37.曖昧な返答
目が覚めた時、万里子は柔らかな寝台の上におりました。
(あれ?夢だったのかな…)
光がものすごい勢いで突進してきて、ぶつかる恐怖に目をぎゅっと閉じた時からの
記憶がありません。
両手を広げてもまだ余裕のある大きな寝台で、万里子はそっと手足を動かしてみました。
特に痛みも違和感も感じず、やはり夢だったのかと思った時、目の奥にまだチカチカと
光の残像が残っている事に気付きました。
「お目覚めですか?」
声がした扉の方へと視線を向けますと、安堵した表情のシアナが桶を持ち入って来ました。
「あぁ、良かった。このままお目覚めにならなかったらと考えて私…。
おひとりにしてしまって、申し訳ございません。お体は大丈夫ですか?」
言いながら、シアナは熱い湯に浸けた布をぎゅうっと絞り、万里子の顔を優しく拭き始めました。
その口調から、少し不安になった万里子はシアナに問いかけました。
「あの…一体、何があったんですか?」
「覚えてらっしゃらないんですか?私がすぐに用事を終えて戻りましたら、倒れられていて…。
本当に驚きました。ひどく汗をかいていて、熱っぽかったのですよ。あの方が
いらっしゃらなかったら、大事になるところでした。それで、お加減は?大丈夫ですか?
熱はひいたようですが、どこか痛みはございませんか?」
いつも冷静で優雅なシアナの焦りように、心配をかけてしまったのだと、万里子は申し訳ない気持ちになりました。
「大丈夫です。痛いところもありません。あの…あの方って、誰ですか?その人が
助けてくれたみたいです。だからどこも打たずに済んだみたいで…」
「ルヴェル様ですよ。今は別室で薬を煎じてくださっています。まもなく戻って来られるでしょう」
「私…倒れた時ルヴェルさんと一緒だったんですか?」
「さぁ…存じ上げませんが、私が戻った時は、ルヴェル様がマール様を
抱き上げようとしておりましたよ」
(だ、抱き上げて!!それはかなり恥ずかしいんですが!)
反応に困ってへらっと笑顔を返したところに、ルヴェルが神妙な顔つきで入って来ました。
「ああ。気がついたようだね、良かった」
先程のシアナと同じように、起き上がっている万里子を見てルヴェルは表情を緩めました。
「気分はどうだい?あぁ…もう熱もひいたようだ」
寝台に近寄ると、端に腰掛けて長い指で万里子の顔にかかった髪を一筋すくい、そのまま
そろりと万里子の頬をなで上げました。
「あ、あの!ありがとうございます」
思いのほか近づいたルヴェルのつややかな微笑みに驚き、慌てて距離をとった万里子は
ぺこりと頭を下げました。
「何がだい?」
「あの、助けてくれて…だって私、あんな勢いで吹っ飛ばされたのに全然痛くないから…」
お辞儀をした万里子の頬に再びかかった髪を整えようと手を差し出しかけていたルヴェルは
万里子の言葉にぴたり。と動きを止めました。
「マール様、ふ、吹っ飛ばされたってどういう事ですの!?」
傍らで聞いていたシアナが慌てて問い詰めると、万里子は少しバツが悪そうに肩をすくめました。
「あの…ちょっと神殿の光が気になって、扉を開けてしまったんです。そしたらあの…」
光に吹っ飛ばされて…そう続けようとした万里子の言葉をシアナが遮りました。
「ヤンテの間の扉をですか!?まさかそんな…だってあの扉は力のある男でも4人がかりで
やっと開ける扉ですのよ!?」
「え?でも…」
「…シアナ、そろそろ薬茶が出来た頃だから、持ってきてくれないか?」
「え?セリ…でございますか?まさかあんな強い薬を?」
「あぁ。あれは調合してすぐは反発しあって毒素を出すから、上の空き部屋を使わせてもらった。
もう、馴染んだ頃だから、取りに行ってくれ」
万里子の言葉が気になり、部屋を出るのを躊躇したシアナではありましたが急かすような
ルヴェルの視線に仕方なく部屋を後にしました。
「…それで?マール。先を話してごらん?」
「あの…嘘じゃありません。開いたんです。ほんのちょっと覗くだけのつもりだったんですけど
あまりに綺麗で…気がついたら部屋の中に……」
「…うん」
ルヴェルが何かを考えるような表情になりましたが、万里子はヤンテの間で光の柱を
間近で見た興奮を思い出し、その様子に気付かずに促されるままに話し続けました。
「あまりに光の柱が綺麗で見蕩れていたら、光が急に突進してきて…ドーンって」
「ぶつかった?」
「はい。体にものすごい衝撃を感じて…そこから記憶がないんです。気がついたらここに…」
困ったように首を傾げる万里子に対して、ルヴェルは安心させるようににっこり微笑みました。
「今シアナに取りに生かせた薬茶は、高ぶった気持ちも穏やかにしてくれる。
それを飲んでゆっくり休むんだ。それと…この話はこれっきりにしよう」
「え?あの、ほんとですよ?ほんとに…」
「分かっているよ。君を信用していないのではない。君は、イルーから来たお針子の見習いだ。
そうだろう?特別な力がある事を、見せてはいけない。1人の力で開かない扉を
開けたのも…人には見えない光の柱が見えるのも…ね?」
「見えない…ものなんですか?」
「ああ。見た事も、感じた事もないよ。ジルでさえ、少し感覚としてあの場所が特別だと
感じる程度だろう」
「そう、なんですか…」
「それに、君程軽ければ受け止めるなんて簡単な事だ。君に怪我がなくて良かった」
「ありがとう、ございます。あの、ルヴェルさんにお怪我はなかったですか?」
思い切り体当たりしてしまったであろうルヴェルを気遣い、万里子はそう問いかけましたが、
ルヴェルは微笑みを返すだけでした。
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式典前には神官しか入る事を許されない神殿に、ルヴェルが宮殿の女官の手を借りて
やってきたのは辺りもすっかり暗くなった頃の事でございました。
口煩い年配の神官に出くわさぬよう、そっと足を踏み入れた時、視線の先に万里子が
倒れているのを発見したのでございます。
忍び込んだ事も忘れ、慌てて駆け寄り抱き上げたその時、シアナが現れたのでした。
(あの時は…そう、確かにヤンテの間の扉はしっかり閉じられていた…。誰か、私が来る前に去った?)
吹っ飛んだ自分を受け止め、助けたのがルヴェルだとすっかり信じ込んだ万里子は、
「ほんとに重くなかったですか?」としきりに気にしておりましたが、ルヴェルが
「私はそんなにひ弱ではないよ。何ならここでもう一度抱き上げて証明してあげようか?」と
悪戯っぽくウィンクすると、万里子は丁重にそれを断ったのでした。