16.天と地と白と黒と
「あの。ムバクって何ですか?」
万里子には、目の前に優雅に佇む華やかな青年に聞きたい事が沢山ありました。
確かに初対面のはずなのですが、彼は『何でも知っているよ』。、というような、そんな雰囲気を
醸し出していたのです。
ルヴェルは少しだけ、眉をぴくりとさせました。
「君は、ムバクを知らないのかい?・・・もしかして、ナハクも?」
知っていて当然だろうと言わんばかりのルヴェルの返答に、万里子は少し顔を赤らめました。
「はい。あの・・ごめんなさい。この国に来てまだ日が浅くて・・」
それはルヴェルにも分かっている事でした。彼は万里子の無知を咎めたのではありません。
むしろ、知っておくべき事を、ジルが教えていなかった事に驚いたのでした。
ルヴェルは目の前で少しオドオドする、赤の少女を見つめて考えました。
ジルが語らなかった理由を・・・。
やはり、この少女を手元に置いておくためか?そう結論付けましたが、彼女を世間から隠し続けておくには
厄介な人間に既に目をつけられているようです。
ならば・・と、ルヴェルが口を開きました。
「教えてあげようか?」
目の前の少女は、大きく頷きましたが、次の瞬間、思い直したように姿勢を正しました。
「あなたの事も教えてくれますか?」
ようやくルヴェル自身にも興味を持ってくれた事に、ルヴェルは微笑み返しました。
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「ムバクと、ナハク。これは対極にある一族の名前なんだ。
あぁ・・でも争っているわけではない。特性がね、両極端だというだけ。
ナハクとは、この領地・・ジルの一族だよ。
彼らは一様に白い肌をし、白に近い髪の色、濃淡はあるが青い目をしている。
様々な術を使い、力の強い者は空を飛ぶ。空飛ぶラブルと空間を駆けるスホを操る。
その力は術を使う他の一族に較べても絶大だ。だが、夜は力を蓄えその身を癒す為に深い
眠りが必要なんだ。思い当たる事もあるだろう?」
万里子はまたもや力強く頷きました。
話の続きが気になるのか、口を挟もうとはせず、その先を促すようにルヴェルの目を
見つめました。
「ムバクは・・・夜を司る一族だよ・・・。この地上を一番速く駆けるルークを操る。
その魔力は夜に力を発揮する。夜の闇でも目は見えるし、その姿は闇に溶け込む。
彼らは眠らないんだ。日中は魔力が衰えるから武術に長けている者が多い。
だから用心棒や剣士の職に就く者が多いかな。
彼らの容姿は・・・・・・黒に程近い群青や藍の瞳と髪」
と、そこでルヴェルは万里子の表情を窺いました。
そうとも知らない万里子は、すっかり話に引き込まれており、ムバクという一族の
容姿の特徴を聞いて、素直に「あ」と声をあげたのでした。
「マール、君の知るムバクは、誰?」
その答えを促します。
「イディさん・・。です。でもどうして?ここに来た日に、一緒に馬車に乗っただけで
すぐに別れました」
「イディか。それはそれは・・・とても強力なヤツに目をつけられたね。
彼は何かの術を使っているのだろう。私よりも魔術に長けているジルならば分かると思うが、
何しろムバクはジルの魔力が強い日中には魔力が弱る。
だから彼が作った『道』も、日中は閉じていると思うよ。彼らが術を使って現れるのは
『夜』だ。そして君に会っている。その証拠が、コレ」
今は衣に隠れている胸元の星に、トン。と軽く指を当てました。
「会って・・・いません」
「会っているよ。夢の中でね」
「あ」
またもや万里子は素直に声をあげました。彼女の余りに無防備な姿に、ルヴェルは彼女を
自分の腕の中に隠しておこうとしたジルの気持ちが少し理解できました。
「毎晩。夢にイディさんが出てきます。それは本物のイディさんなんですか?」
「多分ね、ムバクは相手の夢の中に入り込む。夢は意識が見せるものだ。普段よりも
無防備になって、様々な情報が得られる。そして、来訪のシルシを様々な形で相手の
体に残すんだ」
「はぁー。虫さされだと思っていました」
「虫?ジルがその強大な魔力で守っている屋敷に?」
そういえば。と万里子は今更気付いたのです。
あの屋敷も、広い広い緑豊かな庭も・・・普通なら居るであろう虫の類は一切見た事がありませんでした。
「じゃあ、これはイディさんがつけたんですか?」
「そうだよ。こんな場所に吸い付くなんてね。余程気に入られらようだね」
ルヴェルはくすくすと忍び笑いを洩らしますが・・・万里子の頭の中にはたった今
耳に飛び込んできた「吸い付く」という言葉がぐるぐると回っておりました。
そうしてようやくその意味を理解した時・・・この自分の胸元にある赤いモノが、
日本で女子高生をしていた時に本や映画、友達の会話で聞いた所謂『キスマーク』に当たると知ったのです。
「えええええ!!!」
途端に耳まで真っ赤になる万里子を、ルヴェルは面白そうに宥めました。
「気になるなら、今日の夜は眠らずに彼を待つといい。ただし、眠ったフリをしていないといけないよ」
万里子はもう、恥ずかしくて今すぐポケットに潜り込みたくてなりませんでした。