表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
25/95

25.嵐の前の静けさ

ヤンテの姫のお披露目式が盛大に開かれる事になったラウリナ国では、様々な事が、人が、動き出そうとしておりました。


まだ、万里子にその影響はありません。


強いて言えばグリューネにお披露目式用の衣の依頼が舞い込み、その手伝いに追われるくらいでありました。


「グリューネさん、この糸はこの色合いで大丈夫ですか?」


外の泉で染色の作業をしていた万里子が、両手にほんのり若草色の色づいた糸を

抱えて作業部屋に入ってきました。


「あぁ、ありがとう。綺麗に染まっているわね。マールはもう植物から色をもらう事が

出来るようになったわね。私の一番の弟子だわ」


事実、今まで取っていた弟子はサイナの娘達とは言え、ここまで早く染色技術を

得る事はできませんでしたので、グリューネは心から万里子を褒めました。


「術が使えないと言ったけれど、サイナでないあなたが植物をこれだけ操れるのだから

すごい事ですよ」


褒め言葉は続き、褒められた事のない万里子は嬉しいのですがとてもくすぐったく感じるのでした。


その時。


胸の辺りが暖かく感じて、両手いっぱいに抱えた糸の隙間から何やら光が漏れておりました。


急いで糸の束を作業部屋の隅にある竿に吊るすと、光っていたのはジルから渡された

対話の鏡に反応するペンダントでした。

淡い水色の光を点滅させています。


「ジル殿がお呼びのようね。ちょうどいいから休憩に行ってきなさいな」


ジルはほぼ毎日、夕刻に対話の鏡越しに話し掛けてきましたが、日中に語りかけてくるなど

今まではありませんでした。

自身が忙しいというのもありますし、何より仕事を始めた万里子を気遣ってのことでありました。


何事かと、万里子も胸騒ぎがしましたのでグリューネの言葉に甘えることにしました。


万里子はあまり運動神経もよくありませんでしたから、馬車に飛び乗る時に肘を

したたかに打ち付けてしまいましたが、しびれるような痛さに少し顔をしかめただけで

急いで『対話の鏡』の前に座り込みました。

鏡には、既にジルが映っています。


「ジル、さん。待ちました?何かあったんですか?」


焦る万里子に対して、ジルはいたって普通にしておりました。

鏡の前に万里子が飛び込み、急いで座るまでの間、じっと万里子を見つめており・・

「マール、手が・・赤いですね。冷たそうです。衣が濡れているのはどうしてです?

やはり・・仕事が辛いのではないですか?今すぐにでも迎えに・・」


は、始まった・・。万里子は心の中で苦笑しました。

万里子がサイナの街に引越し、鏡越しに話すようになってからというもの、

ジルの心配性は以前にも増して強くなったようでした。

それに気付いて以来、対話の鏡に座る前に必ず身だしなみを整えていたのですが

今日は急いでいたのでとてもそこまで準備はできませんでした。


「仕事は楽しいから大丈夫です。糸の染色も出来るようになったんです。それで

少し濡れてしまって・・でも、あの、急いで来たからそのままで。

でも、とても楽しくやっていますから、本当に心配しないでくださいね」


慌てて言う万里子に、ジルは少しだけ寂しそうに微笑みました。


「急がせてしまいましたね。すみませんでした。実はあなたに大事な話があったのです」


「話、ですか?」


「ええ・・・。でも、直接会って話す事にします。今抱えている仕事が一段落したら

そちらに伺います」


「えっ、私、本当に仕事楽しいですよ!ここで頑張りますよ?」


「わかっていますよ。残念ですが、今回は連れ戻すためではありません。あなたに・・・

渡したいものがあるのです」


「あっ・・そうなんですか。お話というのは・・」


「それも、その時に・・」


「はぁ・・」


急な呼び出しに慌てて来たわけですが、結局対話はそれで終わってしまいました。


「う~ん・・近々、こちらに来る。って事、だよね?」


わざわざ会いに来る用事とは何だろう?万里子は一生懸命考えますが、何も思いつきませんでした。


「あ。仕事!」


来た時同様に、慌てて作業部屋に戻った万里子を出迎えてくれたのはルヴェルでした。


「あれ。ルヴェルさん、いらしてたんですか」


「うん。ちょうど休憩だそうだね。良かった。焼き菓子を持ってきたんだよ」


サイナの街でも相変わらずルヴェルの餌付け作戦は続いておりました。

困惑の表情から一転、万里子は満面の笑みを浮かべると、「お茶の用意をしますね」と

キッチンに向かいました。


「ジルは何と?」


「よく分からないんです。大事な話があるって言ってて、でもそれは直接会って

話す。となって、しかも渡す物があるって・・」


「内容は?」


「それがさっぱり。結局聞けたのは、近々こちらに来るって事だけで」


「・・・そう。・・・気になるね」


「ジル殿がいらした時はお休みにしてあげるわよ」


「え!だって今とても忙しいのに・・大丈夫です」


「いいのよ。今は注文も受け付けていないからこれ以上依頼が増える事はないわ。

この分だと、期日までには余裕で作れるでしょう」


「そう、ですか?ありがとうございます。でも最近高級な生地の依頼が多いんですね」


「盛大な式典が近いからね」


「?サイナで、ですか?」


「いや。王都のラウリナで、だよ。・・・ヤンテの姫のお披露目式があるんだ。

国内外の有力者が一堂に会するからね。その為の衣の注文だろう」


万里子の脳裏に、神殿で分かれた同姓同名の女の子の顔が浮かび上がりました。

お披露目式、という事は、彼女もこの世界から戻れずにずっとこちらの世界で

過ごしていたようです。

しかも、居場所が分からずに転々としてやっと仕事にありつけた自分とは違い、

マリコはやはり、姫として宮殿で暮らしているようでした。

ということは、やはりあちらのマリコが本物で自分が偽者だったという事なのだろうか・・と、これからの自分を思い不安になっておりますと、その思考はルヴェルによって

遮断されました。


「ヤンテが現れてから、急激にこの国の自然は戻ろうとしている。隣国に接している

大きな部族の領地はあまり変わらないように見えるが・・・マール、王都とその近くの

街が荒れていたのを知っているかい?」


「はい。神殿の外と、ジルさんのお屋敷までの道のりですけど・・緑は枯れていて

岩がむき出しでした」


「そう。それでこの国は一部荒れていたのだが・・・瞬く間に緑が復活してね。

長い冬の間、地中で眠っていた作物も育っていて、早いものはもう収穫できるそうだ」


「まぁ!商店通りにも外国の商人がまた増えたと聞いたけれど、そのような

事情があったのね。それでは・・今回のお披露目式は大変な事になりそうね・・」


グリューネが少し心配そうに眉を顰めました。


「大変な事、ですか?」


「そう。このような早い復興は姫が現れてからだ。その姫を一目見ようと、沢山の

要人が集まるだろう。そして、お近づきになりたくてあの手この手を使ってくるだろうね」


万里子はぶるり。と身を震わせました。



---------------------------------------------------------



それから何事もなく2日が過ぎ・・・また時間を忘れて生地織りに熱中していた

午後の事でございました。


「マール、また休憩を忘れているね?」


「あ!ルヴェルさん。もう休憩の時間ですか?」


クスクスと笑いながら、ほんのり甘い香りを漂わせている小振りのカゴを渡してくるルヴェルに、

万里子は「お茶用意しますので、奥で待っていてください」と告げてキッチンに向かいました。


その時



コンコンコン。とドアが叩かれました。


グリューネの家に来客が多いのはいつもの事。ですが、衣の注文を一旦停止してからは

その数も随分減っておりました。


「はい?どなたでしょう」


なにげなく万里子がドアを開けると、そこには・・・・


「イディさん!」


サイナの街に来てからというもの、現れなくなったイディが万里子の目の前におりました。


「ま、マール!?なぜここに・・」


驚きながらも、頬が緩むイディに、万里子が「今こちらでお仕事を手伝わせてもらって

いるんです」と応えますと・・・

「おい。娘、さっさと中に入れろ」


イディの後方より、突然不躾な言葉が飛んできました。


そちらを見やると、そこには少し日に焼けた整った顔に赤い目が鋭い、濃いオレンジ色の

サラサラストレートの短い髪を暑そうにかき上げる青年がおりました。


万里子は、その偉そうな態度にむっとしながらも、身体をずらし入室を勧めると

背後からグリューネの驚いた声が聞こえてまいりました。


「クラムルード殿下!?」


「で、殿下!?」殿下って事は、王子様って事?突然現れた偉そうな口調の青年が

本当に偉い人だったと知って、そのまま扉の前で慌てる万里子でありました。


その様子を鼻で笑うと、クラムは「そうだ、分かったら退け。娘」と言い、入ろうとした時、

頭上に突然大きな影が通りました。


「なんだ?」


外に居たイディが空を仰ぎます。


「あれは・・・ナハクのラブルだな」


頭上の大きな影は、巨大な白鷲のような鳥でした。

頭上を大きく旋回し、何度かまた万里子の上にも影を作りながら、森の中へと

消えていきます。


何事かと奥から出てきたルヴェルも、突然の訪問客がクラム殿下だった事に、

片眉をあげました。


「更にラブルとはね」


「え?」


「ジルだよ。ジルが来たんだ」


静かな午後のいつものお茶の風景が、一気に嵐の様相でございます。







評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ