目覚め
遡ること二日前。
それは突然だった。
私、アルディス王国の第一王女ユーフィリア・アルディスは朝の目覚めと共に自分の前世が聖女だということを思い出した。
「まあ、思い出したところで全て終わったことですね。はいっ、忘れましょう」
両手をぱんっ、と合わせてひとつ頷くとそのままその記憶を無かったことにした。
思い出したところで碌なことにはならない。それは自明の理である。
創世の女神ウェルニア様も今頃激しく同意して、私の判断に拍手していることだろう。
ーーと言って全て無かった事に出来ればよかったが、そううまく行かないのが世の常である。
現状忘れることが難しいことはよく理解していた。
ただでさえ王城内には、なぜか前世の関係者が多いのだ。
顔を見れば嫌でも思い出してしまうのは仕方がないことだ。
せめて彼らの記憶を刺激しないよう今まで通りひっそりと息を潜めて過ごさなければ。
「あら、これは……聖力まで戻ってます?」
聖女としての力が戻ったのは幸か不幸か。死ぬまで隠し通さねば厄介ごとに巻き込まれるのは目に見えている。
聖女の力とは癒しの力だけではなく、浄化の炎で魔を滅する事もできるため、前世では魔物討伐などによく駆り出されたものだ。
ただ自分に治癒の力を使う事ができないのが難点で、そのせいで聖騎士達には随分と過保護にされていた。
「となりますと、王家と教会とあの方達にバレるのだけは避けなければなりませんね……」
前世の聖騎士達の生まれ変わりや、私に執着する今世の大神官など様々な顔が脳裏を過る。
そして、最後に美貌の宰相の顔が浮かび、さっと顔を青くした。
震える手で指を組むと必死な思いで創世の女神様へと祈りを捧げる。
「ああっ、ウェルニア様。忘れたままでいさせてくだされば良かったのになぜ今更思い出させたのです。前世の記憶があるのは私だけでございますよね? そうでございますよね!? どうか彼等の記憶は固くっ、深く! どうぞ地の底へと封印してくださいませ!! 可能であれば私の記憶も一緒にお願いします!!」
そうしてベッドの上で熱心に祈りを捧げていると不意に扉を叩く音がした。
びくりと肩を揺らし、慌てて組んでいた指を解く。
「ユーフィリア様、お目覚めでしょうか」
「え、ええ、入ってください。おはようございます、シア」
姿を現したのは、専属侍女のシアだ。
夏の海のような鮮やかな青の髪をきっちり規定通りに結い上げて、透明感のあるコバルトグリーンの瞳はその意志の強さを表すように切れ長だ。
そして、微妙な立ち位置である私を王女として丁重に扱ってくれる数少ない内の一人でもある。
「おはようございます。ユーフィリア様、いつも申し上げておりますが私の名前はシアーナです」
「ふふ、あまり堅苦しい事は言わないでください。私はシアともっと仲良くなりたいのです」
「そう仰るのでしたら、まずユーフィリア様が侍女に敬語を使うのをおやめください」
常に冷静なシアは、話し方も淡々して抑揚がなく、笑みを浮かべることさえしない。
シアの心の壁は、北方にある堅牢なデルヴ城砦の壁よりも遥かに高い。
かれこれ五年の付き合いになるが初対面の時から彼女との心の距離は一向に縮まらない。
珍しいお菓子も豪華な装飾品も何も彼女の心を動かさないようで、ただ職務に忠実であることが彼女の中で一番優先されるようだった。
シアが淡々と私の支度をしながら、今日の予定を告げていく。
「先程連絡が入りまして、陛下がお呼びだそうです。後程、部屋に近衛兵が迎えに来ますので、本日の午前の予定は全てキャンセルしております。午後からは予定通り大聖堂へ向かえるかと思います」
「ええ、わかりました」
陛下からのお呼び出しとは嫌な予感しかしない。
面倒な事になりそうだと思い、小さく息を吐くとコルセットを締めていたシアが「苦しいですか」と平坦な声で聞いてきた。
こうして私の些細な動きを気にして声をかけてくれるシアの優しさに小さく笑う。
「ふふ、いつものことです」
「そうですか。では、もう少し締めますね」
私が笑って答えたものだから、それに余裕を感じたシアに容赦なくコルセットの紐をきつく締め上げられた。