41.透明王子
「ねぇ。ちょっと。僕の言う事が聞こえないの?」
蹲る万里子の肩に置かれた両手に、更にぐっと力がこもります。
「ねえ、光ってたの、君でしょ?僕さ、早々に席から立ったから、横から見えたんだよね。皆はあの女が光ってたと思ったみたいだけど…。どうしよっかな。これ、今大声出してばらしちゃおっか?」
「…や、止めて、ください」
俯いたまま、万里子はふるふると力なく顔を横に振りました。
「なんでさ?あの女、偉そうで嫌いなんだ。君が姫だって分かったら君だって宮殿で優雅に暮らせるんだよ?」
そうだろ?そう続けると、少年は自身もしゃがみこむといつまでも俯いたままの万里子を覗き込むように顔を近づけました。
それでもなお、小さく小さく顔を振り続ける万里子の様子がおかしい事に、やっと気付き、少年は肩に置いた手を少し緩めました。
「違う…ちが、うんです。私じゃ、だめ、だから…選ばれ…て、ない。望まれ…て、な…い…からっ」
真っ青な顔で呟くように紡がれるその言葉は、それでも少年の耳にしっかり届きました。
ふっとピンク色の瞳に宿った鋭さが消え、大きな瞳が困ったように揺らぎます。
「なんだよ、ねぇ、どうしたの?これじゃ僕が悪い事したみたいじゃないかっ」
とうとう万里子はその場に両手をつき、自分の上半身をやっとの事で支えておりました。
「だい、じょぶです。ただっ身体が重くて…力が、入らな……」
「誰か呼ぼうか?」
「だめ、です。多分、事情を知ってる人が…来て、くれると思う…ので…」
すると万里子のすぐ背後のカーテンが乱暴に開けられました。
重い頭を、それでもゆっくりをめぐらせると、そこには目を吊り上げたマリー姫がおりました。
「ちょっと!!何途中で喋るの止めてんのよ!」
「え…?ごめ…全然、私覚えてなくって…」
「はぁ!?アッチは色々皆して質問責めにしてくるしさぁ。アンタの中のは喋んなくなるし…」
グロスでも塗ったのか、てらてらと光るその唇を不満げに尖らせました。
(あぁ…天ぷら、食べたいなー)
そんな事をぼんやり考えながらも、マリー姫を見つめていた万里子は一生懸命口を開きました。
「ごめんなさ…あの、何か、おかしな事にっ…なりそう…?」
「ダイジョブだと思うけどぉ。とりあえずテキトーに答えて、後はなんかもうアイツ居なくなったからって言って終わらせたけどさ、焦るじゃん!」
「……ちょっとさぁ、聞いてりゃ自分の事ばっかだけど、この子具合悪そうなんだけど見ててわかんないの?」
足元で蹲る万里子を責める事に頭がいっぱいで、その万里子を支えるように肩に腕を回した少年の存在を、マリー姫はようやく目に留めました。
華奢でまだ線の細い、女の子に間違われそうな位愛らしい顔立ちをした少年の事を一瞥すると、マリー姫はふん。と鼻を鳴らしました。
「あら、居たの。いっつも存在薄いから、分かんなかったわ。アタシがこの子をわざわざ呼んだんだから、ハンパに仕事してもらったら困んだって。この子だって困るでしょ」
「なんでさ?この子が本物だろう?僕、見てたもの」
「……ふぅん?だから何だっての?誰がアンタの言葉を聞くわけ?それに、この子が影になる事を選んだのよ、アンタと同じ。ね?透明王子サマ」
『透明王子』……その言葉を聞いて瞬間、少年の瞳から一切の感情が消えました。
意識ははっきりしているのに、身体中が重くて視線を上げられない万里子でしたが、それでも少年の変化には気付きました。
「姫!一体どこへ!?」
「どこにいらっしゃるのです!!??」
マリー姫に付いていた神官達の慌てたような声が聞こえてきました。
「…ここよ!今行くわ。カーテンの裏に靴を落としちゃったのよ」
マリー姫は大きな声でそれに応えると、外に出ようとしたところで2人を振り返りました。
「お似合いかもね、アンタたち。2人とも透明人間だもん」
少年は大きな瞳で憎らしげにマリー姫を睨みましたが、マリー姫はそんな事など気にするはずも無く、すぐにカーテンの向こう側へ消えて行きました。
「あームカつく!あのさぁ、あんなに好き勝手言わせていいわけ?!……って、ちょっと!ねえ!」
少年は万里子に視線を戻すと、その様子に慌て始めました。
「ごめ…あの。ちょっと…倒れます…」
「はぁ!?そんな宣言しないでよ!」
初対面の少年に対し、いきなり目の前で倒れるのは申し訳なく思った万里子は、律儀にそう宣言するとどんどん重くなる身体に耐え切れずにとうとう意識を手放したのでした……。
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万里子が意識を失ってすぐ、カーテンの中から出てこない事を心配したシアナがやって来ました。
「マール様っ!…と、ネストラード様?」
すっかり意識が無くなった万里子を、困ったように抱えていた末の王子を発見し、シアナは戸惑いました。
「コイツがいきなり倒れたんだ!僕は何もしていないからな!」
シアナは無言で2人に近づきますと万里子の脈や熱、規則正しい鼓動を確認するとやっとネストラードに向き直りました。
「失礼致しました。ネストラード様…私はナハクの魔術師でシアナと申します。マール様の滞在中のお世話をしております」
狭い空間でなんとか略式の礼をとると、シアナは早速ネストラードから万里子を引き取りました。そして『お願い』を言い出しました。
「ネストラード様、『お願い』がございます」
「はぁ?」
「マール様をお運びするのを手伝ってくださいませんか?」
「は?なんで僕が?」
「お1人で緊張しているマール様を驚かせたのではないのですか?それに、どうやら式典の最中にお席を外されたようですが、それは皆様ご存知なのでしょうか?」
一瞬にして、むぅ。と渋い顔になったネストラードは、それでも首を縦には振りませんでした。
「別に…こそこそしてたわけじゃない。それに、僕が席を外しても誰も何も困らないし、誰も気付いてないじゃないか」
「あら。まんまと抜け出せても、結局後からバレてしまっては一緒ですわ。王族の一員であるネストラード様が抜け出していたとあっては、他の国の参列者に示しがつかずに…」
「わかったよ!運ぶのを手伝えばいいんだろう!?」
「さすがネストラード様はお優しいですわ!感謝いたします」
と、取ってつけたように感謝の言葉を述べるシアナに呆れながらも、ネストラードは一度は万里子から離した腕を、今度は労わるように優しく肩に回しました。
自分と同じ、人の目には入らない透明な人間だと言われていた万里子を見つめる大きなピンク色の瞳は、もう万里子を面白がってはおりませんでした。
「透明人間、か…。手伝わせるのだってどうせ、僕が居たら誰かに見られても深く追求されないからだろ?」
「そんな事は……」
困ったように微笑み、慎重に言葉を繋ごうとしたシアナをネストラードは視線だけで遮りました。
「いいよ。今回は追及しないでおく。僕もこの子を驚かしちゃったしね」
「…感謝致します」
今度の言葉は、心からの言葉に聞こえました。
「皆様は数刻後に行われます夜会の為に、宮殿のそれぞれの控えの間に向かわれていると思うのです。ですから人目は無いと思うのですけれど…」
「分かったよ。さっさと運ぼ?さすがに夜会が近づいたら僕も行かなきゃいけない」
2人で万里子を慎重に抱えなおし、周囲を警戒しながらカーテンの外に出ましたが辺りは静まり返っており、神殿に詰めているはずの神官の姿さえ見えません。
不思議に思いながらも、急いでバルコニー席への階段を上り始めました。
3人の姿が見えなくなったところで、1人の男が舞台裏の暗がりから姿を現し3人が消えた階段の先をじっと見つめると、男はすぐに舞台裏を出て正面扉に向かって颯爽と歩き出しました。
扉の前まで着くと、外側からギギギ…と重い音をさせ、扉が開けられます。神官の中でも、若く体格の良い4人が顔を真っ赤にしながら扉を引いております。
男は広間を出る前に、一度だけ振り返りました。
3人が消えたバルコニー席…男がいくら目を凝らしても、その赤い瞳にはジルが施した結界により空席のバルコニー席が見えるだけでした。
「クラムルード様。人払いまでしてお1人で舞台裏へなど…如何なさいました?」
広間の外から、老神官サクのしわがれた声が聞こえました。
「サク…あそこの結界が視えるか?」
「…強い結界ですな。ジル様の術と思われます。あの方の施した術を見破れる人間など、おりません。私の目にも空席のバルコニー席しか見えませぬ。この式典では様々な場所に術がかけられております。ですが、何か気になる事でもございましたか?」
「…いや。もう良い。父上の元へ行こう。夜会の前に、式典の報告をしなくては」
クラムルードはもう振り返る事なく広間を出、大きな扉はまた重い音をさせながらぴったりと閉じられたのでした。