45.消えた宝物
どんな流れでネストラードの気持ちが変わったのか、万里子には理解出来ませんでしたが、どうやらネストラードは万里子の秘密を守る決意をしてくれたようでした。
「良かったですわね、マール様」
入れ替わりに部屋にはシアナが入って来ました。
「シアナさん」
「申し訳ございません。念のため、部屋の外で控えておりました。ネストラード様がいらっしゃった時には少し表情が硬くて……どのようなお考えか分かりませんでしたので…。ですが、マール様にご好意を持たれたようです。あの方がご自分の方から他人に興味を持つなど、ありませんでしたのよ」
「そうなんですか?」
「えぇ…お母様…お妃様が亡くなられたきっかけが、ネストラード様の出産だと聞いております。体調を崩されて、そのまま回復する事なく亡くなられたのですわ。そしてカナム人としては、色素がとても薄いのです。お妃様がスイルの貴族だったからでしょうか……カナムの血が薄いと見なされ、冷遇されて来たのです。そしてご自身もとても冷めたお人柄になってしまわれたのです」
「…そんな子には見えませんでしたよ?」
「ヤンテが消えてからは、あまり子供も生まれなくなりました。ここ10年などは全くありません。同年代の友人に恵まれなかったのもあるでしょう…ネストラード様にとっては、年齢が近いというそれだけでマール様の存在は大きかったのかもしれませんわね」
「私も、ここに来て友達って言葉は初めてです。なんか、嬉しいですね」
ほっとしたように微笑むと、ぎゅるる、とおなかが鳴りました。
安堵した途端に、おなかがほぼ丸1日何も食べていない事を主張し始めたようでした。
「あらあら。昨日から何も召し上がっておりませんものね。すぐにお持ちいたします」
しばらくすると、シアナが深さのある木の器を持ってやって来ました。
「汁物の方がよろしいかと思いましたの。あぁ、お手伝い致しますから、どうぞそのままでいらしてくださいませ」
中華料理のれんげのような木のスプーンですくい、万里子の口元にそっと運ばれました。
「熱いですから、気をつけてくださいませね」
万里子は小さく口をとがらせ、ふーふーと息を吹きかけると、そっと橙色の液体に口をつけました。
「…イタっ!」
汁物は思ったより熱くなかったため、とろりと喉を通りましたが、唇にぴりりと痛みが走りました。
「あっ!大丈夫でございますか?もう少し冷めてから…」
「いえっ熱くはないんですけど、口に染みたんです」
「違和感があるとおっしゃっていたのはお口元ですの?」
「下唇の内側がピリっとしました」
「…ちょっと失礼しますわ」
シアナは汁物の器を一旦傍らの木のテーブルの置くと、万里子の唇をぴろん、とめくりました。
「んが!」
そのシアナの行動に少しひるんだ万里子でしたが、手が動かせないのでされるがままでございました。
「あら…?唇の内側が少し血が滲んでおりますわ…これは…マール様、唇を噛む癖などございますか?」
「…ひひへ(いいえ)」
「場所柄塗り薬も無理ですし…滲んでいるだけですから、数日経てば治ると思いますけれど…」
「らいりょふれふ(大丈夫です)」
「右側ですわ。染みないよう、上手に食べてくださいませね」
「ひゃい(はい)」
それから万里子はゆっくりと時間をかけ、汁物を完食しました。
もしかして、あまりの空腹に自分の唇を食べてたのかな?そんな事を考えながら……。
翌朝、まだ早い時間に目が覚めた万里子は無防備に両手を万歳させて眠っていた事に気付き、手足を動かしてみました。
「は!動く!!」
起き上がる事はまだ出来ず、上体を起こすのがやっとでした。
それでも手足が動くだけで、万里子は嬉しくてはしゃいでしまいました。
「そうだ。口ってどうなってるんだろう」
唇を噛む癖なんてなかったのに…昨日、シアナは血が滲んでいると言っていました。食べる時に気をつければ痛みもありませんが、それでも確認したくなりました。
「でも立てないしなぁ…あ!そうだ!」
万里子は父親からもらった腕時計を思い出しました。蓋の裏が鏡代わりに使えるのです。友達や妹ほどメイクに興味があるわけでばありませんでしたが、それでも身だしなみには気を使っていたので、あちらに居た頃は日頃からそれを使ってチェックしていたのですが……
「……な、無い!なんで?なんで?」
腕時計はなるべく身につけるようにしていましたので、式典に向かう時にも腕につけたはずでした。それなのに、左腕には何もありません。
「なんで?もしかしてつけてなかったとか?」
キョロキョロと部屋を見渡しますが、寝台横のテーブルには水差しがあるだけでした。
寝台と反対側の壁にある机には、何もありません。
「…どうしよう!」
あの腕時計は、父親からの贈り物だという以外にも、イディやジルが万里子に会いに来る為の通路の出入り口となるよう術がかけられています。
それを無くしたとなると……もしも見つけた人が術の存在を知った場合、それはマズい事になるのでは??そう考えると、さすがにのんびり屋の万里子も背に冷たい汗が流れるのを感じました。
「マール様。お目覚めですか?」
「し、シアナさん!大変なんです!」
万里子は大切な腕時計がなくなったとシアナに説明しました。が、腕時計がシアナに通じなかったので、腕輪のような装飾品だと伝えました。
「式典の際つけていたというのは間違いありませんの?」
「…多分…もしかして、私式典の時に落としたかも…」
「困りましたわ…広間は普段は神官とて入れませんのよ…」
もはや泣きそうになっている万里子に、シアナは申し訳なさそうに答えました。
「そ、そうなんですか?」
「あ!でも昨日、広間の片付けをしております。担当した神官に聞いてみましょう」
「お願いします!」
連れてこられたのは、またもやゼスでした。
ゼスは困惑した表情を浮かべています。
「シアナ様。夜会の警備の件でしたら……」
「いいえ。違うの。ゼス、式典の片付けの際、何か落し物が無かった?」
「は?」
予想していた件ではなかったと知り、一瞬安堵した表情を見せたゼスが、ぽかんと口を開けました。
「ございませんでしたが…何かお探しなのですか?」
「腕輪のような装飾品よ。女性物で、華奢なつくりの物なの」
サラリと告げられたその言葉に、ゼスは凍りつきました。
「ゼス?何か知っていて?」
「いいえ……昨日広間の片付けを致しましたが、何もありませんでした」
「そう…。分かったわ。もう下がって良いわよ」
「は」
パタリと扉を閉めたゼスは混乱していました。
(ではあの警備の日、殿下が神殿から出てきた際に手にしていた物は何だったのだ!?)
ゼスは夜会の日からの出来事を、一生懸命思返しました。
(警備の日、クラムルード殿下は王族が渡した魔除けをマリー姫が神殿の控えの間に忘れたと仰って、たったひとり現れた。
神殿に入りなかなか出ていらっしゃらない殿下に外からお声をかけると、華奢なつくりの腕輪を手にし、出ていらっしゃった。確かにそれを手に、目的の物がみつかったと仰っていた。その腕輪を、あのイルー人の娘が探している……何故だ!?)
ゼスは、ふっと顔を上げました。
(殿下には内密にと言われた。だがしかし……)
「サク様…サク様にお話しなければ…」
突然出来た友達は、毎日万里子の部屋に来るようになっておりました。
待遇はどうあれ、第3王子であるネストラードには当然の事ながら護衛がついております。ですが部屋にやって来るのはいつもひとりでした。
この世界も成人は20歳という事で、まだ15歳であるネストラードは日中家庭教師がついて勉強をしているのですが、時折それを抜け出して来るためやって来る時間はまちまちでした。
その際、大体はシアナが部屋の外に控えておりましたが、この日に限っては途中シアナがサクに呼ばれ宮殿に出向かなくてはなりませんでした。
少し躊躇しましたが、万里子に宮殿に行く事を伝えると、万里子とネストラードは笑顔でシアナを見送りました。
留守にしても大丈夫だとシアナに思わせる位に、2人は親しくなっていたのです。
ですが、そんな2人を苦々しい思いで見つめる人物がおりました。
(なんでここにネストがいるんだ!?)
せっかくいつも万里子についているシアナを、サクを使って引き離したのに、これでは近づく事も出来ない……!数日前に神殿から持ち去った腕輪を手に廊下に佇んでいたクラムルードは、部屋からもれ聞こえる2人の親しげな笑い声に更にイラつき、そんな感情を打ち消すかのように手にした腕輪を少々乱暴に自身のサッシュに仕舞い込むと踵を返しました。