめるかのように両腕を身体に回しました。

あの時言葉を繋げられなかったのは、どの言葉もその先にたった一つのどんな言葉よりもおぞましい言葉が待っていそうだったから……。――『死』。懸命にさする手の平の下でぬくもりが薄れていくあの感覚を、シアナはまざまざと思い出しておりました。


「ですが、マール様おひとりをそのような場に行かせるわけにはまいりません!」


「ああ。だから、王族を同席させる事で納得してもらった。ミルファ殿も、それを受け入れることで害を成すつもりはないと示したいのだろう」


「では、陛下が?」


「いや……私もイディも新体制を整えるのと秋月クリーヴの儀式の準備が同時進行で同席できない。ネストを同席させようと思っている。アイツもネストと打ち解けているようだし」


「まぁ……それは……ありがとうございます」


すると突然クラムルードの焦ったように言葉を詰まらせました。


「ばっ……な、何を……お前からの礼などいらぬ!話は以上だ!さっさと行け!」


退室の礼をしたシアナが扉の前でふと立ち止まり、心に引っ掛かっていた疑問を口にしました。


「陛下、発言をお許しくださいませ」


「――何だ!」


「もしや、この急な引越しはマール様をお守りするためではございませんか?既に王妃の棟に住居を移したという事実は、マール様を時期王妃としてラウリナという国そのものが後ろ盾になったという事……ミルファ女王陛下の行動を読んでいらっしゃったのでは?それに私を近くに置いてくださるというご配慮も、今お聞きしたところ陛下のご発案では……でしたら是非その理由までもマール様にお話しては如何ですか?マール様は大変な誤解なさっておいでです」


するとクラムルードの顔に朱が走りました。


「う、うるさい!いい加減なことを言うな!誰がアイツのことなど!もう行け!俺は忙しいんだ!あ、アイツに余計な事言うなよ!」


クラムルードに目配せされたガイアスがすばやくシアナを外に出すと、そのまますばやく扉は閉められてしまいます。


さすがに国王の言葉に背いて罰せられるのは嫌ですし、このまま万里子に仕えていたかったのでこの話は胸に仕舞うことにしました。

ですが、まだ見ていなかった王妃の棟の寝室を見て、なかった事として仕舞いこむのが正しいのかどうか悩むことになりました。

それほどまでに、部屋は万里子の好みに合うようしつらえられておりました。

落ち着いた色合いの部屋のあちこちに使われている染め布が、さっぱりした室内に温かみを加えております。

その部屋の中で、この部屋の新しい主人はプリプリと怒っていました。

なにやら「サイテーオトコ」だの「女泣かせ」だの言いながら明るい朱色の布を纏ったックッションをぼすぼすと殴る姿を見て、シアナは少しだけクラムルードを不憫に思ったのでした。



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