32.真逆のふたり
「お前の為なら、呪われた王子って言われても、この立場を利用して情報を集め、
そしてお前を守ってやる」
とは言ったものの、どうやって調べようか…宮殿に戻ったイディが思案に暮れて
おりました。
マリーも宮殿に滞在しているとはいえその敷地は広大で、謁見の間や執務室、大広間など
外部の人間も出入りする本棟の奥に王の居住棟、王子の居住棟と賓客を迎える棟などが
それぞれ本棟から長い廊下で繋がっており別棟同士は繋がっておりませんでした。
棟の造りはどれも一緒で、たとえ侵入者があっても正面からは本棟に隠れ別棟が
見えないようになっており、更にどの棟が王の居住棟かがすぐには分からないように
する為でありました。
イディの部屋があるのは、クラムルードを守るべく王子の居住棟で、マリーは近年
誰にも使われていなかった王女の棟におりました。
強い結界が張られ、術が自由に使えない宮殿ではそこに行くのも容易ではないのです。
それにマリーという『たった1人』の姫をあらゆる危険から守る為必要最小限の人間しか
マリーとは接する事ができません。
いくらイディと言えどもホイホイと訪ねては行けないのでした。
「直接訪ねるには何か理由が必要だしな…」その方法を探り出そうとしていた時、
急に扉の外が騒がしくなりました。
隣室は自分が主としたクラムルードの寝室があり、式典までの間夜間警護の任は
解かれているとはいえ、外の騒ぎにイディは部屋を飛び出しました。
すると、目の前には自分の代わりに警護にあたっていたムバクの青年と、一目で
夜着と分かる薄い衣を着て自らの体を抱きしめるかのように体を小さくさせている女が1人おりました。
「ガイアス、何があった!?殿下はご無事か!?」
突然投げかけられた声に、ガイアスと呼ばれたムバクの青年は肩をビクリと震わせ、
困ったような視線をイディに向けました。
「その女は……リィナ?」
女の髪は乱れておりよく顔が見えませんでしたが、それでも誰か分かる位イディに
とってもよく知る女でした。
彼女は唯一王子の棟に入る事を許された筆頭女官だったからです。
「リィナ、何をしている?その答えによっては……宮殿に居られなくなるぞ?」
「わ、わたくしは……」
「イディ様!リィナを夜、寝室に呼ぶようにおっしゃったのは殿下なのです!私が
命ぜられ、そのようにリィナに伝えました」
「…殿下が?」
「は、はい。ですが、すぐに怒ってしまわれて…わ、わたくし」
クラムルードが、女を呼んだ?今まで専属女官さえも断ったアイツが?イディは
信じられない思いでいっぱいでしたが、ガイアスが「本当です。殿下に確認して頂いても
構いません。…私も、自分の首を懸けます」と言うので、ひとまずリィナを部屋に下がらせ、
事情を分かるまでは監視するようガイアスに指示しました。
2人がこの場から去ると同時に、イディはクラムルードの寝室に入りました。
「…リィナを、呼ばれたのですか?」
イディは室内に居た、いつにも増して不機嫌そうなクラムルードに訪ねました。
「…そうだ。だが決してあの女が考えたような事ではない!何なんだ、すっげ香油
臭かったぞ!あぁ、気持ち悪い!」
「そりゃー夜呼ばれたら勘違いもするでしょう。で?ナニがしたかったんです?」
「石だ」
「石?ですか?」
「今日、グリューネから聞いたんだ。今若い女達の間で、その…臍に宝石をつけるのが
流行していると……だからどんな物なのか知りたかっただけだ」
クラムルードの突然の行動の理由が分かり、リィナは職を失わなくても済みそうだな…と
イディがほっとしたのもつかの間……イディはクラムルードの発した一言が引っかかりました。
「殿下……今日は、グリューネ殿のところに?まさか、最近のお出掛けはそれですか?」
「ん?……ま、まぁな。それは~アレだ。今度の式典は大切なものだからな。
衣装のチェックだ」
「ふぅん…。マールにも会ったな?臍の宝石とは、マールの事か?」
いつの間にか、イディも敬語が抜けてしまいましたが、それにクラムルードが気付かない位
イディから発せられる冷たい空気に彼は慌てておりました。
「は?あ、あぁ~あの女か。なんか…つけてたっぽいかな!」
「色は?」
「は?」
「マールは何色の宝石をつけてたかも見たのか?」
「……いや。衣から少し、透けてただけだから……色までは…」
「……リィナはつけてましたか?」
「つけてた。サイナの娘だからか、淡い緑色だった。つーか、その話を振ったら
いきなり脱ぎだしてさ。すげーびっくりしてとりあえず追い出した。見るモン見たし」
見るモン見たし。って……通常の万里子のいでたちでは、臍の石までは見えないはずでしたので、
それをなぜ目にしたのか、それを思うと目の前の主を殴りたい程のムカつきがイディを
襲いましたが、なんとかそれを止めました。
先程まで話していた万里子は、一切その話をしておりませんでしたので、きっと
たいした事はなかったのでしょう。イディがそう思いたいだけではございましたが……。
その思いを振り払うかのように軽く頭を振ると、新たに思い浮かんだ考えを申し出ました。
「俺が…確認してきましょうか?」
「ん?」
「殿下が必死に避けてるマリー姫にですよ。臍の石の事だって、マリー姫に直接聞けば
早いのに。リィナを呼ぶから、こんな騒ぎになるのです」
「アイツは特に苦手なんだって」
「マリー姫の石も、自分でつけた物…つまり偽の姫だと思ってます?」
「わかんね。でもアイツが姫だとは思えねぇ。それに、後から自分でつけられる
石だって事は分かったからな。石だけではもう姫だと証明できねーだろ?」
「……そうですね…」
「それより、なんで兄上が行くんだ?兄上だってマリーが苦手だっただろ」
「殿下ほどでは、ないですよ」
偶然にも、マリーを訪ねる口実を手にしたイディは、密やかな笑みを浮かべると
ガイアスとリィナへの説明がありますので。と早々に退室し、2人には「今夜の
事は無かった事とする。忘れろ」とだけ告げると王女の棟へと向かいました。
「イディ様…!こんな夜更けに、王女の棟へ何用ですか?」
突然のイディの訪問に、警護のムバクの女性が眉を顰めました。
「やぁ、ドリー。殿下が至急、式典の事で聞きたい事があるらしいんだ。もしもう
お休みならまた明朝出直すが」
「いえ…その…実は……」
少し顔を赤らめたドリーの表情に、イディは先程のリィナの光景が頭に浮かびました。
「あぁ…もしかして、誰か男を呼んでるか?」
ドリーの言葉を待つまでもなく、イディは尚一層赤らんだ彼女の顔色で答えを知る事が出来ました。
「仕様の無い方だ…この点では殿下とは真逆だな。大層な男好きでいらっしゃる」
「えぇと…ですから、今日はもう会われるのはご無理かと…」
「だな」
そう言って踵を返そうとした時でありました。
「わ!!うわぁぁぁぁ!!」
上半身裸の、ズボンだけの男が奥の一室から飛び出て来ました。
今夜は何だか似たような光景ばかり見るな…そう思いながらも、入室のチャンスだと
思ったイディは、慌てふためき足がもつれて廊下で転倒した屈強な男をドリーに
任せ、
少し開いたドアから滑るように部屋に入ると、素早くドアノブに手をかけました。
その時、隙間から聞こえたのは「あの女!呪われてる!」という男の叫びでありました。
その言葉は、同じ部屋の中に居るマリーにも聞こえているはずです。
「…酷い言われようですね」
そう言いながらマリーに向き直ったイディは、少し意表を突かれました。
なぜなら、目の前に佇む夜着姿の女性は、万里子と同じ黒い髪だったからでございます。
「何なのアレ。人の姿見ていきなりアレよ。ひどくね?」
同じような黒髪でも、与える印象は全く違いました。
「マリー…様?その髪は?」
「あぁ、コレ?いっつもウィッグつけてっからねー。さすがに寝る時は外すけど」
寝台の横から取り出したのは、まばゆいばかりの金の髪…もしや。とイディは思いました。
「もしかして…瞳の色も黒、ですか?」
薄暗い室内でも、今目の前に立つ濃い睫毛に縁取られたマリーの瞳が明るい色に
見えました。
「は?そーだけど?今カラコン入れてるからねー。で、アンタ。確かおーじと
いっつも一緒に居る人じゃなかったっけ?」
「えぇ…今日は…通りかかった所に男の悲鳴が聞こえたので…」
「あぁ…なーんか皆さ、この髪とか目とか見たら悲鳴あげるんだよね」
「この国で、黒はあまり歓迎されないのですよ」
「は?そーなの?そんな事言ったって、あたしが居たトコ、み~んな元は黒だけど?」
「そうなのですか?」
「そだよ。皆染めたりしてるけどね。あぁ、あたしと一緒に飛ばされて来た子、
あの子だってそうだったじゃん」
イディの脳裏に、万里子の柔らかな黒髪と優しい黒い瞳が浮かびました。
その時、扉の外から人の声がしました。
「何事なのだ?」
「マリー姫の部屋からまた悲鳴が!」
「黒の女などと…そんなはずは!!」
ムバクであるイディにはその会話までがハッキリと聞こえました。
彼らの足音はまだ遠く、マリーは人が近づいている事すらまだ気付いていないようでした。
「人が来ます。この声は…神官達だ」
「あたしは何もしてないわよ!」
「でも最近姫である事を疑われている。それはご自身でも薄々気付いているのでは?」
すぐにマリーの表情が強張りました。
「な、何よ。あたしを選んだのはあんた達でしょ」
「姫として存在していたいなら、黒髪と黒い瞳は隠す事だ。神官が…君を姫だと
判断した大きな理由は、髪も瞳も黒じゃなかったからだ」
「…なんで…助けてくれるの。おーじと一緒に疑ってたんじゃないの?」
「もうすぐ神官達が部屋に到着する。早く髪を隠せ!」
慌ててウィッグを被って黒髪をその中に押し込んだのを見ると、イディは傍にあった
置物を、天井付近でぼんやりと光っている光玉に思い切り投げつけました。
ぱりん!
音と同時に、部屋は闇に包まれます。
「きゃあ!」
次の瞬間、
「姫!今の音は?」
「どうされました?」
「誰か!明かりを持て!!」
次々と神官達がやって来て、マリーに問いかけます。
程なくして室内に明るさが戻った時、既にそこにはイディの姿はありませんでした。