42.柔らかな肌 sideクラムルード
クラムルードの1人語りです。
今回ナレーションはお休みしてますので、いつもと語尾が違います。
父上……いや、陛下への報告は簡単なものだった。
式典の様子を一通り話すと、大きな寝台に横たわったまま「そうか」とだけ言った。
「……ガルディスの王が起こした戦を…責めておりました…」
顔色を窺いながらそう付け足すと、陛下は僅かに眉をピクリと震わせ、少しの沈黙の後、「…ご苦労だった」と告げた。
そう告げられてしまうと、もう退室せざるとえない。
固く閉じられた瞼は、この日も開く事がなかった。
瞳を閉じたままの陛下に向かって恭しく臣下の礼をするサクを横目にさっさと踵を返すと、陛下専属の女官によって既に部屋の扉は開けられていた。
寝室の外は陛下の執務室があり、更に隣には会議室と応接室があり、順に通り抜けてやっと廊下に出る事になる。
広大な王の棟の奥まった一角がこのような造りになったのは、約10年前だった。
あれからもう10年か。ふぅ、と大きく息をつくと寝室を出てから3つ目の扉を潜り抜けたところで待機していた兄上が目に入った。
兄上が、寝室に繋がるこの通路兼私室に入る事は許されていない。兄上だけじゃない。弟もだ。
廊下で待機していた姿を見て、またそれを思い知らされる。急に肩が重く感じられ、思わずもうひとつため息をついた。
「早いな。もう終わったのか」
「あぁ。姫はヤンテ復活の役割と同時に依代でもあったみたいですーって、それしかないからな」
「そうか…陛下のご様子は、どうだ?」
避けられているとはいえ、兄上にとっても実の父親だ。やはり気になるんだろう。躊躇いがちにそう聞いてきた。
「相変わらずだ。会話らしい会話なんて無い。今日だって『そうか』と『ご苦労だった』だけだ。病状は…わからねーな。サクが出てこないとこを見ると、サクには何か話してるんじゃないか?」
元大神官であるサクは、同時に陛下の主治医でもあった。
俺が先に退室してきたとはいえ、しばらく経ってもまだサクが出てこないところを見ると俺がさっさと退室した後に呼び止められたのだろう。
「そうか…目は…」
「知らね。閉じたままだった。顔を向けられる事もなかった。横になったまま、顔は天井に向けて固定されてたよ」
陛下は、17年前のヤンテ消失で自分を責め、思い悩んだ末に病に倒れた。
当時外交があまりうまくいっていなかった。ヤンテの恩恵を一心に受けるラウリナへの侵略をガルディスが目論み、水面下でスイルを味方に引き入れていたのだ。
戦が始まり、力のある貴族と、ラウリナに住む種族だけが持つ聖獣が狙われた。
聖獣はヤンテがラウリナに与えた恩恵のひとつだと言われている。スイルとガルディス、イルーは聖獣を持たなかった為、妬みとなり最初に狙われたようだ。
かなりの聖獣が殺された。サイナは緑の精霊を従えていた為聖獣とは少し違うが、この戦をきっかけにして力のあるサイナ人も精霊の姿を見る事はできなくなってしまったという。陛下はこれ以上の被害を防ぐ為に、まず王都を封鎖した。その途端、ヤンテが消えた。
世間ではヤンテが消えた事による混乱を避ける為に王都が封鎖されたと思われているが、封鎖の指示を出して宮殿の門を閉じたのが先だったのだ。
それが民を捨てる行為だったとヤンテが判断して見放されたのだと思い込み、陛下は自分を責めたのだ。
病に伏してからおよそ7年…陛下は視力を失った。
それ以来、瞼も重く閉じたままだった。それからは、仕事も気を許せる貴族の重鎮ばかりを傍に置き、自分の執務室にこもるようになった。
だが取り巻きも年をとり、ひとり、またひとりと減っていき、陛下自身の病も一向に治らず、王位継承権筆頭の俺の負担は大きくなるばかりだった。
本当は……兄上の方が王に向いているのに……昔からそう思っていた。俺だって父上から父親らしい事をしてもらった事などない。俺が特に目をかけられているから兄上をすっとばして継承権筆頭にあるわけではない。
この『血』に拘りすぎているんだ。時々、無性に息苦しくなる。
俺の赤い目は、王家の色なのだという。こんな色だけで…っ。
ずっと黙りこくっていると、横から伸びてきた手が俺の頭をわしゃわしゃと乱暴に撫でた。
いつもなら半歩後ろに控えるようにしている兄上が、珍しく隣を歩いている。藍色の左目は、俺を心配そうに見ていた。
「どうした?何を黙りこんでいる。何かあったのか?」
「…式典の事を考えてた。戦をせず、それぞれの神殿で定期的に祈りの儀式を行うと陛下の病気はおろか、全てが良い方向に向かうって言葉は……17年間闇の世界だったのに、そんなすぐにうまくいくもんか?」
継承権の話になると、兄上はすぐに側近の仮面をつけてしまう。
俺はとっさに式典の話題を出した。
「そうだな…。また我々人間に機会を与えてくださるおつもりなのだろう。ただ、まだ我々人間を信用しきれていないともおっしゃっていたし。さすがのガルディスの王も、もう戦は考えんだろ。ガルディスの王子は戦嫌いだろいう噂だし……王子といえば!!ネスト!あいつどこ行きやがった!?式典の終盤、空席になってたぞ!?全く!アイツは隠れることに関しては天才的だな!」
その言葉で、ふと先程神殿広間の舞台裏で見た光景が思い出された。
アイツ、倒れて運ばれてたな。薄暗い中でも、顔色が悪いのがわかった。
まったく…よく倒れるヤツだ。
最初は泉のほとりで。次は神殿で……
そこで無意識に足を止め、両の手の平を眺めた。
吹っ飛んできたアイツの、小さな身体を抱きとめた感触がまだ残っている。
今まで女から触れられると、ねっとりとした黒いモノが這い上がってくる気持ちが悪い感覚がしたのに……。
「柔らかかったな…」
「何がだ?」
数歩先で同じように立ち止まった兄上が、不思議そうに問いを投げかけてくる。その言葉に、思わず口にしていたと知った。
「……なんでもない。もう夜会が始まる頃だな」
「ああ。主役のマリー姫が居るから特に問題は無いだろうが…急ぐか」
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夜会は既に始まっていた。
マリー姫はガルディスの貴族にべったり張り付いていたし、スイル人やイルー人の多くはより多くの情報を得ようと会場に居る神官達を捕まえては小さな集団を作り話し込んでいた。
捕まっている神官の中には、ネストと一緒にアイツを抱えていた女神官の姿もあった。
会場を回りながら一通り挨拶をしていると、人々の顔色が明るいのが分かる。
この世界にヤンテという光が戻った事と、ヤンテの恩恵を受け続けるためには何が必要かが分かりホッとしているようだった。
そんな中、しかめっ面をしている人間がいれば嫌でも目に付く。
我が弟、ネストラードがスイル人の令嬢達に付きまとわれて不機嫌そうな顔をしているが、周囲の大人たちは相変わらずネストを見て見ぬ振りをしていた。
という事は………
アイツ、今…ひとりなのか。
心配なわけではない。ただ、あんな風に運ばれていくのを見てしまっては後味が悪い。
宮殿の敷地内で何かあっては困る。
俺は自分にそう言い聞かせると、誰も見てないのを確認すると兄上に後を任せて宮殿の広間から抜け出した。
「で、殿下…このような時間になぜこちらへ?」
当然の事ながら、一部の神官は神殿に残っていた。神殿は基本的には式典など特別な時以外では神官しか入れない。
よって、警備も魔法と剣術の両方腕が立つ若手の神官がおこなっている。
だが、ここは神殿とはいえ宮殿敷地内だ。王族は暗黙の了解で好きに出入りできる。
だが、夜会が行われている最中に突然王族が現れたことで慌てているようだ。それとも、何か慌てる理由があるのか……。その理由はきっとアイツだろう。と、いう事は、まだ意識は戻っていないのか?
「マリー姫が控えの間に忘れ物をしたらしい。全員しばらく1階に留まっているように」
「忘れ物…で、ございますか?それならば私が取りに…」
「王族の魔除けは強力でな…置き忘れてから暫く経つから発動しているかも…そうなると、解除できるのは王族だけだが…」
「えぇと…それは…真でございますか?そのような物など…姫は身につけておりま…」
「あぁ!もう間が無いかもしれん。神殿内で発動すれば…」
「ど、どうぞ!」
一斉に警備の神官達が道を開けた。
「では我々は…」
「万一発動していたら、解除と清浄化をせねば。なるべく1階に…いや、全員外に出て入り口を見張っているように」
すると一際大柄な神官がおそるおそる前に出てきた。
「じ、実は2階に客人がおりまして…」
「知っている。マリー姫より既に聞いておる。だから急ぐのだ!」
「も、申し訳ございません!」
わざと語尾をきつくすると、飛ぶように後退さった。
「よいか。王族の魔除けを渡した件が知れたら厄介な事になる。この事は他言無用。勿論、大神官にも、だ」
「勿論でございます。我々も誰も通すなと言われております故、この度の事は誰にも申しません!どうかお気をつけて!」
最後には、殿下のお役に立てて光栄です!と涙目で言われた。少し良心が痛むが、こうなっては後には引けない。ていうか静かにして欲しい。
扉を開けて中に入ると、ひんやりとした空気を感じた。少し前までの、大勢の感情が渦巻く熱気は既に無くなり、そこにあるのは息遣いさえ響きそうなまでの静寂だった。
勿論、魔除けの件は嘘なので2階に上がってもマリーの控えの間の扉を素通りした。まっすぐに奥まった場所にある扉まで進み、扉をゆっくりと開ける。
かちゃり。と鳴った小さな音さえも辺りに大きく響いた。
細く開けた扉の隙間からするりと身を滑り込ませ、中の様子を窺ったがアイツは気付くことなく眠っていた。
ふーっと息を吐き、その時になって自分が息を止めていた事に気付いた。
緊張してた?俺が?なぜ!行き場の無いイラつきを覚え、吹っ切るかのように大きな足音を立てて寝台に近づいた。
目の前には、質素で小さな寝台があり、天井近くにある小さな明かり取りの窓から青白い光が降り注いでいた。
アイツは寝台の上に静かに横たわっていた。窓から射し込む光はアイツの身体全体を包み込み、ほの暗い室内で白く浮かび上がっていた。
「小さ…」
俺にとっては小さな寝台でも、アイツには十分なようだった。こんなに小さかったか?
顔色も青白いし…ほんとに生きてんのか?
思わず、その頬に手が伸びた。
ぷに。
指先が触れた青白い頬が柔らかく沈んだ。
「…柔らかい」
ふにふに。ぶに。
つついてもつまんでもその感触はどこまでも優しくて柔らかくて、手に心地よくて……でも、冷たかった。
手首を掴み上げると、力なくひじが落ちた。片手でつかめるほどの華奢な足は、それまでのどの部分よりも冷たかった。
ぐに。
鼻をつまんでみると、わずかの間をおいて「ぷひゃ!」と息が吐き出された。
「あ、生きてる」
それがやっと確認できて鼻から手をはずす。すると、一瞬の衝撃から立ち直ったアイツは規則正しい寝息をたて始めた。
さっきの変な声の反動か、薄く開かれたソコは他の部分とは違ってほんのり赤く色づきふっくらとしていた。。
小さな頃によく食べた大好きだった木の実みたいだ。あの実がなる木は、ヤンテが消えて少ししたら枯れてしまった。もう、長くあの実を食べてないな…。
あの赤い木の実のように、甘いだろうか?あのふくらみは、頬よりも柔らかく見えた。
俺はそれを確かめるために、息を殺して色づく赤い実に顔を近付けた。
あれ?クラムってば…あれれ?