3 王女取引をする
王女が目を覚ますと、やはり農婦が二人、置き物のようにじっと座っておりました。
しかしその農婦達は、眠る前とは違う服装と顔つきをしておりました。そして王女の前には温めた牛乳と殻をむいたゆで卵、それにパンが用意されました。
王女はやはりマナーを無視してがつがつと平らげました。
王女が食事を終えると、農婦達は身支度を手伝ってくれました。
もっとも、お城にいる時と違って、着替える洋服もありませんでしたから、顔を洗って崩れた髪を整える程度でした。農婦の後について部屋を出ると、農夫らしき男が待っておりました。王女は農夫と農婦達に挟まれて、昨日と同じ部屋へ案内されました。
そこでは、トリロが相変わらず領主らしからぬ格好で、何やら机に向かって仕事をしておりました。王女の姿を認めると、手真似で近くにある長椅子に腰掛けるよう合図しました。王女が腰を下ろすと、農夫達は黙って部屋から出て行きました。トリロが顔を上げました。相変わらず平凡な顔つきです。
「王女様。俺はトリロと言って、王様からここの土地を貰ったんだが、元は牛飼いの息子だ。しち面倒くさい社交辞令は抜きにして、肝心な話だけをしよう。王女様は前ぶれなく俺の土地に入ろうとして、兵隊に掴まった。ちょっとした行き違いで、お供は全滅だ。王女様とわかったからには粗略な扱いをしたくはないが、このままお城に返したら、王様が怒ってここの民を皆殺しにするかもしれない。そこで、ものは相談だ。そもそもどうして王女様がこの辺りをうろうろしていたのか、説明してもらいたい。場合によっては、後ろめたい思いをせずに、円満に解決する方法があるかもしれないからな」
場合によっては、王女から命を奪うかもしれない、とトリロが言っていることだけは王女にも理解できました。
王女には、うまい考えが思いつきませんでした。
仕方なく、王女は占い師に言われたことをそのままトリロに話しました。トリロは平凡な顔を奇妙に歪ませて聞いておりましたが、王女の話が終わったとみるや、尋ねました。
「城を出て北へ進んだ結果がこうだ。これからどうするつもりか、考えがあるのか」
「見捨てられた王国へ行きたいわ」
王女は間髪入れずに答えました。考える前に言葉が口をついて出たのです。何回か王国の名前を耳にするうちに、占い師の言っていた幸せが、その国にあると信じるようになったのでした。トリロが緊張した面持ちになりました。
「行けばいい。邪魔はしない」
「一人で行くことはできないわ。お供がみんな死んでしまったというのなら、代わりにあなたが一緒に来てよ」
トリロはやっぱり、という顔つきでため息をつきました。王女は思いついて、付け加えました。
「一緒に見捨てられた王国まで来てもらえれば、あなたの家来がお供を殺したことは、お父様に内緒にしてあげる。そうしたら、ここの土地は安泰でしょう。約束するわ」
「王女様がここの平和を約束してくれるのなら、一緒に行こう」
トリロはもう一度ため息をついて、王女の提案を承知しました。
見捨てられた王国は、昔はとても栄えておりました。
何十年か前のこと、年頃になった美しい王子が原因でかけられた呪いのせいで、城は死んだようになり、町の人達は遠くへ引っ越してしまったのでした。
その呪いというのは、王子に最初に口づけをした者が王子を目覚めさせ、その愛を受けるというもので、評判の美しい王子に愛されようと、あちこちから美しい姫君が家来を連れてやってきました。
ところが城の周りには、恐ろしいドラゴンが待ち構えていたのです。
美しい姫君は次々とドラゴンに吹き飛ばされたり、炎に焼かれたりしました。
命からがら逃げた姫君は、二度と王国に足を踏み入れようとはしませんでした。噂を聞きつけた美しい娘達も、次第に王子を手に入れるために命を懸けようとしなくなりました。
こうして呪いにかけられた城が残され、人気の途絶えた王国は、いつしか見捨てられた王国と呼ばれるようになったのでした。
王女は王国へ向かう道すがら、トリロから初めて王国のいきさつを聞きました。事情も知らずに行くと知って、トリロは呆れた顔をしました。
「俺はドラゴン退治なんか、しないからな」
「あなたの民がどうなってもいいのかしら」
王女はトリロの泣き所を掴んだと思い、得意になっておりました。
トリロが用意した服に着替えて、トリロの馬に乗っている姿は、王女というよりは田舎から出てきたばかりの小間使いのようでした。お供のいない旅も景色も目新しく、王女は楽しい気持ちでおりました。
「俺が死んで王女様が生きて帰れば、あの土地の平和は守れなくなる。そのくらいなら、一か八か王女様を殺した方がいい。ばれなければ、平和は守られる」
王女の気持ちは、たちまち萎みました。
見捨てられた王国との間には険しい山が立ちふさがっており、とても一人で越せそうにありません。トリロから逃げて城へ戻るにしても、やはり山を越えなければならず、山住みの男達の目も逃れなければなりません。トリロを殺すなどということは、王女には到底できない仕事でした。
顔つきこそ平凡でしたが、トリロの体つきはがっしりとして逞しく、王女でなくとも並の人では太刀打ちできそうにありませんでした。
王女は先のことを考えるのは止めにして、とにかく王国へ入り込むことだけを目指すことにしました。