51.緑の道
「マリー姫が消えた?」
ジルはたった今聞いた報告を、呆然とした表情でただそのまま問い返しました。
「はいっ!お部屋を訪ねましたところ、ここここっこれがっ!」
見るからに取り乱しているギーシュは震える手をジルに差し出しました。
ぶるぶると大きく震え、神官らしくないゴツゴツした硬い手から小さな光る物が飛び出し、ジルの足元でカツリと小さな音をたてて転がり落ちました。
「あぁっ!申し訳ございません!」
慌ててしゃがみこみ拾おうとしたギーシュをジルが制しました。
「赤い石……これを、マリー姫のお部屋で?」
ジルは流れるような仕草で小さな赤い石をつまみあげると、窓から差し込む光にかざしじっくりと観察しました。
赤い石には、銀色の金属のようなものが付いております。
「お前達は……私にもサク殿にも何も言わず、勝手に姫の所へ?」
手にした赤い石を観察していたジルは、冷たい視線を目の前で縮こまっているギーシュに移しました。
「も、申し訳ございません!!」
慌てて頭を下げるギーシュでしたが、隣に居た男はついと前に出ると落ち着いた声色で話し始めました。
「確かに私達の一存で出来る事ではありませんでした。ですが、突然の王の崩御となれば、ジル様もサク様も陛下の下へ行かねばならぬはず。ただでさえ、今は他国の王族も宮殿に滞在中で混乱は避けられません。ヤンテのお言葉がこうも早く違えるとは問題でありますので、姫に面会し、確認が必要と考えた次第でございます。事後報告となりましたが、間違った事とは思っておりません」
「君は……」
「イルーの地方の神殿に配属されております、ライカと申します」
ジルは、ギーシュよりもかなり若く落ち着いた淡い青色の双眸を持ったライカに会うのは初めてでした。
身につけたローブのデザインでライカが中位の神官である事がわかります。もっとも、中位の神官はジルに会う事はあまりありません。自分とそんなに変わらない年齢のように見える事から、彼はイルーで生まれ育ちそのままイルーで神官となったナハク人かもしれません。それなら会った事が無いのは当然でした。
でも……
(この男、『力』がある……)
「そうか……。ではライカ。姫は消えたのではなく、思いもよらない事態に身を隠しているだけなのでは?なぜ消えたと思うのだ?」
「『コレ』を最初に見つけたのは私です。拾った際、まだ『温度』を持っておりました。私達がお部屋に入る直前まで、どなたかの身体につけられていた物で間違いございません」
ぎょっとした顔をライカに向けたギーシュは、ジルによってすぐさま部屋から追い出されました。
その簡、じっとジルの動きを見ていたライカに、ジルがようやく向き直りました。
「『温度』を感じたのか」
「はい。微力ながら力を持っているもので……」
ライカはそう控えめに言いましたが、ジルはマリーの部屋に乗り込んだ神官達の中にライカが居た事を不運に感じておりました。
ジルには、中位の神官にしては強すぎる程の力を持つ、ライカの身体から発せられる光が見えておりました。
(まさか、これ程能力がある人物がイルーに隠れていたとは…。見抜けないとはイルーに派遣されている高位の神官がいかに無能かが分かるというもの。だがしかし、迂闊だったな。気付いていれば遠ざけておいたものを……!)
悔やんでも後の祭りです。それ以上の事を気付かないでくれれば良いのだが……そう思ったジルにさらにライカが言葉を続けました。
「ジル様……この石でございますが、ここに付いている金具はどうも身体に取り付ける為の物のようです。取り外しが自由に出来るとなると、これは最初に予言された姫の条件とは異なります。マリー姫は偽者なのではないでしょうか」
その言葉に、ジルは嘆息すると窓の外に視線を移しました。
(マールは……無事、王都を出ただろうか……)
マールは、遠ざかるざわめきに耳を傾けましたが、人々が口にしている言葉までは聞こえませんでした。
「白玉。ねぇ、白玉には聞こえる?なんか随分騒がしくなってたけど、何かあったのかな?」
問いかけても、答えは返ってきませんでした。
(あ、そうだった。王都では話せないんだった)
その事を思い出し、大人しくソファに座る事にした万里子でしたが、やっぱり外の様子が気になります。
(門を出たら大丈夫なんだよね?もうすぐかな……)
関所が近づいてきて、万里子はやっと白玉を話せると門をくぐるのを今か今かと待っておりました。
不思議な事に、関所には誰もおりません。
(入る時に居たあの怖い男の人もいないし……厳しかったのは式典前だけだったのかな?)
そんな事を思いながらすんなり関所を通ると、手入れのされていない鬱蒼とした緑が万里子と白玉を迎えました。
すると、白玉は速度を上げ、道を逸れて大きな木々の生い茂る森へと向かいました。
「あれ?白玉どしたの?こっちには道はないよ?」
思わず窓から身を乗り出して、ペガロを引く白玉の後姿に向かって呼びかけました。
『姫様、これからもっと速度を上げます。危険ですから、身を乗り出すのはおやめください』
「…どしたの?何かあったの?みんな…みんな変だよ。なんで言ってくれないの?何かあったんだって事は、私にだって分かるよ!」
『姫様……』
いつもはゆっくりと静かに走る白玉は、森の中を猛スピードで走り抜けます。
その速さに木々の間をすり抜ける際、しゅん!ひゅん!と鋭い音がし、万里子は慌てて窓辺を離れました。
「何があったの?どうしてサイナの皆と離れて、道も外れて森をこんな速く走らなきゃならないの?」
『おひとりにして申し訳ありません……実は…ラウリナ国の国王陛下がお亡くなりになりました。先程の鐘の音はその報せです。大神官であるジル様がこの世界全てに響き渡らせたのです』
「え?だってあの…ヤンテが国王の病状は回復するって言ったんじゃないの?」
『そうです。ですから今、まだ各国の王族や有力な貴族の滞在する王都は大変な混乱の中にあります。……もしかしたら、姫様にも火の粉が及ぶ可能性がありました』
「……ごめんなさい。私…ほんとにみんなに迷惑かけてる……」
『……ギリギリだったんです。国王陛下の病状は思わしくはありませんでしたが、まさかこんな早くに亡くなられるとは……イディ様も想定外だったのでしょう。本当はマリー姫が本格的に疑われる前に姫様を王都から遠ざけるおつもりでした』
「あ!……ヤンテの言葉が間違ってたから?あの子が疑われたら……」
そこまで考えがたどり着き、万里子は言葉にしましたが、白玉はその問いには答えませんでした。
(あの子が疑われたら、私かもしれないって話になるんだ……)
この世界に来た時、神殿には沢山の神官がおりました。
その全員が、最後まで残っていた万里子を知っています。そして、万里子の居場所をジルが知っているであろう事も……。それなのに、今自分はどこに向かおうとしているんだろう…たったひとりで、どこに行けるっていうんだろう……万里子は、どんどん濃くなる緑の木々を見つめました。
「あの、どこに行こうとしてるの?森の奥に何かあるの?」
『サイナの長老の森ですよ。あの泉のほとりに戻りましょう』
「でも、道から外れてるよ?こっちでいいの?」
森の奥に進むに連れて、どんどん暗く木々の隙間も狭くなっていきました。そんな中でも白玉はぶつかる事なくすり抜けて行きます。
『最短経路を進んでおります。精霊と聖獣はお互いを傷つけません。友好関係にありますから、ぶつかる事なく、道を作ってくれるのです』
するすると、ちょうどペガロが通れる幅まで道を作られていきます。
それはまるで緑の精霊には白玉の行き先が分かっているかのようでした。
ただひたすら真っ直ぐ突き進んでいたある瞬間、突然緑森の動きが変わりました。
何かに反発するかのように、ざわざわと不快な音を立てて進路を作っていきます。その形は、先程までのようなまっすぐな道ではなく、いびつな形を作っておりました。
葉が窓にぶつかり、ペガロの中に数枚はらはらと落ち、がくんと軽い衝撃を感じることもありました。
「どしたの?何かが起こってるの?」
『申し訳ありません…精霊の心が荒れております。進路が曲がってしまって、これでは……』
「これでは??何?」
白玉の話の先を促そうと聞いた途端、今までにない衝撃でペガロが突然止まりました。
「な、何っ?」
恐る恐る窓から外を覗くと、木々を無理矢理動かしたかのようないびつな形の小さな広場が出来ており、一際大きな木のそばに長身の人影が見て取れました。
『やはり……あなたですか』
男は木の幹をひとなですると、広場の中心へと歩を進めました。ぽっかりと空いた広場に上から差し込む光を受け、次第に姿を現した男は、万里子にとって余りにも身近な人物でした。
「ルヴェルさん……」
「おかえり、マール。さぁ…みんな君を待っているよ」
その言葉と共に、また木々がざわざわと嫌な音を立てて移動します。
完全に開けたその先には、遠ざかったはずの王都の関所が見えました。