13.意外な弱点
イディは、ヤンテが光り出し室内がほの明るくなった時、名残惜しそうにまだ
万里子の傍におりました。
そっと・・そっと自らがつけた「来訪のシルシ」を指先で撫でます。
思った以上に柔らかな肌、小さな手、顔をよせると、甘い甘い香りがして・・
時を忘れるような夜だったのでございます。
夢の中で交わした会話は、とても楽しいものでした。
異界から着た黒尽くめの娘・・とても平凡な外見でしたが、忘れられない何かが
ありました。
闇に溶け込める彼だから、ジルがスホで移動したのを不思議に思い、そっとそっと
都から後を追いました。
宮殿でチラリと見た、見るからに高慢な女・・・なぜ神官があれを「姫」と言うのか?
本物とは思えなかったのです。
だから、居るはずなのに、姫のそばに居ないジルを探したのでした。
答えは簡単に手に入りました。
望んだ「姫」がここに居るにも関わらず、渋い顔をしている「元」大神官が、そこにはおりました。
「サク殿、どうされました?姫は無事いらっしゃったのでしょう?」
「は?ええ・・・まぁ・・ですが・・・」
「ジル殿の、お姿が見えませんね」
はっと顔を上げ、イディを見上げたサクの表情は、後悔でいっぱいでございました。
「候補は・・・もう1人、おったのです。その娘をジル殿が連れ出しまして・・」
あの人嫌いが??
ジルを追った理由の半分は、好奇心でした。あの、娘をこの眼で見るまでは。
目の前ですやすや眠る万里子に目をやり、もう一度、シルシを撫でました。
ぴくり。
まぶたが動きました。
眠りが浅くなっているのです。何度も人の夢に入ってきたイディにはわかりました。
だが、目覚めるまでにはほんの少し、時間がある・・・。
彼はもう一度、そっと顔を伏せ、シルシを更に濃く、残して立ち上がりました。
針を止めたままの腕時計は、蓋を開いたまま・・・まるでふたりをじっと見つめて
いるかのようでございました。
そしてイディが近づき、顔を出している文字盤にそっと指を触れさせます。
すると一瞬の内に藍の煙となり、イディを吸い込んでカチリ。と小さな音をさせ、
そっと瞳を閉じたのでした。
-----------------------------------------------------------
「虫さされかなぁ?・・・夏だしね」
ぽつり。と胸元にできた赤い点を、万里子はぽりぽりと掻きました。
けれど、腫れてもおりませんし、特に痒くもないので首を捻りました。
「おはようございます。お目覚めですか?」
シアナがなにやら持ってやって来ました。
「はい。とてもゆっくり眠れました」
万里子は元々朝に強かったのですが、今日はいつも以上に頭がすっきりしていました。
なぜか、夢の中にイディが出てきました。
こちらに来るまでの馬車の中で、とても、とても沢山の話をしました。
あまりおしゃべりが得意ではない万里子でありましたが、イディはそんな万里子からも
話を聞きだすのが上手く、ついつい色々な話をしてしまいました。
少々話しすぎたような気はしましたが・・・「まぁ、夢だからいいか」と、ひとり
納得して、下着姿の体に、近くにあった布を巻き起き上がったのでございます。
「昨日はお疲れのようでしたので、そのまま眠っていただいたのですが、
身を清めたいかと思いまして、プルソを用意致しました」
「ぷるそ?」
身を清める・・と言う事は、お風呂でしょうか?
万里子は、この言葉に飛びつきました。ただ、「お体を洗わせていただきます」と
言うシアナの言葉は、丁重に断りました。
なんと万里子に与えられた部屋はバス・トイレ付きで、パステルカラーのカラフルな
タイルに、外国映画で見るような華奢な足のついた、まんまるの大きな浴槽が
ありました。
ゆったりとつかると、体の力が一気に抜けていくのがわかります。
浴槽の隣には、シャワーのような物がありました。シャワーヘッドは天井から
ふかふかと浮いており、万里子が下に立つと、ちょうど良い高さまで降りてきて
泡を出しました。
シャワーヘッドから突然泡が出たのでびっくりしましたが、その泡で全身を洗い、
迷いましたがそのまま湯船につかると、一瞬で泡だけがしゅん。と消えました。
ゆったり、ゆったりと、この世界のお風呂・・プルソの使い方を研究していると・・
外からシアナの声が・・
「マール様、衣の用意ができました」
「は、はーい!」
-------------------------------------------------------------
「ジルさんはもう起きたんですか?」
「ジル様は・・実は朝がとても弱くてらっしゃいます。日中使った力を、
夜に蓄え御身を癒すために、休息はとても大事なのですよ。でも寝起きが
あまりよろしくないというのもありますが・・。
あ、マール様、起こしてさしあげてください」
「良いのですか?」
「はい。是非」
連れられたのは、マールが与えられた部屋の隣にある塔でございました。
なんでも、ジルの一族は夜の休息がとても大事で、とても深い眠りにつくので
その眠りを大事にする為にひとりひとりに塔が与えられているのだそうです。
「しつれーしまーす・・」
見事な装飾の、背の高いドアを開けると、奥のベッドで眠るジルがおりました。
美人は眠っていても美人です。
万里子は、不公平さに少しだけ唇を歪めましたが、早速起こしにかかりました。
そっと近づき、試しに「ジルさん、おはようございます」と言ってみたのですが・・
パチリ。
なんと、すぐに目を覚ましたではありませんか。そして、万里子をぼんやりと見つめます。
一瞬、寝起きが悪いなんて嘘ではないか?と思ったのですが・・・・
次の瞬間、万里子はジルの体の上におりました。
「じ、ジルさん!」
「つれない人ですね・・ジル、と呼んで・・」
万里子の知るジルよりも、低く艶のある声が、耳の近くで聞こえました。
ぶるり。万里子の体が大きく震えました。
即座に離れようとしましたが、全体重をかけ、ジルの上に倒れこんだ、そのままの
状態で、ジルの両手に拘束されます。
万里子は焦りのあまり・・・
がぶり。
ジルの手を噛みました。
「っ!!!!」
ジルが一瞬ひるんだ隙に、腕から逃れた万里子と、そんな万里子を改めて見つめるジル・・
今度は、しっかりとした目つきをしていました。
「すみません・・・寝ぼけていました・・」
「も、ものすごい寝ぼけ方ですね・・・。あたしこそ、あの・・噛んじゃってごめんなさい」
「良いですよ。朝は苦手なのです・・出来れば、これからもあなたに起こしてもらいたいですね」
「はぁ・・・」
いきなりベッドに引き寄せられなければ、万里子はきっと簡単に承諾した事でしょう・・。
「あ」
「どうしました?」
「ジルさん、髪が・・」
ジルの、腰までの美しい白銀の髪が、ほんの少し絡まっていました。
「絡まっています。梳いても良いですか?」
すると、ジルは嬉しそうに「お願いします」と微笑んだのでした。
「マールは・・やはり赤を基調とした色が似合うのですね」
今、万里子が着ているのはシアナから渡された深い青のドレスでした。
昨日イディからもらったものよりも、露出が少なく、胸元の赤い点はドレスに
隠れておりました。
シアナには、このタイプが普段用なのだと言われたのでしたが・・・
「そう・・ですか?」
赤よりは、青を着る方が日頃からあったので、意外に感じました。
「えぇ・・あなたのせっかくの明るい肌が、くすんでしまう・・」
「はぁ・・・」
「しかし、もうお気づきかもしれないが、私の一族は青が守護色なのですよ。
濃淡はありますが、大体身につけるものは青なのです。
・・・今度、新しい衣を買いましょう。」
「え・・そんな、いいです!私には、これで充分です」
「いけません。昨日申し上げたでしょう?あなたは召使ではないのですよ」
それからというもの、朝、ジルを起こし髪を梳くのは万里子の日課となったのでございます。
ギャップに弱い人って、多いですよね!え?違いますか?