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10.壊れた時計

これは・・・どうやって着るのだろう?


万里子は首を捻りました。


似合う似合わないはともかく、これを身につけなければおなかは満たされないのです。

万里子は、衣を手に取って、広げてみました。


とても良い生地のようです。

柔らかく、手から馬車の床へと、流れるように広がったそれは、ワンピース・・

いいえ、ドレスと言った方が近い代物でございました。

ボディ部分は一見シンプルなボックスタイプなのですが、ちょうど上から4分の1の

部分辺りに、横布が縫い付けられており、自分のウエストに合わせて絞れるように

なっておりました。

ボディ部分に2本、幅広の共布がついており、これも肩の長さを調節できるもので、

着てからウエストをしぼった余り布と交差させて固定するようになっているようでした。

出来上がりは、深いV字のドレスにようになります。


柔らかな肌触りの布には、ところどころに繊細な刺繍が施され、唯一手芸が趣味だった万里子は

その繊細な美しさに見蕩れました。清潔に短く切られた爪でさえうっかり引っ掛けてしまいそうで

扱いにとても慎重になってしまいます。きちんと着れるのだろうかと心配になりました。


その時、ふと時計の存在が気になりました。

万里子はいつも高校の入学祝いに父からもらった腕時計を身につけていました。

アンティーク調のそれは、おちついた飴色の華奢な腕時計で、小さな赤い石が中心にある細かい彫刻が

美しい蓋が

文字盤についておりましたので、一見するとブレスレットのようでした。


いつもいつも、身につけておりましたので、今やっとこの存在の大きさに気付きました。

名前も、服も、この世界に合わせなくてはいけなくなった今、今までの自分の

存在が嘘では無かったと。家族の存在は夢では無かったと信じられる唯一の品でした。


そっと、蓋を開けますが、万里子はちょっと失望しました。

やはり、と言うべきか・・・・時計はその針を止めていたからでございます。


ふぅ。小さくため息をついて、時計をはずすべきかどうか悩みました。

ずっと身につけておきたい存在ではございましたが、ドレスを着る時にひっかかるのではないか・・

そう考え、迷った結果今だけはずそう。そう思い、時計を大切に近くの飾り棚に置きました。

えぇ。確かに、しっかりと置いたのです。


意識をドレスに戻した万里子は、考えた通りの手順でドレスを着てみる事にしました。

ある程度の体型の人なら着れるように作られているそれは、かなり大きく作られておりまして、

万里子が着ますと、ウエストを絞りましたらスカート部分はたっぷりとヒダが出来、

万里子の動きに合わせて、柔らかく足にまとわりつきました。

朱色のドレスは、自身が「不健康そうに見える青白いくすんだ肌」と思っていた

万里子の肌を健康的に見せ明るく、白さを際立たせ、「染められない程頑固なクセ毛」を艶やかに見せました。

先ほどまでの、黒尽くめのこれといって特徴の無い女子高生はどこにもおりませんでした。


しかし、馬車の片隅に術で用意された分厚いカーテンに囲まれた場所には当然鏡は無く、

着た事の無い色に、着た事の無いデザイン。どんな風になっているのか、全く検討がつきませんでした。

しかも、胸元と背中が大きく露出していたので、気持ちがそわそわ落ち着かなくなってまいりました。

不安で不安で仕方がありません。


せめて、人目に晒される前に自分で確認したかったのだけれど・・・

もう一度見回しますが、やっぱり鏡はありません。


「どうです?準備は出来ましたか?」


「は、はい!」


分厚いカーテンの向こうにはジルさんとイディさんが・・・。

なぜ出会ったばかりの男性達の前に、デコルテとか二の腕とか、肩甲骨の辺りとか

露になった状態で出てゆかなければならないのか・・・。なんだか悲しい・・。



万里子は自分の姿が滑稽に思えて仕方がなかったのでございます。



「おい、俺も腹が減ってきた。早く出て来いよ」


「い、行きます!・・・けど、笑わないでくださいね?」


そう話すと、えい!とばかりに分厚いカーテンを押しのけ、ふたりの前に出てゆきました。


笑うも何も・・・


あまりに雰囲気が変わったので、ふたりは驚きの余り何も言葉を発せずにおりました。


ジルはその美しい瞳を見開き、イディは男らしい少し厚みのある唇をめいっぱいに

開いて・・

でもそんなふたりの様子を、万里子は驚く程似合わないのだと思い、穴があったら

入りたい心境になるのでした。



「良く、似合いますよ」


「見違えたよ。やっぱり似合う」


気を取り直してふたりは言いますが、時既に遅し。

万里子は、即座にお世辞として処理してしまいました。


「お世辞は・・・いりません」


消えそうな程小さな声でつぶやく万里子に、ジルは「本当に美しいですよ」と慰めの言葉を言います。

ジルは、心からそう思っておりました。

朱を纏った万里子は、内から熱っぽく誘う赤の炎と共に、万里子を輝かせておりました。

俯く万里子と、見蕩れるジル。


ですから、ふたりは気付かなかったのです。

しっかりと棚に置いたはずの万里子の大切な腕時計が、柔らかなクッションの上に

音も無く落ちた事を・・。


イディが、時計に手を伸ばしました。


とても華奢な女物の装飾具・・・。


蓋を開けると、なにやら文字盤が出てきましたが、本来動いていたであろうそれは、動きを止めておりました。


万里子に目をやりますが、落とした事に気付いていないようです。


視線を時計に戻し、密やかに微笑むと誰も見ていない隙に自身のサッシュの内に忍び込ませました。



「さぁ、いい加減行きましょう。マールも、もっと堂々とするんだ。俺が用意した衣では不満か?」


「いえ!全然!」


慌てて首を振った瞬間、正直なおなかはまた空腹を主張し、スホを置きやっと街中へと出発したのでございます。




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案内された「美味い店」は、見るからに高級そうで、万里子は少し緊張しましたが

他のふたりは全く気にしていないようでした。


「もう少し庶民的なお店って、無いんでしょうか・・」


「ありませんよ。言ったでしょう?ヤンテが消えていた間、国は荒れたのだと。

ですからこういった貴族や豪商など金持ちを相手にした店しか、今はありません。

大丈夫。支払いの事なら気になさらないでください」


「はぁ・・」


仕方なく、万里子は両脇からふたりに抱えられるように店内へと足を踏み入れたのでした。



案内されたのは、個室だったので街中で黒髪をじろじろと見られた万里子はほっとしました。


「こういう店に来る客は、仕事柄密談が多いからな」


「はぁ・・そうなんですか」


「こちらの話も、人に聞かれてはマズイだろう?」


「イディ、まずはマールに食事を」


食事を。と言われても、どの料理がどんな代物なのか万里子はさっぱりわからない為、

ジルの「辛いのは好き?」「苦いのは?」などという簡単な質問に答えると後はジルが、

少し躊躇しながらも注文の為に席を立ってくれました。


ふたりきりになるのを待っていたかのように、イディがサッシュの内からなにやら取り出します。


不思議そうにしている万里子の目の前に、万里子の腕時計が差し出されました。


「あ!あたしの時計!」


「とけい、と言うの?これは何をする物?」


「時刻を知る為の物です。でも・・・壊れてしまったけれど・・」


「そう・・」


大きな手で、華奢な腕時計を弄ぶイディでしたが、実は何をする為の物なのかはどうでも良かったのです。


大切なのは、この「とけい」という物のこれからの役目。


「壊れても、ずっと身につけておくんだよ。夜の寂しさから守ってくれる」


そう言って、万里子の手首にそっとつけてくれたのでした。





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