23.王子の疑問
案内されたのは、沢山の人が集う華やかな商店通りを通り過ぎ、ルヴェルの言う
職人通りをも通り過ぎた小さな森の入り口でした。
白玉に止まるように言うと、ルヴェルは万里子の手を取り、一緒に馬車から降りました。
サイナの街を、初めて体中で感じた万里子は、その暖かな空気に少し緊張が和らぎました。
森と言うと、万里子はジルの屋敷の外に広がる静かな、緑の濃い凛とした空気を
感じる空間を思い描いていたのですが、辿り着いたそこは、幹の太い巨木が立ち並び
その周りを色とりどりの花々が明るく飾る、南国を思い起こさせるような森でした。
巨木を取り囲む花々は背の高いものもあれば、背の低いものもあり、万里子の視界いっぱいに
鮮やかに映りました。
「こっちだよ」
ルヴェルが森の中に誘います。
森を入ってすぐの所に、背は低いのですが幹周りはきっと大人が10人位、腕を伸ばしてやっと
周りを囲える程ではないかと思えるほどにずんぐりとした巨木がありました。
その巨木は周りにある背の高い花々よりも低く、脇にはなんと、小さなドアがありました。
「あれ?もしかして・・中に入れるんですか?」
「そうだよ。この巨木全てね。ここは長老の森だよ。今から長老に会わせよう」
長老と言えば、それはとても偉い方では・・と、巨木と鮮やかな花の森に圧倒されて
口をぽっかりと開いていた万里子は、突然の展開に慌てました。
そんな万里子の様子を、可笑しそうに笑いながらも、ルヴェルはドアを開けてしまいました。
「ま、待ってください!まだ心の準備が!」
「長老。私です、ルヴェルです。さぁ、マール、中へ」
ドアを支えたまま、先に中に入るよう促すルヴェルに、万里子は更に慌てます。
万里子は、ジルの屋敷で1度だけ見たことのあるナハクの長老を思い浮かべました。
銀色の顎鬚をたっぷりと蓄えた、姿勢の良いいかにも厳しそうな老人・・きっと
サイナの長老もあのように厳しい雰囲気の方なのでは・・・そう思って恐る恐る
ドアに近づきますと、中からゆったりとした口調の、柔らかな声が聞こえてきました。
「ルヴェル、その呼び方は止めなさいと言っているでしょう」
あれ?女性の声・・・万里子は首をかしげました。聞こえてきた声は、女性にしては
少し低いですが耳に心地の良い声でした。
なかなか中に入らない万里子に対して、ドア近くまでやって来てくれたのは
小さな老婆でした。その顔は丸々としていて、細かく刻まれたシワが優しげな表情を
更に魅力的に見せておりました。
老婆は淡い緑のたっぷりとした衣を身に纏い、深緑に細かな金刺繍が入った大判のストールの
ようなものを肩からかけておりました。
万里子は自分に向けられた、好奇心旺盛のキラキラした目を見つめ、どこかで見たような・・
親しみを覚えました。なぜでしょう・・・。
「あ」
目の前で微笑む老婆とルヴェルを見比べ、2人の雰囲気が似ている事に気付いたのです。
「長老には間違いないでしょう。おばあさま」
「ものすごく年寄りになったのだと思い知らされるから、止めなさい」
ルヴェルはとてもリラックスした様子で、クスクス笑うと、立ち止まったままの
万里子の腕を引き、改めて紹介しました。
「長老は、私の祖母でもあります。おばあさま、会いたがっていたでしょう?マールですよ。
ジルのところから攫ってきました。今日からサイナで暮らします」
「・・会いたかったわ、マール。あなたの事を、ルヴェルから聞いてから、ずっと
会いたいと思っていました。私の事は、グリューネと呼んで頂戴。長老と呼んではダメよ?」
万里子に微笑みを向け、優しく語り掛けるグリューネの姿に、万里子はやっと、
何も挨拶をしていない事に気づきました。
「初めまして!マールです。あの・・術も使えないので、私にも何か出来る仕事が
あればと思ってサイナの街に来ました」
ぺこりと、お辞儀をする万里子に、そっとグリューネが手を差し出しました。
「こちらにいらして。なぜ、街のこんなに奥まで?ルヴェルがいくつか、仕事を
紹介したのではなくて?」
「それが・・おばあさま。マールはこの辺の若い娘が望むような仕事はお気に召さないようで。
それで、先に連れてきたのですよ」
ルヴェルは面白そうにそう言うと、紹介しようとしていた店の名を挙げました。
「まぁぁ、全てこの街では一流の、外国の要人も御用達の店よ?」
「あのぅ・・・余りにも華やかで・・・ちょっとそのような場は苦手で・・」
グリューネに手を引かれ、奥のゆったりしたソファに座ると、万里子はごにょごにょと
話し始めました。
「珍しい子ね。益々気に入りましたよ。では、このおばばの手伝いをしてくれる?」
「え?」
「・・・おばあさまは、衣を作る名人なんだ。引退して、今は注文品だけを作っている。
でもとても腕が良くてね。注文が後を絶たないんだ。でも・・若い娘は、大体
先ほど紹介したような商店通りの華やかな職場を好むのでね。
人手は欲しいが、候補者がいなかったんだ。本当はこれを機にすっぱり仕事は
辞めて欲しいと思ってたんだけど・・君が手伝ってくれるのなら、祖母も無理せず
仕事を続けられるかもしれない」
「あの、でも、どのような?私にも出来ますか?」
「棟続きに、作業部屋があるの。そこで染色した糸から生地を織って、衣を作っているのよ。
注文に応じて刺繍をする時もあるし・・細かい作業になるけど、好きかしら?」
手芸が唯一の趣味だった万里子は、大喜びです。
「是非やらせてください!お願いします」
その返事に満足したのか、グリューネは大きく頷きました。
話はトントン拍子に進み、手当てについても決められました。
食事はグリューネが用意してくれる事になり、その分賃金は他の仕事よりも安いわよ。と
言われ、出された金額にルヴェルも苦笑しましたが、ジルの屋敷を出る時に、
結局買ってもらった衣は全て持たされましたし、住む家にも困りませんので、
万里子にはそれで充分でした。
白玉と馬車を、ジルからもらってきた事を言うと、グリューネは自分の家と作業部屋が
連なった巨木の後ろ側小さな泉があり、そのほとりに、未使用の巨木と少しの空き地が
あるから好きに使うように言われ、万里子はやっと、ここからがスタートになるのだと実感したのでした。
「では、連れてきているというスホに巨木の家を使わせるといいでしょう。
そのスホは話せる?なら後から会わせてもらおうかしら・・。
場所はルヴェルに案内させるわ。手伝ってもらって頂戴ね。夕暮れに、またこちらに2人でいらっしゃいな」
「では私も久しぶりにおばあさまと食事をご一緒させてもらおうかな。ではマール。
君の家となる場所に案内しよう」
そう言ったルヴェルに連れられて来た場所は、本当にグリューネの巨木の裏手でした。
染色の時に使用しているという小さな泉は、それでも美しく澄んでいて、その横にある未使用の巨木の家と
空き地からは、グリューネの巨木に隠れて森の入り口は見えなくなっておりました。
ルヴェルは森の入り口が見えない場所だと言うことを確認すると、満足気に頷き、
白玉の為に巨木の家に柔らかな藁のようなものを敷き詰めると、白玉を馬車から
放し、代わりに車体を巨木の枝に繋ぎました。
「あぁそうだ、マール。ちなみに、私の家はこの森の一番奥にある、全体に蔦の
絡まった一番の巨木だ。えーと、つまりは見えてると思うが、コレだ。お隣だね」
そう言ってにっこり笑うルヴェルに、万里子は「わぁ!偶然ですね。心強いです」と
喜んだのですが、白玉だけはルヴェルを胡散臭げに見つめたのでした。
----------------------------------------------------
万里子が拠点をサイナに移し、仕事も決まって初めての夜を馬車の中で迎えた頃・・・
ラウリナ国の王都にある宮殿の中で、イラつきを隠そうともしない男が1人おりました。
「・・・そろそろ眠られてはいかがですか」
「どうしてだ」
「いつもならもう、眠りについておられる時間ですが?」
「なんでイラついてるんだ。兄上」
「・・・名前で呼んでくださいよ」
「イディ兄上、これでいいか?」
「イディって呼べって言ってるだろ!」
イディは目の前で、してやったりという風に赤い目に笑みを浮かべてにやりと笑う
濃いオレンジ頭の青年の前で小さく舌打ちしました。
「クラムルード様」
返事はありません。
「クラムルード殿下!」
更にそっぽを向かれました・・・・・・・・・。
「こんの・・クラム!!!」
「なぁ。イディ、最近女のとこ通ってるってホント?」
クラム、と呼ばれてやっと顔を向けた赤い目をした濃いオレンジ頭の青年は、
イディに直球を投げつけました。
んぐ!と変なうめき声を上げて、イディの動きが止まります。
「最近ずっと夜になると結界強めて出かけてるじゃん?それってやっぱ女だろ」
「な、何を・・・。し、仕事に決まってるだろ!」
「嘘だ。だって仕事は俺の側近じゃん。何か他に密偵みたいな事もしてんの?
それに、俺が最近夜更かししてるとやけにイライラしてるし・・・。早く行かないと
会えないとか、そんな感じ?」
確かに、この王子の最近の夜更かしで万里子に会えない日が続いておりました。
万里子にバレてからは、眠る前にしか話せないようになってましたので、あまりに
遅くなった日は行けないのです。
万里子は眠っていたらイディが行っても分からないかもしれませんが、イディは
律儀に約束を守っておりました。
それを思い途端に苦々しい表情になったイディを見て、クラムと呼ばれた青年は「図星だ」と呟きました。
「どんな女?会わせてよ」
「はぁ?そんなの気にしないで、マリー様に気ィ使えっての!」
「ヤだよ!あれがヤンテの姫なもんか!俺はぜってー認めねぇ!」
大体、この尊大な王子の認める姫君なんて存在するのだろうか。そう思ったイディが
小さくため息をつくと、クラムはこんな言葉を呟きました。
「ヤンテの姫って、別に本物がいるんじゃないかな」
イディの目がかすかに動揺した事に、クラムは果たして気付いたでしょうか・・・。
やっぱり全てはルヴェルの計算?(怖)
そして、赤い目の王子の登場です!