冬の半ば―追憶―
赤く彩られた河川敷沿いの道を、二人無言で歩く。いつもなら他愛なく交わしていた会話も今日はない。
俺の少し後ろを歩く彼女は相変わらず俯いたままで、表情は読み取れない。しかし教室から変わらないその姿に、彼女の何かしらの決意を感じた。
彼女もまた、俺に話があるのだろう。
けど、俺は彼女の話を聞くつもりはない。それに俺が話したらきっと、彼女の話も解決する。
本当は単なる俺の我が儘で、彼女から話をされるのが嫌なだけだ。俺は……菫から別れの言葉なんて、聞きたくないんだ。
「菫」
そう菫の名前を呼んでから、俺は振り返って笑みを向ける。俺にとっては哀しい決意を伝える為に、俺はこの沈黙を破った。
「話が、あるんだ」
俺の真剣な声色のその言葉に、菫はすぐに顔を上げた。そして俺の表情を見た途端、驚いたような顔をする。
しかし次の瞬間には、不安そうな、でも強い瞳で頷いた。
「私も、聞いてもらいたい事が……ある」
そう力強く言った菫の言葉に、俺は頷く事ができなかった。ただ悲しい想いが、胸を駆け巡った。
俺は菫から目を逸らし河川の方に顔を向ける。
そこに見えたのはだんだんと沈んでいく赤い太陽だった。
「俺……菫が彼女になってくれて、本当に嬉しかった」
零すように、俺は話し始める。
菫に伝えなければいけない言葉は一つだけれど、その言葉を伝える事を少しでも引き延ばしたくて……そして菫と過ごした日々を、思い出にする為に。
「初めて一緒にこの河川敷歩いて帰った時は、夢なんじゃないかって思った」
菫が隣にいる現実が嬉しすぎて、菫の気持ちも考えずに俺は浮かれてた。子供すぎる過去の自分を振り返りながら、俺は自嘲する。
光が弱くなっていく太陽を見ながら、俺はそのまま話を続けた。
「俺が名前を呼びたいって……今となってはすげぇ恥ずかしいけど……。
必死にお願いした時、菫、俺に対して初めて笑ってくれたよな。
その笑顔で俺の名前まで呼んでくれて……俺、涙が出そうなくらい嬉しかった」
付き合ってから俺に対して笑ってくれた事なんかなかったのに、俺のあまりの必死さがおかしかったのか、糸が切れたように笑い出した菫はすごく可愛かった。
それからは、少しずつだけど俺に対してもちゃんと笑ってくれるようになって。その変化が、どれ程俺の心を救い上げていっただろう。
「弁当……作ってきてくれた時、俺信じられなかった。冗談だと捉えられてるもんだと思ってたから。
でも、菫はちゃんと作ってきてくれて。それから毎日、俺は菫の弁当が楽しみだった」
今日だって作ってきてくれた弁当。いつもおいしくて、感謝しない日なんて無かった。
「委員会の時とか、俺の部活が遅くなった日、いつも待っててくれたよな。それも嬉しかったし、感謝してる」
最近は、相模と話しながら待ってる事が多かったから、心は痛んだけど……。
それでも、嬉しい事には変わりなかった。菫はいつも、俺に笑顔を向けて「帰ろう」って言ってくれたから。
走馬灯のように、菫との日々が頭の中に次々と映し出されていく。その幸せな光景に、俺は自然と口端が綻ぶけれど、同時に哀しくなる。
俺は涙が浮かびそうな目をきつく閉じる。泣くなんて事は、俺のプライドが許さない。
数秒経って俺はまた、だいぶ沈んだ太陽を目に映した。俺の話を黙って聞いている菫を、俺は見ずに話を進める。
「菫は覚えてないかもしれないけど……初めて会った時、転んだ俺に手を貸してくれて嬉しかった。
俺、あの時の菫の笑顔に惚れたんだ」
ああ、そうだった。あの時の曇りのない菫の笑顔に、俺は惚れたんだ。
それなのに最近は、曇った笑顔ばかりだった。それを俺は見ないようにしていた。
「それからずっと、俺は菫を見てた。だから本当は気付いてたんだ」
そう言葉を切って、話し始めてから初めて菫を見た。
菫は目に涙を零れそうなぐらいに溜めて、俺をじっと見ていた。
そんな菫を愛しく感じながらも、これから言う言葉を噛み締めて、俺は寂しく笑う。
これから言うことが、彼女への彼氏としての最後の手向けの言葉だ。