秋の終わり―寂寥―
「菫!」
階段下に会いたかった人を見つけ、名前を呼びながら満面の笑みで駆け寄る。
彼女は冷静に俺を見て、溜め息を吐いた。
「昴……恥ずかしいから大声で呼ばないでよ……」
呆れたように、でも少し恥ずかしそうに彼女は言う。そんな彼女が堪らなく可愛く思える。
彼女の目の前まで来た俺は、満面の笑みのまま謝る。
「ごめん、菫。でも、菫に会えて嬉しかったから」
俺がそう返すと、彼女は一瞬悲しそうに顔を歪める。
その表情は彼女が顔を伏せることで見えなくなった。
「同じクラスなんだから……いつも会ってるじゃない」
掠れて小さな彼女の声。それは悲しみを含んだ音で俺の耳に届く。
彼女がどんな想いでその言葉を言ったのか、俺は知っていながら更に追い詰めるように言葉を紡ぐ。
「俺はいつでも菫に会いたいから」
小さく俯く彼女を見ながら、俺は寂しく笑んだ。俯いた彼女からは表情も何も、窺う事は出来なかった。
「そ、それより、今日!……作ってきたけど」
俯いたまま、話題を逸らすように大きな声を彼女は出した。だが、最後の方は消えてしまいそうな弱さの声でよく聞き取れない。
「菫、何?」
俺はなるべくいつもと変わらない声色であるように努めながら、優しく菫に聞き返した。
少しだけ顔を上げた彼女は、眉間に皺を寄せて不機嫌そうな表情を浮かべていた。その表情に俺は一瞬体を縮みこませたが、そのまま彼女の言葉を待つ。
「お弁当……作ってきた」
消えそうな声で紡がれた言葉は、声の大きさとは裏腹に俺の心に大きく響く。
「え?」
信じられなくて、思わず出てしまった間抜けな声。その声で彼女はますます不機嫌そうな表情を濃くする。
「だから昴……この前言ってたじゃない。作ってきてくれって!
それに昴いつもパンばっかりだし……だから言われたから、作ってきたの!」
吐き出すように大声で、焦ったように早口で並べられる言葉は、俺にとっては嬉しいものばかりで思わず顔が緩む。
作ってきてくれ、とは確かに俺は言った。
菫が自分で作ったと言った、菫の弁当があまりにもおいしそうでつい零れてしまった言葉だった。
でもそれは、きっと冗談として捉えられてると思っていた。俺に作ってきてくれることはないと思っていたんだ。
緩みきった表情を直せないまま、彼女に向かって笑みを向ける。
「ありがとうな、菫!すっげぇ嬉しい」
彼女は面を食らったような表情を浮かべてから、再び俯く。
「ついでだったし……余りモノ詰めただけだもん」
小さく、拗ねたような声で彼女は呟く。
ただの照れ隠しの彼女のその行動が愛しくて、俺は小さく噴き出す。俺の小さな笑い声に気付いた彼女は鋭く俺を睨んだ。
でもそれもまた、愛しくて、可愛くて。優しく、心が満たされていく。
「……本当に、ありがとう」
もう一度彼女に感謝の気持ちを伝える。
弁当のことだけじゃなく、彼女には……色々と感謝してるから。
俺のその言葉を聞いて、彼女はぱっと顔を逸らす。
少し赤みが帯びた顔を寂しげな表情に染めて、彼女は呟いた。
「ずるい……」
聞こえるか、聞こえないかぐらいの小さな言葉だった。でもまた、俺の心には大きく響く。
彼女がどういった意味で呟いたかは分からなかった。でも、俺には重い一言だった。
先程まで満たされていた心は、穴が開いたかのように急に空っぽになっていく。空いた場所には、代わりに罪悪感が溢れてくる。
「ごめん……」
彼女には聞こえない、声にならない程の小さな声で俺は呟いた。
聞こえていないはずなのに、彼女は俺の言葉が聞こえていたかのようなタイミングでまた俯いた。それは俺の謝罪を拒否しているようだった。
でも当たり前だ。それほど俺は、酷い事を……している。
俯く彼女をずっと見ている事が辛くて、窓の外に目を向ける。
もうすぐ離れてしまいそうな赤い葉っぱが、秋の木枯らしによって揺れていた。