24.自分で蒔いた種
万里子の日常は、それはそれは穏やかに過ぎてゆきました。
最初は仕事に厳しいグリューネの指導にへこみそうになりましたけれども、
自分の手で糸から生地にしあげていく作業に、万里子はすっかりのめりこんで
いきました。
グリューネに止められなければ、食事や休憩も忘れるほどだったのでございます。
万里子の熱中ぶりを止めるのは、時々はルヴェルの仕事になりました。
「マール、またずっと生地を織っていたのかい?仕事熱心なのは良い事だけれど、
あまり無理してはいけないよ」
はっと振り向くと、ルヴェルが困ったように微笑みながら万里子を見下ろしておりました。
「すみません。また熱中していました」
苦笑する万里子は、室内の様子が少し違う事に驚きます。
もうすっかりヤンテの色もかげり、夜になろうとしておりました。
「おばあさまを助けてくれるのは良いが、私はマールが心配だな。サイナで無理をして
身体を壊しては、ジルに何と言われるか分からないよ」
「む~~。言わないでください。昨晩叱られたばかりなんです」
無意識の内に、万里子の手は両目の下に当てられました。
「?どうしたんだい?ジルに叱られるとは、穏やかではないね」
「昨日、余りに顔が疲れていると叱られたんです・・。ルヴェルさんが無理をさせてるんじゃ
ないかって」
「どれ。ちゃんと見せて」
ルヴェルが万里子の前に回りこみ、目の前に跪くと万里子の両頬に手を添えて、
窓から差し込む光に向けました。
万里子は目の下を押さえていた両手をとっさに隠そうとしますが、それもしっかり見られてしまいました。
ルヴェルがサイナの長だという事は、ここに越してから知った事でした。
万里子が接する相手は大体がグリューネでしたが、それでもグリューネの元に
手伝いに来る者や、仕事の依頼に来る者、衣を受け取りに来る者、とにかく毎日
結構な人数の来客がありましたので、必然的にグリューネの孫であるルヴェルの
評判は万里子の耳にも入ってきておりました。
その華やかな容姿、人当たりの良い笑顔、優雅な物腰、優れた血筋・・周りからの評判を
聞けば聞くほど、遠い人に感じられました。
華やかな容姿に落ち着いた優雅な物腰の彼は、きっと女性の憧れの的なのだろうと
予想はしておりましたが、その予想を遥かに上回る評判でしたので、自分のような者が
近づいてはいけないような、そんな罪悪感のようなものを感じて、すっと視線を外しますと、
「そんな寂しい事をするんじゃない。・・・私の行動をちゃんと見張っていないと、悪さをするかもしれないよ」
万里子の顔色を見る為に、少し角度をつけて眺めていたルヴェルが、そっと万里子の
顔を正面に向かせます。
視線は少し外していたものの、顔はルヴェルの秀麗な顔と向かい合う形となり、
益々いたたまれなくなりながらも、万里子は彼の「悪さをする」という言葉が
気になりました。
「悪さって?」
「そうだね・・口付け、とか?」
「・・・えっ」
慌てて視線をルヴェルに戻しますと、ルヴェルは口角を上げて笑いました。
が、彼には珍しい事に、その目は笑ってはおりませんでした。
「そうだ。そうやって、ちゃんと私を見張っていないと。目を離したら、いけない」
目の前で見詰め合った状態で、目は真剣なまま、万里子の両頬に手を添えたまま
親指だけでその柔らかな頬を軽くマッサージしました。
「こ、こんな時にそんな冗談を・・」
「だと思う?・・・今は、そういう事にしてあげよう」
今度は目にも笑みを浮かべると、「疲れた顔色をしているよ。治してあげる」と
万里子の手を引き、万里子の居住である馬車に連れてゆきました。
ルヴェルは自分の家である蔦の巨木へは万里子を連れて行く事はありませんでした。
万里子の性格から、恐れや緊張を招くと見透かしておりましたので、ルヴェルは
万里子の馬車を訪れる事が多かったのです。
その所為か、万里子は、自分の空間にルヴェルが入って来る事に抵抗も戸惑いも
感じなくなっておりました。
「疲れには、サーネィバの葉がよく効くのだよ。さぁ、目を閉じて」
寝台代わりにもなる大きなソファに万里子を横たわらせると、水に浸した大きな葉を
千切り、万里子の閉じた両目に当ててゆきます。
爽やかな香りが漂い、万里子の身体から一瞬にして力が抜けていくのが分かりました。
「いつもいつも体中が緊張で固まってしまうまで仕事をしているなんて・・・
君からは本当に、目が離せないね」
ルヴェルは、夜、仕事を終えてからも万里子が馬車で刺繍の練習をしている事も
知っていました。
サーネィバの葉の香りですっかり力の抜けた万里子の様子を確認すると、ルヴェルは
その傷だらけの指先に小さな口付けを落とし、細く小さな指にも薬草を塗り始めました。
「目を離すつもりも、元々無いけれどね」
サーネィバの葉の下、すぅすぅと穏やかな息遣いで眠る万里子の為、カーテンを引き
室内を薄暗くすると、ルヴェルはグリューネの元へと向かいました。
「マールはとてもよくやってくれているわ。最初はなかなかあんなに上手くは
いかないものよ。それに単純作業だもの。よく飽きずに1日中やっているわ」
すっかり万里子が気に入ったグリューネは、万里子を馬車で一休みさせてきたという
ルヴェルに対し、万里子の仕事振りを褒め称えました。
「まだ自分のペースをつかんでいないから、無理をしすぎないかが心配ですが・・」
「あら。それはあなたの今の様子だと、うまい具合に止めてくれるでしょう」
「えぇ。まぁ」
否定せずに、微笑む孫に、思わず吹き出すグリューネでしたが、すぐに心配そうな
顔になりました。
「でもこれからもっと忙しくなるのに・・・」
「姫のお披露目式、ですか」
「そうよ。あちこちから依頼が来ていてねぇ・・。私はもう、引退したのに」
「おばあさまの腕が良いのは国中に知れ渡っておりますからね」
「嬉しい事だけれど、これ以上は受けられないわ。今は助手はマール1人ですからね。
もうお披露目式に向けての注文は打ち切りましょう」
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その頃、宮殿では・・・
「で。クラム様、今日もまだ眠らないつもりですか?」
「俺はもう20歳だ!なんで毎日決まった時間に眠らなきゃいけない?ったく、
ガキじゃあるまいし」
また万里子の元へ行かせてもらえそうもない・・と、毎日諦めるイディではありません。
いつものイライラはどこへやら。にやにや笑う義兄に、クラム王子は嫌な予感がしました。
「では、マリー様と親交を深めたらどうです?今まだお部屋で寛いでおられるとか。お披露目式も近いですしね。仲良くなっといた方が良いですよ」
「俺は認めてない!なんでアレが姫だと皆言うんだ!・・イディ、段々意地が悪く
なってきたぞ。そんなに恋しい娘の元へ行けないのが悲しいのか?
会わせてくれるなら、ちゃんと毎晩時間をやるのに!」
「ふん!会わせる約束をする位なら、ちょっと位我慢しますよ。クラム様は女性に
優しくないですからね。それより、お披露目式の準備をしてください。なんせ
“あの”姫をエスコートするのは王子、あなたなんですから」
先ほどからにやにやしていたのは、この所為だったようでございます。
途端にクラムはその精悍な顔を歪ませました。
「大体!ヤンテの姫だってーんなら、なんで赤が嫌いなんだ、あの女!!おかげで
こっちも衣をアイツに合わせて新調しなきゃならないじゃないか!」
「赤が、お嫌い?」
「そうらしい!エスコート役をするなら、同じ色合いにしないとな。ちっ、めんどくせぇ!」
「新調するなら、やはりサイナのグリューネ様に依頼されるのがよろしいかと思いますが」
「んーーーー。だな。イディ~~~、依頼してきてくれ!」
「はぁ!?あなたの衣でしょう。しかも国内外のお偉方が集まる盛大な式です。
あなたにも一緒に行っていただきます!」
会わせたくない人の元へ、王子を連れて・・・それは、イディが自分で蒔いた種。で、ございました。