56.贈り物
「ジルさんにもらったペンダントが……イニスに入ってました」
「それはもしや対話の鏡の為に贈られたものでしょうか?」
「は、はい……」
「まぁ…戻ってくれば問題ないのですが、もしも別の人間が所有欲を出してそのペンダントを自分の物としてしまうと、マール様の対話具としてはもう効果が無くなってしまいます。でも却ってその方が都合が良いのですわ。代わりの品を用意すれば済むのですから。
対話の鏡の道具は、盗み聞きを防ぐ為にひとつしか対応しないのです。現在どなたのお手元にあるか分かりませんが、ペンダントをそのまま放置していたらいつまで経っても代わりの品を対話具として使えませんのよ。ペンダントの所有者が変わったかどうかは、数日様子を見た方がよろしいかと思いますわ。今はそれよりも……衣は如何いたします?」
「ど、どうしましょう…」
「そのイニスには何が入っておりまして?」
万里子は入れ替わってしまった、誰のものかも分からないイニスに視線を戻しました。
「ええっと……本とか、紙が殆どです。あとはなんだろ?珠のような物とか……ガラクタ?」
「どなたの物かしら…書物を後で調べたら分かるかもしれませんわね。でも今はそれどころでは…では、衣のような物は……」
「な、ナイデス……。私のはあのイニスに全部入ってましたし、ここにあるのは(あの子)マリーのだけで……」
「そうですか……それではやはりマリー姫の衣を拝借して…いえ、拝借と申しましても、もうお戻りにはならないのですけれど……それしか方法が無いのではないでしょうか……ちょっと、デザインはあの…奇抜ですけれど…」
イニス入れ替わり事件で、すっかり意識がそれてしまいましたが、万里子はシアナの言葉に、『マリー失踪事件』を思い出し、早速食い付きました。
「シアナさん!彼女…ええと、マリー姫が消えたって聞いたんですけど、消えたってどういう事なんですか?もう戻って来ないって本当ですか?なんでですか?」
「ま、マール様……落ち着いてくださいまし」
「落ち着いていられません!だって、帰るヒントがあるかもしれないのに!」
それまで覗き込んでいたイニスを押しのけ、身を乗り出して聞いてくる万里子に、シアナは心苦しく思いながらも口を開き、真実を伝えました。
「それは……無理ですわ。マリー姫が消えた事こそが偽者である証拠ですのに……。マール様。彼女は、臍に付いていた石を取ったのです」
「へ?……それだけ…ですか?」
「ええ。姫である証拠はふたつありましたわよね?ひとつは、名をサトウマリコという事。ふたつめは、お臍に赤い石がある事……そのひとつが無くなったのですもの。国王陛下が亡くなられ、動揺した神官が数人マリー姫のお部屋…つまりはこのお部屋に、乗り込んだそうですの。ですが、既にお姿も気配も無く、床に赤い石が落ちていたそうでございます」
万里子は開いた口が塞がりませんでした。
(あんなに!あんなに姫っていう立場に執着してたのに、こんなおバカな消え方ってある!?神官が付きまとってうざすぎて相手にしてないって言ってたけど……ちゃんと聞いてたら、ピアスなんて外さないよね!?)
「しかも、纏っていた衣の一部も残されていたみたいですわ。一体半裸でどちらに行かれたのでしょうね?」
そんな事をにこやかな微笑みのままサラリと言うシアナに、万里子は思わず心の中で祈りました。
(あの子の事は正直好きではなかったけど…でもせめて帰った先の日本が夜だったり、人目の無い場所でありますように!!)
トントン。
とても几帳面なノックが響きました。
万里子がまだ慣れない入室の許可をすると、セシュラが箱をいくつか抱えておりました。
「お話中のところ申し訳ございません。姫様にお届け物です。念のため調べさせて頂きましたけれども、危険な物ではございませんでした」
セシュラは箱をテーブルの上に並べると、一旦シアナに向き深々と頭を下げました。
「シアナ様は神官様でいらっしゃったのですね。この度は大変失礼致しました。陛下がお呼びでございます。扉を出たところに、使いの者を待たせてございますのでどうぞ」
「陛下……クラムルード国王陛下が私を?」
「えっ!シアナさん行っちゃうんですか?」
「ええ……衣の件は気になるのですが、陛下のご命令となると……。その後にすぐ手配致しますわ。マール様がジル様のお屋敷に置いておりました衣がいくつかありましたでしょう?それをすぐにこちらにご用意致します。ただ当面は…」
「お話中申し訳ございませんが……衣の件とは…イニスに衣は無かったのですか?」
セシュラの厳しい視線に、万里子は思わず肩をすくめました。
「ええ…イニスが今日の混乱で、ホールで入れ替わってしまったようなの」
するとなんと、今まで無表情だったセシュラが少し誇らしげに大きな箱の蓋を開けました。
中から、真っ赤なドレスが見えました。夏でも涼しい薄く軽やかな生地とさらりとした感触のレースが重ねられ、レースの縁は銀糸で細やかな刺繍が施されており、刺繍の中心にある赤く輝く宝石が見事に映える豪華なものでした。
「これ……」
万里子はあまりに素晴らしいドレスを見て、胸がつまりました。
「これ、グリューネさんの作品ですね……」
「マール様、お分かりになりますの?」
「はい……短い間でしたけど、お手伝いさせてもらってましたもん。分かります。すごい……キレイ」
思わず手を伸ばし、生地を持ち上げると間からカードがするりと落ちました。
万里子はすぐに拾い上げ、カードを開きました。
『ルヴェルがした事、代わりに謝るわ。本当は直接謝りたいのだけれど…今は混乱させるだけでしょうから、先にこれを贈るわね。これはお詫びではないのよ。式典の衣作成を手伝ってくれたお礼と、私にとっては孫も同然の存在となったあなたへの思いを込めたの。あなたに休みを与えた後、ひとりで作ったのよ。あなたの気持ちが落ち着いたら会いたいわ』
流れるような美しい文字は、そのところどころ滲んでいました。
それは、グリューネの涙のように思えました。
「私も、会いたいです……」
「マール様……お会いになりますの?」
「はい!絶対会いたいです!面会って、私からも申し込めるんですか?こんなに綺麗な衣もあるんだから、部屋から出て面会に行けますか?」
「え、ええ…」
トントン。
シアナが何かを言いかけましたが、催促するようなノックに、言葉をつなげようと開いたその口を閉ざしました。
「…申し訳ございません。陛下をお待たせしてはいけませんわね。では私はこれで……」
「シアナさんにもまた会えますよね?」
「勿論ですわ。では後ほど……」
万里子を安心させるようににっこり微笑むと、シアナは部屋を出て行きました。
「さぁ、お体に当ててみてくださいませ。グリューネ様の作ですから、お直しはしなくてもよろしいかと思いますけれど…」
「ハイ!ピッタリです。すごい綺麗!」
元の世界でも動きやすい服を好んでいた万里子でしたけれども、やはりドレスというものに憧れはありました。
グリューネが作ってくれたドレスは胸元の開きも少なく、気になるぷにぷにの二の腕も隠してくれるデザインでした。
自分の体型の悩みや好みを覚えてくれていたのだと、そのグリューネの優しさに万里子の顔には自然と笑みが浮かびました。
「他の衣や下着などは、レニーに用意させましょう。姫様はやはり赤がお似合いですから、カナム人のレニーなら手早く用意できるかと思いますわ」
「ありがとうございます!」
「……専属女官である私達にお礼など必要ありません」
「……でも、ありがとうございます。そっちの小さな箱は何ですか?」
「こちらはガルディスのジャーレ国王陛下からですわ。ガルディスの特産品ですのよ」
その名前を聞き、万里子はピタリと動きを止めました。
(ジャーレって…あの怖い人?あの怖い人!?何?何を寄越したんだろ!?)
テーブルに置かれた小さな箱がとんでもなく危険な物に見えます。調べた後ですから、安全だとはわかっていても、神殿や先程外で見た山のような大男の剣幕が思い出され、開けたくないなぁ…と思ってしまいました。
そんな万里子の変化に気付かないセシュラは、そのまま更に爆弾を落としました。
「あぁ、グリューネ様のドレスがあって助かりましたわ。レニーに急いで手配してもらっても晩餐会用のドレスは無理でしたもの」
恐ろしい言葉を聞いた気がして、万里子はギシギシとぎこちなく首をめぐらせ、セシュラを見ました。
「……今何て言いました?」
「明日の晩餐会にちょうど良いお召し物ですわ」
「ば、ばんさん、かい?」
「ええ。陛下が企画しましたの。本日弔いの儀式がありお忙しいそうですわ。姫様もお疲れだろうから今日はゆっくりお休みになるようにとの事でございます。神託の儀式を改めて行うつもりは無いそうで、そうなりますと姫様と各国の要人のお顔合わせが出来れば良いわけですから。明日、姫様を正式に皆さんの紹介する晩餐会を行うそうですわ。姫様も面会の前に皆さんのお顔を覚える良い機会ですわ」
「という事は……その、その晩餐会とやらには面会の申し込みがあったという人全員参加するんですか!?その、その…」
「勿論でございます。宰相様もジャーレ国王陛下も、ミルファ女王陛下もいらっしゃいます。イルーの方々だけが既に発たれてしまって残念ですわ」
万里子の脳内には、綺羅綺羅しい豪華な広間に巨大なテーブルが置かれ、生まれも育ちも上流階級の紳士淑女が並ぶ光景が浮かびました。その中にひとりぽつんと座り、人々の注目を浴びながら楽しく食事を……
(無理ぃぃぃーーーー!出来ないよーーー!)
そんな万里子の心の叫びは、勿論セシュラには届きません。
却って「今日中にマナーをしっかり覚えていただきますわ!」と、張り切って宣言したのでした……。