34.緊急会議
「今すぐにって…言ってましたよね?」
次の言葉をかける間もなく、鏡から姿を消したジルを思い、万里子は背後のイディに問いかけました。
「…だね。俺が来るのは夜だし、まさか会うとは思わなかったけど…」
「それです!」
「ん?」
「夜なんですよ!ジルさん、休まなきゃいけないんじゃ?」
「大丈夫だよ。俺は日中全く術は使えないけど、ナハクは力が弱まるから眠って
力を蓄えるだけで、夜でも力が無くなるわけじゃない。特にジル殿程の人なら
数日眠らなくても平気だろう」
「じゃあ…この前のように大きな鳥に乗って?」
「あ。それはムリ」
「どうしてですか?」
「鳥は鳥目だから。君を屋敷に連れて行く時もラブルは呼ばなかったろう?
大丈夫。すぐ来るだろう。彼は意外と大胆だから…派手な登場をすると思うよ」
「派手?」
「そう。対話の鏡は他でも何度か見た事があるけど…あんなにやたらキラキラ光るもんじゃなくて…」
苦笑するイディが言い終わらない内に、また腕時計の蓋がカチリと小さな音をたてて
開きました。
すると、中からキラキラと青く光る雪のようなものが吹き出しました。
空中をキラキラと漂っていた「それ」はゆっくりと一箇所に集まり始めました。
「いきなり失礼な話をするな」
「ひゃっ!?」
人型を造ろうとしていたキラキラからいきなり声が聞こえ、万里子は驚き後ずさりました。
しゅんっとかすかな音とたて、ジルが現れると、イディに冷たい一瞥を投げかけ、
万里子に向かってすばやく移動すると、ふんわりと万里子を抱きしめました。
「私が派手好きだなんて、そんな事はありませんからね?」
優しく微笑むジルに、万里子は内心「いや…かなり派手だと思いますけど…」と
思いましたが、さすがに口に出す事は出来ませんでした。
「…無自覚ですか。つか、マールからさっさと離れてくださいよ!」
「うるさいヤツだな。あぁ、この便利な道は、来る途中少々手を加えさせてもらったよ」
「まぁ、これで来るだろうなとは思いましたけど…早かったですね」
「ふん。宮殿内では術は使えない上に、君が自由に出入りできる場所となると
『入り口』を見つけるのはさほど難しくはないさ」
「さすがですね。……そろそろ、本題に入りましょうか。マールの様子も気になる。
ここは、全員が情報を共有するのが良いと思います」
「私?」
「少し難しい顔をしていますよ、マール。それもあって急いで来たんです」
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「つまり、私はイルー人だという設定になったんです。えぇっと、染色や縫い物の技術を
教わるためにやってきたって事で…」
「それは誰の指示ですか?」
「ルヴェルさんに言われたってグリューネさんが…それで、今日地図も見せてもらって
ラウリナの事も詳しく教わりました」
「ルヴェル殿が…相変わらず、根回しが良いというか…俺もそこまでは考え付かなかった。
確かに、宮殿に行くとなるとマールがこの世界の人間でない事がバレる恐れがあるからな。
準備しておくに越した事はないさ」
「黒い瞳で、黒い髪だとイルー出身だとした方が良いのだそうです」
「……」
「……」
「どうしたんですか?」
「マール。私達の話をする前に、話しておく事があります。…本当ならもっと早く
話しておくべきだった…。この世界で、『黒』が意味する事です。…正直、黒い瞳の
人間を、私は今まで見た事がありません」
「え?でもイルーには…」
「いる。かも、しれませんね。実際行ってひとりひとり確認したわけではありませんから。
ただ、今まで何人もイルー人には会ってますが、黒髪はいたけれど黒い瞳はいませんでした」
「マール…この世界で、黒とは『死』を意味するんだ。この世界では死ぬと時間が
経つにつれて、体が段々黒くなる。爪、髪…一晩経つ頃には全身が黒くなる。
そしてもう一晩過ぎたら、黒い粉になる。
やっかいなのは『瞳』だ。黒い瞳は死の前兆と言われていて、他の部分は死んだ後
黒くなるのに、瞳だけは死ぬ直前に黒く変色するんだ…」
「だから、イディは普段右目を髪で隠しているんです。見る者に、あまり……
良い印象を与えませんからね」
「そっか……じゃあ、黒い瞳の人も居るっていうお話は、ルヴェルさんが私に
気を使ってくれてたんですね…あ。それじゃ…」
万里子は、初めてこの国に来た時に神殿の中で受けた冷たい視線を思い出しました。
「さすがマール。飲み込みが早いようですね。神殿で、なぜあんなに簡単に姫が
どちらか判断されたのは、『色』です。あっちの方は瞳も髪も黒じゃなかったからですよ。
神官たるもの、そんな外見だけで判断するなど、情けない話ですけれどね…」
「そこで俺の話だ。今日マールに話そうと思って来た理由はそこにある。宮殿にいる
マリー姫…髪が黒だぞ」
「なっ……!?!?イディ、どういう事だ?」
「いつものあの金の髪は被り物です。昨夜、姫の部屋で騒ぎがあった事、既に報告が
いっているのではないですか?」
「あ、ああ…宮殿で働く男が1人、姫を化け物だと言って騒いだと…」
「ちょうど、その場に居合わせましてね。先に姫の安全を確保する為に、部屋に
入らせてもらったんですけど、そこに居た彼女は黒髪でした。金のあれは…
何と言ったかな…ウィ…?」
「ウィッグ、です」
「マール?」
「染めたのかと思ってたんですけど、ウィッグだったんですね。染めてたのなら
いずれ黒髪が目立ちますもんね」
うんうん。となにやら納得したように頷く万里子を、2人は不思議そうに眺めていました。
「マール…驚かないのか?」
「え?ええ…だって私の居た世界では皆黒髪で黒い瞳ですもん。え~っと、国によっては
肌や髪、瞳の色は違いますけど、私の国は基本的に黒髪で黒い瞳です」
「ですが、あの時最初に神殿に現れた他の候補者は様々な色の髪をしていましたが…」
「今染めている人が多いです。お年寄りは黒髪が白くなりますし…」
「染める!?生地や糸じゃあるまいし!!マールももう気付いてるだろう。
一族で、大体髪や瞳の色は分かれるんだ。それはそれぞれの一族にとってとても
重要で、一族の色が濃い程に価値がある。染めるという行為は考えられないな…」
「染めたらずっとその色じゃあないですよ?髪が伸びたら、下から生えてくるのは
元々の色だから、時間が経つと元の髪色に戻ります」
「え?そうなのか?待て。マール…瞳も黒だって言ったな?ならあの紫の瞳も!?」
「はい…今、彼女はカラコンをしてると思います」
「カ…ラ…何です?」
「瞳の色を変えるものです。目に小さなガラスのようなものを入れるんですよ」
「目に!?」
「はい」
「そんなものがここで知られたら、どんな一族にも成り代われる……。大騒動になるだろうな」
「ただでさえ、彼女の臍の石は流行りつつあって、真似する女性が多いようですね」
「姫である証であるはずのものが簡単につけられるなんて…彼女は自分で自分の首を
絞めてるようなものだ。マール。君のは…」
「つ、つけてませんよ?これは生まれた時からの…あ!」
思わず答えた万里子でしたが、ジルの鋭い視線に思わず真実を洩らしてしまった事に
気付き慌てて口を閉ざしました。
「……いいですよ。私達はマールが本物のヤンテの姫だと知っていますからね。
でもマール。どうか気をつけてくださいね…宮殿では私達が常に傍にいる事も
出来ません。今のように油断して話しすぎたりしてはいけませんよ?」
「は、はい…ごめんなさい。気をつけます」
「ジル殿。あなたが今日持ってきた情報は?」
「宮殿の建物の近くに、ヤンテ神殿があります。丸い屋根の真ん中には丸い天窓があり、
ヤンテはそこから常に神殿に光りを注いでいる…神聖な場所です。
今回の式典は、そこで行われます。ヤンテの力が一番影響する場とも言われていますからね。
式典の前より姫には神殿に滞在して頂いて、気を溜めて頂くはずだったのですが…
断られました。
それで、宮殿の王女の棟に居るのです」
「それは…」
「自分がそこに寝泊りしても、力が神殿内に溜まる事など、無いと分かってるからでしょうね」
「どこまでも浅はかなヤツだな」
「今までのおバカな言動で、彼女が本物の姫なのか疑問視する者も出てきています。
それで……マール。マリーは、あなたが宮殿に到着したら、自分と一緒に神殿に
滞在する事を命じました。グリューネ殿とは到着後、別行動になります」
「え!!」
「マールが代わりに神殿に力を満たせって?そういう魂胆か」
「…でしょうね。すっかりちやほやされてますからね。今ここで放り出されても
困るのでしょう」
「グリューネさんと別行動って…じゃあ、基本1人って事…ですよね」
「式典の期間中、一部の高位の神官は神殿に滞在します。勿論部屋は別ですが、
私も同じ建物内にはおりますよ。何かあればすぐに駆けつけます。ですから、どうか
今日作ったあなたの過去を、忘れないでください」
「今日聞いただけでも沢山ありすぎて…どうすればいいのか…」
基本楽天的で前向きな万里子でしたけれども、今日ばかりは自分の平均レベルの
記憶力を恨めしく思うのでした。
「書き留めておけ」
「そんなー。だって誰かに見られたら…」
「こっちの文字がお前書けるのか?招待状のマリーのカード。あれがお前がいた世界の文字なんだろう?
なら、俺らには読めないから大丈夫だ」
「あっなるほど。そうですね。そうします。でないと、忘れてまた余計な事を言いそう」
「ああ…もう行かないと。イディ、お前もだ。ちょっと手を加えたから朝になっても
この道は閉じないが、お前が通れなくなるだろう」
「…ですね。じゃあ、お先に。マール、次会えるのはきっと宮殿でだ。無事に来いよ」
「はい。ありがとうございました。お気をつけて」
「イディ。迷わず、お前の出口に帰れよ?」
「あなたは…一体どんだけ手を加えたんですか…」
ぶつぶつ呟きながら、イディはすぅっと藍色の煙に姿を変えました。