決意
昨日神殿から戻った後、一睡もできずに夜が明けた。
王命からどう逃れるか一晩考えたが、やはり他国に亡命するしかないと結論が出た。
そうなるとハーヴェイ大神官に頼る事は難しくなる。
彼は私が他国に行くのを好まないので、頼ろうものなら大聖堂で保護という形で軟禁されるだろう。
望まない事はしないと言われたが、教会を心から信じる事は出来ない。
聖女ティアニアとして生きていた時、何度聖騎士の命を盾に脅されたことか。
当時の大神官への不信は、根深く私の心に残っている。
とにかく、まずは協力者が必要だ。
兵を掻い潜り城から抜け出して他国に亡命など、何の訓練もした事がない私が一人で成し遂げられるはずがない。
まず偽造身分証を作る時点で挫折する。
更にメイドや平民の服を怪しまれずに手に入れることも難しい。
誰にも知られずにそれらを実行することが出来るなら私は各国を股にかける有能諜報員にでもなれるだろう。
しかし、この王城内で私の味方になってくれる人はいるのだろうか。
同情的な者もいるが、同情で私の手助けをする者はいないだろう。
事この件においては、関与が判明してしまえば命すら危うくなる。
王命を拒否した王女の亡命幇助など叛意の意思ありと見做されて当然だ。
「あぁ、前途多難です……!」
うつ伏せのまま、枕に溜息と頭をぐりぐりと押し付ける。
一つ答えを見つけても、またすぐに新たな懸念が出てきてしまう。
「下手な相手に頼めば身の破滅ですし、どうしたらいいのでしょう……」
職務に忠実なシアに相談すれば即座に報告されてしまうだろうし、護衛騎士なんてそもそも目も合わない上に、まともな会話をした記憶もない。
長年城で暮らしてきたと言うのに、信頼関係を築けなかった私が悪いのだろうけど、現実に打ちのめされてしまいそうだ。
結婚することを選べば悩む必要はないけれど、それだけは選択できない。
もし本当に国のためになるならば、政略結婚することも当然だと思っていた。
望んで得たわけではないとしても、王女としての身分に対する責任は持ち合わせている。
でも、この結婚はただ嬲られて命を弄ばれるだけのものだ。
民の血税で生きてきたからこそ、このような死に方をするだなんて到底認められない。
陛下の気晴らしと厄介払いのために死ぬなんてお断りだった。
「だってまだ十七歳なのですよ、私。生きるために一度くらい全力で足掻いてみても良いと思うのです。どなたか権力財力決断力など諸々お持ちの方が協力して下さればいいのですけど」
ベッドの上で大の字になって天井を見上げる。
そしてふと思い浮かんだ紫黒色の瞳に苦笑する。
「……いっそのことダクス宰相が味方になってくださればいいのに」
しかし彼が私に手を貸すことはないだろう。
誰が前世の自分を死に追いやった者を助けようとするだろうか。
だが、辣腕宰相と名高い彼の力を借りれるならば百人力だ。
亡命を成功させるための協力者としてここまで打ってつけの方はそういない。
「何か、彼が心惹かれる対価を用意できれば可能性はあるのでは……?」
そうだ。善意に頼るのではなく、利益のある取引ならば応じてもらえるかもしれない。
それにもし断られても、彼のあの様子ならば誰にも言わずにいてくれる気がする。
そう思うのは甘いかもしれないが、この希望に縋る他ない。
一年のタイムリミット。
それまでに抜け出さなければ、私に待つのは死のみだ。
「ならば……」
ベッドの上でうつ伏せたまま拳を握りしめる。
「ならば、やれるだけやるしかありません!」
絶望などする暇はない。
そう、前途多難だがそれはいつもの事だ。
前世を含めて、前途洋々だったことなど今までの人生であったか? いや、ない!!
「そう、やるしかない。やるしかないのです……! 私ならできます!! よし!!」
勢いよく起き上がるとベッドから降りた。
シアが来るのを待たずに自らカーテンを開ける。
抜けるような青に真っ白な雲。眼下の庭園からは蝉の声が聞こえてくる。窓を開けると生ぬるい風が頬を撫でた。
空は快晴だ。
下を向いてばかりはいられない。
自分の人生を切り開くのは自分しかいないのだから、失敗なんて気にしていたら動けなくなる。
「ウェルニア様、どうか見ていてください。私はきっと逃げ切って幸せを手にしてみせます!」
高らかに宣言して、窓の前で仁王立ちする。
自棄になっていると言われれば否定はできないが、今ならどこまでも行けそうなほど心が軽い。
「そうと決まれば、まずは契約書を作らねばなりませんね」
シアが来るまで、そう時間はないだろう。
それまでに契約書を作成し、いつダクス宰相に接触しても良いように備えなくては。
私の差し出せるもの全てを引き換えにしてでも、彼と契約成立させてみせよう。