55.入れ替わり
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どれ位の時間が経ったでしょう。
万里子は心労もあり、あのまま眠り続けておりました。その眠りを破ったのは、レニーの明るい声とノックでした。
ととん。
「姫様。シアナをお連れ致しました!」
嬉しそうに報告するレニーの声に、万里子は飛び起き「はいっ!」と返事しました。
が、扉は一向に開きません。
「えとー。どうぞ??」
やはり扉は開かず、万里子は扉を開けようと立ち上がったところで思い出しました。
ええっと……あ!手を叩くんだった!
慌てて両の手の平を合わせ、パン、パンッと叩きました。
かちゃり。と扉が開き、レニーが入って来ます。
続いてシアナが万里子のイニスを抱えて入って来ました。
「マール様、イニスをお探しだと聞いたのでお持ち致しました」
「シアナさん!会いたかったですー!」
思わず飛びつく万里子を、シアナはしっかりと受け止め、優しく背中を撫でました。
いつものように、微笑みながら自分の事を呼んでくれて、万里子はどれだけ嬉しかったか知れません。万里子はシアナの背に回した両手にぎゅうっと力を入れました。
「私もです。ご無事でなによりですわ」
「はい。私は無事です。あのっ、これ、イニスがあるって事は、もしかして白玉に?」
「ええ。会いましたわ。心配なさらずとも大丈夫ですわ。あの…お話がしたいのですが、女官を下げていただく事はできまして?」
後半、声を潜めて話すシアナに、万里子は「何て言えばいいんでしょう?」と聞くと、「あぁ、やはりマール様はマール様ですわねぇ」と、褒められたのか呆れられたのか分からない答えが返ってきたのでした。
シアナに教えられた通りにレニーに告げると、レニーは「では御用の際はお呼びください」と礼をし出て行きました。
「でも、ここ話が筒抜けですよ?壁が薄いのか、外の声が丸聞こえなんです」
「それはそのように術がかかっているからですわ。この部屋は、扉が閉まったと同時に発動する結界術がかけられております。侵入者や不審者の存在をいち早く知るために、外からの物音は聞こえやすくなっております。反対に、中の物音は外には漏れません。重要な話を聞かれたら困りますからね」
「そうなんですか!それで最初私が返事してないのにレニーさん達が入ってきたんですかね?」
「まだ手を叩く合図など、マール様も知らなかった時ですか?それならばまだ分かりますが……手を2回叩く合図だけが、室内から結界を破って外に聞こえるようになっております。もっとも、外の物音が中に筒抜けなのは秘密ですわよ。誰にも申してはなりません、専属女官にもです」
「トップシークレットですか?」
「とっぷ…?よく分かりませんが、ごく一部の人間しか知りません。私は…この術をかけたジル様より聞きました。マール様……ジル様は、貴方をお守りしたいというお心ひとつで、様々な手立てを講じられてきました。様々な想定をされ、それに対する対応をお考えになり……私がいくつか秘密を知っていることが必要だと判断されたのです。それが…当たったようですわ」
「ジルさんが……」
ジルの思いを知り、万里子は目頭が熱くなるのを感じました。
「ところで、白玉の事ですけれども……」
「あ、はい!ほんとに白玉は大丈夫ですか?傷が沢山あったし、血も……」
「ええ。殆どが浅い傷ですので、大丈夫でございます。あの方も白玉があれ程抵抗するとは思わなかったのでしょう」
「あの、方ですか?」
「……ルヴェル様です。マール様、グリューネ様が宮殿に引き止められている事はご存知ですか?」
「はい」
シアナは「実は…」と少し言いよどみ、しばらく考え込むと、決心したようにルヴェルの過去を話し出しました。
「ルヴェル様は、闇の時代にサイナの長であったお父上を始め、お母上とご兄弟全てを盗賊に殺されてしまい、ひとりで生きていくしかなかったのですわ……血を吐く程の努力をされたと聞いております。様々な努力をし、やがて長の座を取り戻したのです。グリューネ様は事件当時宮殿で衣装部を任されておりまして、ヤンテが消え門が閉ざされて、サイナに戻る頃が許されなかったのです。グリューネ様がサイナに戻るまで、ルヴェル様は愛に、家族に飢えていたのですわ……。
この度引き止められましたのも、マール様が絡んでいると思って、クラムルード陛下の指示に従って連れ戻しに向かったのです」
「そう…だったんですか。私が原因だったんですね」
「勿論、宮殿側もグリューネ様の腕が欲しいのは確かですから。ルヴェル様は少しの可能性に賭けたのだと思います。ですから、実は私ルヴェル様が煎じた薬を持ち、後を追っておりましたの」
「え!?」
「あれ程白玉が身体を張るとは驚きましたが、それでも手元にあった薬で治療は出来ましたわ。私の術や薬では応急処置にしかならなかったかもしれませんが、さすがルヴェル様でございます。傷口は完全に塞がり、痛みも無いはずですわ。まだ傷が線として身体に残ってはおりますが、二晩も経てばそれも消えるそうです。白玉には、ナハクに戻るよう言ってありますから、どうかご心配なさらずに……」
「良かった……ほんとに怖かったんです。白玉沢山血を出して……」
「ルヴェル様が……許せませんか?」
万里子はじっと空を見つめ考えると、ゆっくりと首を横に振りました。
「私が出発の時に先にグリューネさんの部屋を飛び出してなかったら…ちゃんと、話してたらそんな事にならなかったかもしれません。それに、私がもしルヴェルさんの立場だったら、家族の為なら同じ選択をしたと思います。方法は違ってたと思うけど…やっぱり連れ戻す道を選ぶと思います」
「そうですか……おひとりで不安でしたでしょうに…ご一緒できず申し訳ありません……ですが、今は浸っている時ではございませんわね。面会が控えているのでございましょう?」
その言葉に一気に現実に引き戻され、万里子は文字通り頭を抱えました。
「そうなんですー!なんでも宰相様とガルディスの国王陛下とスイルの女王陛下から申し入れがあったとかで…三国の代表とまで言われたらプレッシャー以外の何ものでもないですよーーー!」
「あらまぁ。勢揃いですわね。いくつかドレスはお持ちになっておりますか?」
シアナが身体の後ろからイニスを持ち出し、万里子に渡しました。
「あ!ありがとうございます!ジルさんに作ってもらったものと、ルヴェルさんに作ってもらったものと入ってるんですよ。確か何着か持ってきたはずなんです。どうもこの部屋にある衣は私には合わなくて…」
シアナはキラッキラに輝く室内を見渡すと、「そうでしょうねぇ……」と呟きました。
が、万里子に視線を戻した時、万里子の様子がおかしいことに気がついたのでございます。
「マール様?如何いたしましたか?」
「ちがうんです……」
「え?」
「中身がちがうんです!あの、シアナさん、これ、これですか?白玉のところにあったの、これですか??」
必死な様子の万里子に押され、冷静なシアナが少し焦ったように答えました。
「え…ええ。間違いございませんわ。確かにこれです。ひとつしかございませんでしたし……」
「で、ですよね。どうしよう……どこかで入れ替わっちゃったのかな……」
焦りが強くなる中、万里子は色々な事が起こった今日一日の事を必死に思いかえしました。
(ええと…今日私がイニスから手を離した時は……ペガロの中だけだったと思うんだけど…他にあったかな?ええと…ええと……)
「あ!思い出しました!」
「いつですの?」
「今日、帰国する方が沢山居て入り口が混雑してたんです!人も沢山居て、色々なイニスがあちこちにあって……私、ずっと抱えてたんですけど、一度だけ…ペガロに乗る直前座り込んでて、その時は離してました…急に発つ事になって慌てて掴んだんだけど……」
「それが近くにあった別の方のイニスだったのですね?故意にすり替えられたとは考えられませんの?」
「それはないです!だって間違って持ってきたのは私だし、すり替えられて困るような大事なものなんて……ああああー!」
そこまで言って万里子は思い出しました。ジルから渡された対話の鏡に必要なペンダントの事を……。
万里子はこうして、ふたつめの宝物をも失ってしまったのでございます。