33.鉢合わせ
久しぶりの更新となってしまいました。
大変お待たせしましてすみません!!
今まで待っていてくださった方々に感謝です。
「今日は地理のお勉強をします」
式典も近づいたある日、いつものようにグリューネの作業部屋を訪ねた万里子は、
古びた巻紙を持ったグリューネにそう宣言されました。
「ち、地理…ですか?」
「そうです。衣装作りは終わったし、出立の日までは仕事は無いから少しこの世界の
事を教えておくわね」
「はぁ……」
自分は遠い外国から来たから、多少ラウリナの事を知らなくても仕方ない。という事に
なっていたのではないかと、少し首をかしげた万里子に、グリューネは意味ありげな
微笑みを投げかけました。
「昨日、ルヴェルが式典の準備の為に衣装を持って先に出立したの。ルヴェルに
頼まれたのよ。あなたの事はルヴェルやジル殿から聞いているから大丈夫。
大体の事はルヴェルが教えたと聞いているけれど…王都に…そして宮殿に滞在するなら話は別よ。もう少しこの国の事を知った方が良いわ」
そう言っていつも大きな生地を広げている作業台に、手にしていた巻紙を広げます。
すると平面のはずの古紙は、広げられた瞬間に歪み出し、あっという間に目の前に
立体的な縮小地図が現れました。
三方が海に囲まれ、いびつな「コ」の字型に見えるその半島は先端に進むにつれ
傾斜がきつくなり、半島の先端部分はかなり高地に見えました。
半島の周りの海は綺麗なエメラルド色で透き通っており、本物の海のようでした。
「触れてはダメよ。濡れてしまうわ」
「え!?ここ、触れたら濡れるんですか?」
「そうよ。地図だもの。海の部分は触れたら濡れるでしょう」
さも当然のように話すグリューネに、万里子は慌てて手を引っ込めました。
「私達が居るのがここよ。サイナの街」
グリューネが指で指し示した隣国との国境に位置する部分が緑色に光ります。
「サイナの街は、国境に位置する街なの。隣国2カ国と接しているから、貿易の
街として発展しているわ。それはもう聞いている?」
「はい。この街に来る前に、ルヴェルさんから聞きました」
「そしてもう1つ隣国と接している街は、ここに来るまであなたが居たナハクの街よ。
とは言っても、あそこは強い結界と深い森に包まれていて、外国との交流は無いわ。
ラウリナ国で力の強い一族は4つ。1つは王族でもあるカナム。彼らの領土はそのまま
王都になってるわ」
半島の先端の高地が赤く光りました。
「私達がもうすぐ出発するのは、この丘の上にある宮殿よ。この丘一体が王族カナムの土地。
ヤンテが消えていた闇の期間はこの丘一体に結界が張られて閉ざされていたの。
「なぜですか?」
「国内の混乱から王族を守るためよ。だから、あなたがこの世界に召還されたという
その儀式も、結界の外にある古い神殿で行われたはずよ。どんな神殿だったか、覚えている?」
「え~と…冷たい石の床と、外に出るために長い階段を上らなきゃならなかったのは覚えてます」
「やっぱりね。じゃあココだわ。比較的ナハクに近い神殿ね。ジル殿が選んだのかしら…」
今度はちょうど丘のふもとに当たる部分が淡く光りました。
「そしてサイナとナハクが陸続きの隣国から国を守っているって感じね。そして
残る1つはムバク」
「あのう。ムバクの領土はどこですか?」
「ここよ」
半島の先端の高地は断崖絶壁かと思われましたが、よくよく見ると絶壁の下には
他の場所と同じ位の低さの土地がカナムの領土を囲んでおり、そのわずかな部分が藍色に光りました。
「宮殿の後ろに控えているのがムバクよ。そして中央部分にはあまり力の無い中小の
一族がいるの。グァク、ナリ、ソル……」
グリューネの指先の動きに合わせるように、立体地図の上で淡い光が点いたり消えたりしました。
「勿論、ラウリナ以外にも沢山の国がこの世界にはあるわ」
「はぁ……」
「この国から最も離れたイルー」
「いるぅ……ですか」
「あなたはそこの出身だという事にしましょう」
「…へ?」
「……あなたが別世界からやってきた事は知っているわ。でもそれがこの世界の
他の者にとってはどんな意味かお分かり?」
突然話の矛先が自分に向き、万里子は混乱しました。
「わ、わかりません」
「誰もが『意味』を考えるの。そして『姫候補』がもう1人いたのだと知ってしまう。それはとても危険な事なのよ。あなたを利用しようと近づいてくる者も
いるでしょう……。だからこの世界であなたの『過去』を作っておく必要があるの」
万里子は、やっとこの勉強会の意味を理解し、そして自分の考えの浅さを恥ずかしくなりました。
「ごめんなさい…。皆さんのお陰で、今こうして居られるのに…」
「あら。お情けで助手にしたわけじゃないから、そこは安心して。堂々とここに
居座ってていいのよ。むしろ私がお願いしたい位。だからこそ、この勉強会はあなたにも
真剣になって欲しいわ」
先程まで地図上を忙しく動いていたグリューネの手が、万里子の手を優しく包み込みました。
そのぬくもりに、万里子は勇気付けられたような気がしました。
「はい!えと、私はイルーという国から来た。っていう設定ですよね?」
「そう。ここから一番離れた島国よ。ヤンテの光からも一番遠い国…。
ラウリナはね、ヤンテに愛されている国だと言われているの。その理由は、
常にヤンテが真上にあるからよ。だからこの国の裏側は陸が無くて闇が広がる海だけだと言われてるわ。
なにせ遠いし、ヤンテの光が届かないから誰も真相は知らないけれど…。
その他は隣国も含めて、ラウリナ以外の国は真上にヤンテを仰げないのよ。イルーは、
ラウリナから一番離れているから、ヤンテの光が届く日中が短くて寒い国なの。
…マール、黒髪の人間をこの国で見た事はある?」
「えっと、この前市場でグレーの瞳に黒髪の人を見ました」
「イルーの人々には時々瞳や髪が黒い人がいるわ。だからイルーの出身とするのが
外見的には一番都合が良いのよ」
「髪も、瞳も黒いっていうのは、あまり…いないんですね?この世界で黒ってどんな意味があるんでしょう?」
「それは……」
それまで饒舌だったグリューネが、突然言葉を切りました。
視線が万里子の胸元で、ぴたり。と止まりました。
「?」
「…続きは彼に聞いたら良いわ。もう遅い時間になってしまったし」
グリューネが指差した先には、ジルから渡されたネックレスが…ほのかな光を放っておりました。
「ジル殿が呼んでいるわ。このような遅い時間に珍しいわね。もう戻りなさい」
自分の『過去』を作るのだと言われ、グリューネの話の合間合間に様々な質問を
しては話が脱線するのを繰り返し、いつしか勉強会に夢中になっていた万里子は
グリューネに言われてやっと、外が暗くなっているのを知りました。
「はい。じゃあおやすみなさい!」
ジルは早くから式典の準備の為に王都へ入っており忙しい日々を送っていたようで
こうして呼ばれるのは久しぶりでした。
胸元のネックレスの光が強く激しく輝きだし、ジルが『対話の鏡』に映る時間が
迫っていると知った万里子の足は自然と走り出しました。
今ではもう飛び乗る事にも慣れた宙に浮いた家に入ると、『対話の鏡』が様々な淡い色の光が
渦巻き、人型を造ったかと思うとふっと光を失い、次の瞬間にはそこにジルが映って
おりました。
少し乱れた息を整え、急いで鏡の前に座り込みます。久しぶりに見るジルの姿に、
万里子の口元は自然と緩んでおりました。
「お久しぶりです!お元気ですか?忙しいんじゃないんですか?」
「大丈夫ですよ。あなたに会えない事に較べたら、忙しいのは苦ではありません。
すみません遅い時間に…。どこかに出かけていたんですか?」
「グリューネさんのところに…あっ!もう休まれる時間じゃあ?」
「ええ…普段でしたら…。ただ少しお話したい事が……」
突然言葉を止めると、万里子を優しく見つめていた青い瞳が鋭く光り、万里子の後方を睨みつけました。
「…マール」
柔らかかった声色が鋭いそれに変わり、万里子はジルの突然の変化に驚きました。
「は、はい!何でしょう?」
「今…そこに、術の路が出来たね?」
「え?え、え?」
慌てて振り返った万里子の視線の先で、腕時計の蓋がかちり。と開きました。
そしてするするっと藍色の煙が出てきます。
「…イディ、か」
鏡の中のジルは苦々しく呟きました。
その呟きに、万里子が鏡を振り返ると、ジルが今まで見た事のないような微笑を見せておりました。
「じ、ジル、さん?」
「鏡越しというのもなんですから。やはり、私も今からそちらに向かいます」
更に微笑みを深めそう告げたジルでしたが、万里子は室内の空気が一気に下がったように
感じました。
「今からって…あのっ!」
万里子は鏡に向かって話し掛けましたが、鏡は再び光りを放ちぐるぐると渦を巻きました。
その光りの眩しさに万里子は思わず目を瞑りましたが、再び目を開けた時には鏡に映るのは
自分と、そして背後に佇むイディだけでした。