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この小説の中では、王族に仕えている女性を「女官」。貴族や金持ちに仕えている女性を「侍女」と分けています。
「サク殿、陛下のご様子は?」
ジルは、自分よりも数段やつれた顔をしているサクに問いかけました。
王の主治医でもあるサクは、このところ診察のため王の下へ行く回数が増えておりました。
「あまり……よろしくありませんな…。ヤンテのお言葉では、体調は回復し、また国民の前に元気な姿を現すとの事だったのじゃが……」
「が…?なんです?」
「果たして、それは本当にヤンテの言葉だったのじゃろうか?」
「…どういう…事です?」
「あの時、ヤンテはもう消えかけておった。それを呼び止めて、こちらが問うたが…途中からその声はマリー姫のそれに変わっておった。それに、ゼスの言葉も気になっての……ヤンテの姫は、貴方が連れ出した少女の方だったのではないだろうか…」
ジルに大神官の座を譲ってからというもの、一歩引いたような態度に徹していたサクが、初めてジルに意見しました。
「彼女を…姫ではないと突き放したのは、儀式の間に居た神官達ですよ?私は残された少女を引き取ったまで」
「ジル殿……わしの術が精確でなく複数の候補が残った事はわしの落ち度じゃ。それを病に臥せっておられる陛下に告げる事ができず、『それらしい方』に姫になってもらった。ヤンテは復活したのじゃ。ひとりは姫として宮殿に。もうひとりはジル殿、貴方が引き取った。どちらかは本物なのだからふたりがこの世界に居る限りヤンテは再び消える事はないじゃろう。サトウマリコなる人間を召還したのは、ヤンテ復活の為。その者はこちらに来た瞬間に役割を終えたも同然……役割を終えたふたりは、もう形だけの姫を演じていれば良かったのじゃ。だから、『姫を演じるのはどちらでも良かった』のじゃ。もうひとりの待遇も、貴方にまかせれば不自由は無く過ごせるじゃろう。ならばわざわざ陛下に全て報告して煩わせる事はないと思ったのじゃ……だがそれは、拠代としての新たな役割が判明するまでの話……ヤンテが現れても姫が元の世界に戻らなかった理由がこれではっきりした。そうなると…『姫は本物でなければ意味がない』のじゃ」
普段穏やかに微笑んでいる、沢山の皺が刻まれたサクの瞳が、今は別人のように厳しくジルを見つめておりました。
「ゼスは…なぜマールが本物の姫だと?」
わざと話題を逸らしたジルに、サクは片眉をピクリと動かしましたが、追求はしませんでした。
「詳しくは話さぬ。ただ、あの少女に王族が関わっている事だけは分かった。関わったという王族が、もしゼスに口止めしていたら…ゼスにそれを破る事は出来ぬ。これ以上詳しい事は聞きだせんだろう…ただ、言い出したのが式典翌日じゃ。殆どの者が、式典後は夜会に出ておりお互いがお互いの姿を見ておる。お出になれなかった陛下と……途中誰も姿を見ていないクラムルード殿下以外はな…」
「クラムルード殿下が…マールに接触したと?」
「多分の。……クラムルード殿下が…グリューネ殿に衣装部の責任者に戻るよう申し付けられた。それは知っておりましたかの?…その少女が関係していると思うのじゃが…確かあの少女は今は…」
「サイナでグリューネ殿の手伝いをしております。この度もグリューネ殿の供という名目で王都に入っております。グリューネ殿を引き止め、マールの事も帰さないおつもりだと?」
「そう単純な話かは分からぬが…そのように命ぜられたのは、式典の翌日じゃ。何かが…その日から動き出したようでのぅ……」
その時、サクの部屋の壁にかけられた鏡がぼんやりと光りました。
「…サク殿、対話の鏡が…」
「…陛下付きの女官にはすぐに連絡できるよう神官を配してあるのじゃ。何か、あったか?先程診察したばかりなのじゃが…」
ぼんやりとした光は、色を濃くしたり途切れたりとかなり不安定な輝きでした。
程なくして映し出された中年の女官服の女性はかなり取り乱しております。
「サク様…サク様!陛下が!!早くいらしてくださいませ。早く!!」
その様子に、サクもふらりと足元が覚束なくなりかろうじて杖で身体を支えました。
とっさにサクの痩せた背に手を回したジルは、サクの身体がかすかに震えている事に気がつきました。
「サク殿…もしや…?」
「ジル殿、悪いが王の棟まで連れて行ってもらえぬか。もしもの時には…大神官であるジル殿の力も必要じゃ。間に合うといいが……」
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「おおおおおお嬢さん?どっどこか具合でも悪いのかしらっ?」
突然声をかけられ背中に手を置かれた万里子は驚いて振り返り、相手の顔をまともに見つめてしまいました。
(あ!また嫌な顔されちゃう!)
すぐに俯こうとしましたが、予想外に優しい声が降ってきました。
「具合が悪いのでしたら、私達の部屋で休みませんこと?」
(あれ?怖がらない?)
万里子が嬉しくなってまた顔を上げようとした時、急に強い力で腕を引かれました。
「イタッ!イディさん??」
「悪い。マール。緊急事態だ。すぐに出るぞ」
「え?え?」
何がどうなったのか、聞く暇も抗う間もなくホールから引きずり出されます。
イディの勢いについて行けずに、またあちこちのイニスを倒し、人にぶつかり、でもなんとか先程の優しい声の女性にお礼の言葉を叫びました。
外に出ると久しぶりに会う白玉がおりました。万里子を見つめて首を上下させています。
話さなくても、白玉も万里子に会えて喜んでいるのが分かり、万里子は白玉の毛並みの良いつやつやの首元に抱きつきました。
そうこうしている間にも、イディはペガロの連結をはずしにかかっておりました。
手際よく万里子が使用していたペガロだけにすると、白玉に繋ぎ、万里子を抱えるとペガロの中のソファに少し乱暴に座らせました。
「イディさん?どうしたんですか?なんか…怖いです。皆も来てないですよ?れ、連結はずしちゃって、どうするんですか?」
声が震える万里子を安心させるように、イディはいつものように大きな手で頭をかき混ぜました。
「悪い。詳しくは王都を出たら白玉から聞いてくれ。ここからはひとりだ。無事、帰ってくれ」
そう言うと一瞬だけ、ぎゅうーっと万里子を抱きしめると、イディはあっという間に外に消えました。
強い力で抱き潰され、「うぎゅ!」と声を発した万里子でしたが抗議しようとした時、既にイディの姿は無く、ペガロは走り出しておりました。
強い圧迫から急に解放された体がなんだか心もとなく感じ、窓から身を乗り出して後ろを振り向くと、大きな大きな宮殿の棟のひとつから黒い煙が見え、次の瞬間、大きな鐘の音が鳴り響きました。途端に騒ぎ出しうろたえる人々…その様子がどんどん小さくなっていくのを、万里子はただただ眺めておりました……。
ゴーン ゴーン
鳴り止まない鐘の音に、マリーは苛立ちを隠せませんでした。
ただでさえ式典の後、贈り物や面会の申し出が急に増え、その多さに辟易していたのです。
最近ではそれを取り次ぐ女官の存在すら鬱陶しくなり、必要最小限しか用事を頼まず、後は棟に入れないようにしておりました。
そうでなければ安心して本来の姿になれないのです。カラコンはもう限界でした。まつげエクステだって、メンテナンス出来てません。ナプキンの在庫も底を尽きました。ウィッグだって最初の艶やかさはもうありません。
盛ったり結ったりで、もうボロボロです。
「あーイライラする…っ」
こんな時は気分転換が必要だと、新しく作らせた衣を試着してみることにしました。
今着ているものはシースルーの生地を何枚も合わせグラデーションになっているミニ丈の衣で、宮殿の若い女官には大好評でした。
生地が薄く柔らかいためひとりでは脱ぐのが少し大変ですが、今は人を呼ぶ気にもなれませんでした。
慎重に上半身を脱ぎ、そのまま衣を下ろそうとした時でございます。
ピーッ
へそピアスに引っかかり、ほつれた糸が衣を持っていたマリーの指を傷つけました。
「いった!」
指先を見ると細い線が走っており、そこからじんわりと血が出てきました。
生地は緩く編まれた箇所がピアスに引っかかっておりました。
とっさに口に含んだ指先から感じる血の味に、マリーのイライラは募ります。
「くっそ。なんで引っかかんのよ!」
ふと、あの身代わりの少女の言葉を思い出しました。
『赤が嫌いって聞いたんだけど…へそピアスはなんで赤い石なの?』
「アタシ、バカみたい。彼氏がくれた誕生石だからって、好きでもない赤いピアスなんてさ。大体、アイツが浮気して家飛び出したんだっつーの。なのに、なんでつけてんだろ」
マリーは知りません。この世界に来てからろくに神官の話も聞かず、なぜ自分がこの世界に残ったのか、それすらも知りませんでした。ただ皆がピアスを褒めるのが気持ちよかった、ただそれだけだったのです。
だから躊躇いもなく、ピアスに手をかけました。
「もうっ!要らない、こんなの!タカシとは別れたんだからっ!」
突然の王の崩御に神官達は混乱していました。
「ヤンテの言葉は嘘だったのか!?」
「我々を騙したのか!?」
「姫に会わねば!!」
取り乱した神官達がマリーの部屋を訪れました。事が事だけに、警備の者もすんなり神官を通し、自らも後をついて来ました。
「姫!マリー姫!!」
「今は何としても会っていただきますぞ!」
返事はありません。
「姫!失礼する!」
神官のひとりが大きく扉を開けると、勢い余って数人が部屋の中になだれ込みました。
ですが、外の騒ぎとは打って変わって室内は静まりかえっております。
「…姫はおらぬのか?」
質問を受けた警備担当のドリーは驚きました。
「いいえ!!昨日からずっとお部屋に…間違いなく一歩も出ておりません!」
「だが、おらんではないか!」
「…待てギーシュ。これを……」
声を荒げたギーシュを手で制止したひとりの神官が、床に落ちていた光るものに気がつきました。
それは正に先ほどまでマリーのお臍にくっついていたピアスでした。
ピアスを取った瞬間、マリーはこの世界から消えてしまったのです。
万里子はとうとう、たったひとりのサトウマリコになってしまいました。
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