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29.老婆の愉しみ

肩からかけられた大判のストールは、少しきつく感じる位にぐるぐると巻きつけられて

おりましたので、腕も固定された状態で、万里子はルヴェルにされるがまま…

抱えられるようにして、ぐいぐいと押される勢いのまま小走りするしかありませんでした。


馬車の入り口が近づき、やっとその拘束が解かれるとほっとしたのもつかの間、

ルヴェルは突然方向転換し、馬車を避けるように更に森の奥へと入って行きます。


「あ、あれ?ルヴェルさん、どこへ?」


「私の家だよ」


「あの。着替えなら私の家にありますけどっ…」


「知ってるよ」


言葉とは裏腹に、ルヴェルの歩く速度は変わりません。どんどん馬車は遠ざかっていきます。

元々運動が苦手だった万里子は、ルヴェルの歩調に合わせてずっと小走りでしたので

とうとう息が上がってしまいました。

ルヴェルの行動の意味は分かりませんでしたが、話すと益々息が切れるので万里子は

ルヴェルが立ち止まるまで、何も言わずにおこうと思いました。




--------------------------------------------------------




「どうなさいました?」


目にも鮮やかな黄色い衣に袖を通そうとしていたクラムルードは、突然その手の動きを

止めました。


「あら。着づらいかしら……思ったよりも肩幅がおありだから、少し直したのだけれど…。

あの小さかった殿下がねぇ……。殿下、殿下?」


いつまで経っても手を動かさないクラムルードの肩から、滑らかな手触りの高級素材の

衣が滑り落ちかけました。


「もう!殿下!……マールと、何があったのです?」


グリューネが、マールの名を強調するように言いますと、固まっていたクラムルードは

しっかりとその名に反応しました。


「ちがっ!……こほん。俺は…その…衣の様子を、だな」


「でしたら、ちゃんと着てくださいまし!」


ぐい!と、落ちかけた衣を引っ張り上げ、テキパキと着せるグリューネの口調は厳しいものでしたが

その表情はなんだか嬉しそうでした。


「な、なぜ、笑って、いる…っのだ?」


グリューネに腰のサッシュを引っ張られ、襟元を絞められ、袖を引っ張られ……

体勢が崩れる事はありませんでしたが、意外なほど力強いその動きに圧倒され、

言葉が途切れ途切れになりながらも、クラムルードはグリューネのその笑みが

不思議でグリューネに問いました。


「殿下。毎日いらしても、衣はそんなに変わりませんのよ。さ、出来た。昨日と

何か変わってらして?」


「…肩が、楽になった」


「そうですね、それ位でしょう?」


「裾が少し長く…なった?」


「直してませんわ。それで充分です。それ以上長くしては、サッシュの刺繍が隠れます」


「…グリューネ、何が言いたい?」


「衣のサイズ合わせはこれで充分。もう殆ど出来たようなものですわ。毎日いらっしゃる

必要などないのです。あの子に……会いにいらしてるのでしょう?」


「違う!だから…なぜそんなに楽しそうなんだ!」


「宮殿の衣装長を辞してから久しいですが、そのような殿下の姿を見るのは初めてです。

嬉しいのですよ。そうですね……長く生きておりますが、わたくしが生きてきて

2番目に楽しい事ですわ」


「2番目?2番は面白くない。1番ではないのか?」


「そうですね…わたくし、孫贔屓ですの」


「孫?ルヴェルか?」


「これ以上は言えませんわ。フェアじゃありませんもの」


グリューネは可愛らしく口の前で×を作り、更に笑みを深くしました。

クラムルードは追求しようとしたのですが、「あら。動いてはシワが出来ます。すぐに脱いで。

仕上げにかかりますの」と、着せられた時同様、あっちこちを引っ張られて

渾身の力で脱がされにかかり、遂には作業の邪魔だと早々に追い出されてしまったのでした。



クラムルードが出て行った扉と、反対の扉は染色に使う泉に行くためのものでした。

少し前、ルヴェルがこの部屋に居た時に、彼は2人の様子を窓から見ておりました。

勿論、濡れた糸の束を抱えたまま、泉に落ちそうになったマールの事も……。

いつも笑顔で、優雅な物腰のルヴェルが、血相を変えて椅子にかけてあった

グリューネのストールを掴み上げ、そのままものすごい勢いで外に飛び出して行きました。

ルヴェルはいつも笑顔で人当たりが良いけれど、人の為に動く事は無く、常に

冷静に…冷たすぎると感じる程に、自分と一族の為だけに動く男でした。

それが祖母であるグリューネには少し寂しかったのです。

でも今日のルヴェルの姿を見て、グリューネは、損得勘定ではなく動ける相手を

ルヴェルがやっと見つけたのだ…と、嬉しく思ったのでした。


「やっぱりわたくしは、王族より家族が大切ねぇ…」


そう呟くと、グリューネはおもむろに扉を開け、出て行ったばかりのクラムルードの背に

話し掛けました。


「殿下。若い娘達の間で、おなかを出したり透けさせるデザインの衣が流行してる

らしいですわ。ご存知だったかしら?」


「…いや…?」


突然何を言い出すのか…クラムルードは、そんな表情をしておりました。


「あら。宮殿にいらっしゃるヤンテの姫が発信源だと聞いておりますわよ。そうそう…

彼女を真似て、お臍に石をつけるのが流行っているのですって。それを見せるのが

目的のデザインなのですわ」


「そ、そうなのか?」


「あら。本当に女人には詳しくないのですね」


「…興味が無いだけだ。……では、戻る」


そう呟いたクラムルードのその瞳には、ほっとしたような…少し残念そうな、そんな

複雑な色を宿しておりました。


供も連れずに毎日ふらりとやって来るこの国の王子の後姿を見送りながら、グリューネは

少しは時間が稼げるかしらね……と、考えておりました。






その頃、マールはそれはそれは巨大なルヴェルの巨木(屋敷)の一室に

連れ込まれておりました。

連れ込まれたその部屋は、どれ位階段をのぼったか、どの位の扉をくぐったのか、

途中で数えるのを諦めたくらいに、屋敷の奥へ奥へ、上へ上へと進んだ先の、

明るい色調の小部屋でした。

突然視界が明るくなり、思わず万里子は目を閉じました。


そっと、目を開けると……


そこには、若草色の美しい衣がありました。露出の少ないシンプルな形ですが

たっぷりとしたプリーツのロングスカートは裾に美しい刺繍があり、片方の肩から流れる

共布が胸元を覆い、大きめに開いた胸元を隠すようなデザインになっており、

それは腰の淡いピンクの大きなドライフラワーで留められておりました。


「これは…?」


美しい衣に、うっとりと見蕩れ、ため息のような声を万里子が出しますと、ルヴェルは

万里子の手を取り、衣に触れさせながら「君のだよ」と言いました。


「え!?あの。着替えるって、まさかこれにですか!?」


前面がずぶ濡れで、今や巻き付けられているストールにもその水が滲んでしまっている……その自身の姿を見下ろし、とんでもない!という風に万里子はぶんぶんと

頭を振りました。


「今じゃない。これは式典用に作ったんだ。……まだ、行くか迷っているのだろう?」


式典、と口にした時に、一瞬万里子の表情が曇った事を、ルヴェルは見逃しませんでした。


「まぁ、ひとまず今はこちらに着替えてくれ。本当に風邪をひいてしまう」と

改めてルヴェルが差し出した衣も、とても肌触りが良くすぐに高級品と分かったため、

万里子は躊躇しましたが……

「透けているんだ。お臍の、石がね」


ルヴェルの拘束が無くなり、少し緩めに巻きなおしたストールの間から、濡れた腹部が見え、

生地が濡れて肌にぴったりと張り付き、そこから確かにお臍の石が透けておりました。

万里子は慌ててきつくストールを巻きなおし、差し出された衣を大人しく受け取り、

用意された小部屋で慌てて着替えました。


「あの…お見苦しいものを…ごめんなさい」


おずおずと出てきた万里子に、ルヴェルは面白そうに目を細め、「目の保養になったよ。

でも、殿下には勿体無いからね」と言い、万里子の気分を和ませました。


「さて、マール。でもこちらに連れてきたのは、着替えの為だけではないんだ。

勿論、この若草色の衣を見せる為でも無い」


「え?」


「君が宮殿の姫からもらったという、招待状があったね?」


「はい……。あの、それが何か?」


「調べたんだが……式典に、君の席は用意されていないんだ」


「……え?」


招待されたのに、席が無い……これは一体どういう事なのか…しかも、添えられた

メモには日本語で「必ず来て」とありました。

あのメモを、他の人間が書けるはずがありません。

では、『宮殿のマリコ』の目的とは一体何なのでしょう……。






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