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宰相

 自室に戻っても心は波立っていた。


 落ち着きなく、青褪めた顔をして部屋の中をぐるぐると意味もなく歩き回る。


(どうしたら……どうしたらいいのですかっ……! 逃げる手立ては? 逃げたらお母様はっ? でも逃げなければ私はっ……!)


 私が逃亡すれば、王城に残った母は何らかの罰は受けるかもしれないが命が危険にさらされることはないだろう。


 だが、私は逃げなければ命はない。

 将軍の手で惨たらしく死を迎える姿が容易に想像出来た。


 叫び出したい気持ちで息が苦しくなる。


 母に陛下の寵愛があろうとも、あの残虐な愛がいつ母に牙を剥くかなどわかったものではない。

 できれば、母を連れて亡命したいが、そうすれば陛下は地の果てまでも追ってくるだろう。


(でも置いて逃げるわけにはっ……)


 思考が堂々巡りして答えが出ない。

 気付けば呼吸が浅くなっていて、息苦しさを感じ胸元を押さえて立ち止まる。

 何度か深呼吸を繰り返しているとーー


「ユーフィリア様、教会へ向かうお時間です」


 突如かかったその声に小さく悲鳴を上げた。

 シアも室内にいたようだが、全く気付かなかった。


 今の考えは口に出してはいないはずだと、そうわかっていても激しく動揺してしまい、感情の読めないシアのコバルトグリーンの瞳から目を逸らす。


「も、もう出れます。行きましょう」


 どうにか笑みを貼り付けるが手の震えが止まらない。

 それを隠すようにドレスを握りしめた。


 


◇◇◇




 馬車乗り場へと向かう途中、城の廊下をぼんやりと歩いていると曲がり角で横からぶつかられて大きくよろけた。


 あまり体幹の良くない私は自分の体を真っ直ぐ戻すこともできずに、悲鳴を上げることもなくそのまま傾いでいく。


 やる気の無い護衛では間に合わず、このまま床に体を打ちつけるのだろうとどこか他人事のように考えていた。


「ユーフィリア様っ」


 珍しく焦った様子のシアが私を支えようと近づく気配がする。

 しかし、それよりも早くシダーウッドの香りに包まれた。

 肩に回された腕の感触に驚いて相手の顔を見上げて、ひゅっと息を飲んだ。


「む、王女か。すまないな、書類を見ていて注意が疎かになっていた。怪我はないか?」


 そう言って謝罪するのはセルシオン・ダクス宰相だ。


 ダクス宰相は王族であろうと謙らない。

 まるで自分こそが王であるとでも言うような威厳と気高さに常に満ち溢れていた。

 それでいてその不遜な態度が許される程に有能で、彼がいなければ国は瓦解すると言われていた。


 彼の容赦無い手腕はアルディス王国に留まらず、周辺国の王侯貴族にまで恐れられていると聞く。


 しかし、貴婦人方には大層人気がある。

 何と言ってもその美貌だ。


 切れ長の瞳に薄い唇。

 端正な顔立ちから滲み出る色気で女性の心を鷲掴みにしているらしい。

 裏では彼の姿絵が高額で出回るほどの人気だそうだ。


 珍しい漆黒の髪は、確かアルディス王国北方の出身者に稀に現れると聞く。それをまっすぐ腰まで伸ばし、後ろで一つに束ねてある。

 夜を切り取ったような紫黒色の瞳はどこか透き通るような深みがあり、見つめているとその深淵に飲み込まれて戻れなくなりそうな、そんな不思議な瞳だった。


 前世と変わらないその色に胸がぎゅっと締め付けられた。



 彼はかつて魔王と呼ばれ、私が滅ぼした人だった。



 記憶が戻ってから彼に会うのは初めてで感情が騒ついてしまう。



「どうした、王女? どこか痛むか?」


「あ、い、いえっ、大丈夫です。ありがとう、ございます」


 慌てて視線を逸らし、自らの足で立つ。


「ダ、ダクス宰相。こちらこそ申し訳ございません。考え事をしておりました」


「よい、気にするな。……それにしても顔色が悪いな。食事は取っているのか?」


「は、はい。問題なくいただいてます。お気遣いありがとうございます」


「では、王命の件か」


 眉間に皺を寄せ不機嫌に問いかけられた。

 つい先ほど下されたばかりの王命だったが、既に把握しているようだ。


「……はい」


 ダクス宰相は私の後ろに向けて手を払い、シアと護衛を後ろに下がらせる。

 王命については彼女達には聞かせられない。


「先ほど知った。俺に隠れて狸が小細工を弄するとは……身の程知らずめが」


「陛下のなさることですから。こうして宰相が我がことのように怒ってくださるだけで十分です」


 陛下を狸と呼んで扱き下ろせるのはこの国ではダクス宰相だけだろう。


 どうにか笑みを貼り付けて礼を言うと、美しい顔がすっと表情を消した。


「死ぬぞ」


 小声で静かに告げられた言葉に肩を揺らす。


「承知の、上です」


 これっぽっちも承知してない。逃げられるものなら逃げてしまいたい。

 そんな気持ちを吐き出せるはずもなく、唇を噛んで俯いた。

 強く握りしめた拳は白くなり震えていた。


「……相も変わらず、愚かな女だ」


 どこか呆れたように息を吐いた後の彼の声が殊の外優しく聞こえたからだろうか。

 不意に泣きたくなった。

 必死に瞬きを繰り返し、涙を乾かそうと試みる。


「その無様な顔は伏せておけ。ではな」


 その声音は柔らかく響き、言っていることは憎まれ口だと言うのに全く嫌味に聞こえない。


 その不器用な優しさに胸の奥が熱くなる。


 ただでさえ、この城の中で私に親切にしてくれる人など殆どいないのだ。

 気まぐれな優しさだろうと、それだけでまた泣きたくなるほど嬉しさが込み上げてしまう。


 小さく感謝の言葉を呟き、眦の涙を拭き取っているとーー



「ふん、しかし奴らはほんに罪深い。元聖女にこのような仕打ち。国王こそが魔王ではないか」



 擦れ違い様に聞こえた彼の小さな声に、心臓がどくっと大きく音を立てた。


「っ!?」


 慌てて振り返るが、ダクス宰相は既に書類に目を落としながら足を進めていた。


「……い、今……」


(まさか彼にも記憶が……?)


 呆然としてその遠ざかっていく背中から視線を逸せない私の背中をシアがそっと押す。


「ユーフィリア様、参りましょう。大神官様がお待ちです」


 促されても振り返らずにはいられず、何度も何度も見えなくなった背中を探して振り返った。

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