王太子
「妾腹の癖に城を歩くなよ! さっさと這いつくばれ!」
「半分平民の分際で王族ぶらないでください。その立派なドレスも盗んだのではないですか? ねえ、卑しい平民王女様。牢屋へご案内しましょうか?」
「あー臭い臭い。肥溜めから生まれた妾腹女は臭いなぁ。僕の鼻が曲がっちゃうだろ。早く城から出て行ってくれないかなぁ」
近衛騎士に先導されて謁見の間に向かっていると正面から現れた彼らに出会い頭に罵声を浴びせられた。
口々に私を罵る十代後半の三人の令息達のその先頭に腹違いの兄ギルバート・アルディスがいた。
王妃譲りの透き通った翠玉の瞳を持ち、王家特有の輝かんばかりの金の髪は癖のある柔らかな髪質で短く揃えてある。
その美しいはずの中性的な顔は醜く歪んだ笑みを浮かべていることで随分と台無しになっていた。
ギルバートはアルディス王国の王太子だ。
そして、前世では命を賭して私を守ってくれた聖騎士の筆頭でもあった。
当時の彼はまるで母親のように過保護で世話焼だった。
やれ『好き嫌いをしては大きくなれませんよ』だの『このような道を歩けば御御足が汚れてしまいますので私がお抱えしますね』だの擦り傷でも作ろうものなら、悲鳴を上げて医務室まで担ぎ込まれたりしていた。
やることなす事すべてに口出しをしてくるのでよく困らされていたのも今となっては良い思い出なのだろう。
誰よりも優しく誠実で何があろうと彼だけは裏切らないという絶対の信頼を置いていたのだがーー
人は生まれ変わればここまで変わるものなのかと心底不思議でならない。
彼等の発言からも分かるように、王妃の子であるギルバートは側室ですらない平民の愛妾である母から産まれた私を嫌悪しており、幼少期より蔑まれてきた。
よく飽きもせず続けられるものだ。
努力の方向を間違えているのではないだろうかと思う。
人格に問題があるのに次期国王になれるのかと心配になるが、残念な事に私以外のことに関して王太子は大変優秀だった。
「おい、聞いているのか!?」
反応しない私に業を煮やして肩を突き飛ばそうとしたのは騎士団長の息子で彼自身も最近騎士に任命されたばかりのトラヴィス・ゼルメイだったか。
横に避けていた近衛騎士が面倒臭そうにトラヴィスを阻み、事なきを得る。
「暴力は駄目ですよ。証拠が残ります」
「そうだよ。一応、これでも王女だしさぁ」
そう声をかけるのは魔導師のライアン・オルコットと王宮楽士のリンツ・ロンハートだ。
側近達は三人とも前世では私の聖騎士だったというのに今や騎士と名乗ることさえ烏滸がましい行為を平然と行うようになっている。
誰も彼も騎士の誇りを忘れたようだ。
全くもって嘆かわしい。つい前世の彼等と比較してしまう。
仮にも王女に何故こんな態度が取れるかというと、王太子が率先して私を罵るからだ。
王太子が幼い頃から側近達にも強要していたせいで今では彼らも平然と挨拶代わりに私を罵倒するようになった。
突き飛ばされたりすることはあれど、酷い暴力を振るわれたり食事を抜かれたりすることはなかった。
私が王女であった事も理由だろう。
もし王子であったならば、毒を盛られたり暗殺者を差し向けられてもおかしくなかった。
命の危機を感じた事がなかったため大して反論したり抵抗したりせず、されるがままにしていた。
状況が悪化する方が余程恐ろしかったからだ。
今後も彼らを刺激せずにいるつもりだが、今は陛下の元へ急がなければいけない。
王太子らが立ち去るまで黙っていたかったけれど致し方ない。
彼らに向けて頭を深く下げて、口を開く。
「王太子殿下、側近の皆様。申し訳ないのですが国王陛下に呼ばれておりますので失礼します」
「なんだと!? 妾腹の癖に偉そうに!」
「お前如きが国王陛下に謁見する価値などない! 部屋に戻れ、平民王女が!」
丁寧に詫びを入れたというのに、案の定激昂する側近達。
陛下からの呼び出しを拒否できるはずもないだろうに、と苛立ちつつも冷静に対処すべく静かに息を吐く。
顎を引き、彼等に真っ直ぐ瞳を向け、なけなしの王族の矜持を持って口を開いた。
「妾腹ですが国王陛下の血を引いた王女です。一臣民のあなた方が私の道を阻むのですか」
「っ、いや、それは……」
側近達は身分を出されては逆らえないとチラチラ王太子の顔を窺いながら後退りする。
王太子は役に立たないと言いたげに眉を寄せて側近達を睨み付けると、私に嫌な笑みを向けた。
「父上に呼ばれていると? なら私が共に向かってやろう」
「呼ばれているのは私だけでございます。王太子殿下はご遠慮くださいませ」
「何だと?」
「今回は謁見の間に呼ばれております。その意味、王太子殿下であればご理解いただけるかと存じます。遅くなればご不興を買ってしまいますので失礼します」
家族の団欒ではないのだ。
呼ばれてもいない者が謁見の間に足を踏み入れることは許されない。
まだ文句を言いたそうにする王太子達の横を足早に通り過ぎ、謁見の間へと急いだ。