退治依頼
どこか遠くで悲鳴が聞こえたような気がしたけれど気のせいだと言うことにした。
(今聞いてみてもいいのでしょうか)
ダクス宰相の顔を見て、落ち着きなく指を遊ばせてはチラチラと様子を窺う私を、訝しげに首を捻りながらも私の言葉を待ってくれている。
コーネリア達が出て行った今がチャンスだと意を決して口を開く。
「ダクス宰相、ではなくて、その……陛下?」
「何でも良いぞ。好きに呼ぶといい」
「では、セ、セルシオン様と私もお呼びしていいでしょうかっ!?」
「構わん」
結構勇気を振り絞って問いかけたのだがあっさりと許可が下りた。
嬉しさを噛み締め、にやけそうになる頬に力を込める。
そして浮かれた私は欲望のままに更に願いを口にする。
「あの、よろしければ私のこともユーフィリアとお呼びください」
少し前のめりになりながらそう言うと、セルシオン様はきょとん、と目を丸くした。
何です、その顔。かわいいではないですか。
ときめく私にセルシオン様が心底不思議そうに問いかける。
「俺に名を呼ばれて不快ではないのか?」
「…………え?」
「この見目だ。エルフ達は気にしないが、北部の者はまるで魔王の再来だと忌み嫌う。くだらん迷信だが中には名を呼ばれたら呪われると言うものもいてな。あまり人の名は呼ばないようにしている」
そう思われるのが当然と言うように平然とした口調だった。
浮かれた気持ちが一気に萎み、信じられない気持ちで彼を見た。
コーネリアの説明で今まで彼がどれだけ領地の発展に貢献してきたか、貧しい者に手を差し伸べてきたのかを知っている分、余計に胸が痛んだ。
なぜこんなに優しい人なのに理不尽な謗りを受けなければならないのか。
まるで魔王と呼ばれていた頃の彼のようではないかと、腹立たしくて悔しくてーー悲しかった。
執務机を挟んだ向こう側。
触れるには遠い距離感がもどかしい。
それでも伝わってほしいと、溢れ出る感情を抑えるように震える手を握り込んで、彼の深い夜色の瞳をひたと見つめた。
「私はそんなこと思いません。セルシオン様には名前で呼んでほしい。私は、あなたがその色を纏って生まれてくれたことが嬉しかったのです。その瞳が好きです。漆黒の髪も好きです。あなたを形作る全てを好ましく思っています。ですから、ぜひユーフィリアと呼んでください」
そうして微笑んで見せるとセルシオン様は瞠目した後、少し困ったような顔をして私から視線を外した。
しばし沈黙が落ち、祈るような気持ちで彼の言葉を待つ。
そして、ややあってセルシオン様が躊躇いがちに私を見た。
「ユーフィリア」
少し掠れたその声が、私の名を呼ぶ。
それだけで胸が震えて言葉が出ない。
「ユーフィリア。美しい名だ。お前の心根を映したような響きだ」
穏やかな表情だと言うのに、なぜか彼が悲しんでいるように見えて、無意識に一歩足を踏み出したその時だ。
「ん"ん"っ、んっ!!」
「ひっ!?」
態とらしい咳払いが執務室の空気を壊す。
心臓が先ほどとは違う意味で飛び跳ねた。
「あー、なんですかねぇ。誰も彼も僕のことを魔導人形とでも思ってるんでしょーかねぇ」
視線を向けると、黙々と仕事をこなしていた副官と思われる男性が、机に片肘をついて呆れた表情でこちらを見ていた。
「予定前倒しで勝手に建国宣言しやがった我らが公王様のせいでこんな必死こいて事務処理してるって言うのに、その横で二人だけの世界作られて甘酸っぱいことされてる僕の気持ちわかります? ねえ?」
忙殺され、随分とやさぐれているようだ。
メガネ越しでも分かるくらい目の下には真っ黒な隈が出来て、顔色は土気色となり人相は酷いことになっている。
肩ほどの茶髪を後ろで雑に結んでいるが、頭を何度も掻きむしっているのか、鳥の巣のような状態だった。
「あ、あのなんかすみません……」
「いやあ、すみませんでこの気持ちが晴れると思います? いやいや無理です。そうなれば分かりますよね、聖女様? お願いします。仕事手伝ってください」
光の消えた目でじっと見つめられる。
「で、出来ることでしたらば……ええっと、あの、まずは回復だけでもしますね」
そう言って青年に手を翳して聖力を送る。
回復魔法を使うのは前世ぶりだが、特に衰えていないようだ。
徐々に彼の顔色が良くなっていき、目に光が戻る。
「お、おおっこれは素晴らしいです! お陰様であと三徹は出来ますね!」
この男、ワーカーホリックか!!
「キース、お前は少し休め」
セルシオン様に近しい方のようで彼は名前で呼ばれているようだ。
キースと呼ばれた男性はボサボサの髪を手櫛で梳いて結び直しながら首を横に振る。
「いえ、ですがねえ。面倒事が山積みでして……ああ、丁度聖女様にお願いしたいことがあるんですけど」
「今日亡命したばかりだぞ」
「分かってますって。でも早めに対処しないと面倒なのが一件あるじゃないですか。ほら、清浄の森の」
「…………ああ、あれか」
セルシオン様が眉間に皺を寄せて唸るように呟いた。
そして、ひとつ息をつくと私に向き直る。
「こちらに来て早々悪いが頼みたいことがある」
「はい、何でしょう?」
「北部に清浄の森があるのは知っているな?」
「もちろんです」
知らぬはずがない。
かつてその奥にある古城であなたを滅ぼしたのだから。
「そこに厄介なものが棲みついたようでな。危険はないのだが、面倒な相手でエルフ共も手を焼いているようだ」
「そ、そんな厄介な相手を私がどうにか出来ますでしょうか?」
「ああ、むしろ適任と言えるだろう。行ってもらえるか?」
「はい、私がお役に立てるならば」
詳細を聞くことなく、一も二もなく頷く。
「助かる。詳細はキースに説明させる」
セルシオン様が手招きをしてキースを近くに呼ぶ。
「この者はキース・ミルズ。以前は副官として使っていたが、今の肩書きは宰相となる。俺の遠縁の者だ」
「ようやくご紹介に預かりました、この度宰相に出世しましたキースです。聖女ユーフィリア様、僕のことはメガネと呼ばなければ何と呼んでもらっても構いませんよ」
キランとメガネが光る。
「は、はあ。ではキースと」
「はいはい、では早速ですがご説明させていただきます。まず清浄の森についてです。
清浄の森とはエルフ達、森の民が暮らす特別保護地域です。その名の通り清らかな森で聖力が溢れてまして、毒やちょっとした怪我なら浄化したり治癒しちゃいます。よく分からない何かしらの加護があるらしく最北端ですが農作物が豊富に実ったりします」
ふむふむと頷きながら聞く。
「しかし、それだけ魅力的な土地ですと魔物や精霊など他のものも寄りついてきます」
「魔物は浄化されないのですか?」
「はい、浄化されるのは悪霊や姿形がないものや呪いの類ですね」
「なるほど」
聖女の浄化の炎だと魔物など形あるものも浄化できるのだが、清浄の森は広範囲な分、威力が落ちているのだろう。
「そして、今回やってきた厄介なお客様がですねー。なんと!」
ごくりと唾を飲み込む。
「可愛いにゃんこです!」
「本当ですか? サイズは? 種別としてネコ科というだけでは?」
即座に質問を被せるとキースが頬を引き攣らせる。
「おぉう、随分な疑いようで……今までどんな生き方をしたらそんな疑心に満ちた目ができるんです?」
こう言うタイプは人を騙すことに良心が痛まないと前世からの経験でよく知っている。
嘘偽りは許さないというように半眼で疑い深く彼を見据えた。
「あっはっは、いやあ、まさかあっさり看破されるとは! では正直に申し上げましょう。森に棲みついたのは、ベレトです」
「あー……そうきましたか」
確かに猫だ。猫の悪魔だけれど。
「清浄の森ではさすがに悪魔を浄化する事はできないんですよね。でもほら、聖女様って浄化の炎使えますよね。魔に属するものだけを燃やし尽くすって言うアレ! と言うわけで、それで一発だと思うのでよろしくお願いしますね!」
キラッキラの笑顔で私に地図やら持たせると、自席へと戻り仕事を無心で片付け始める。
「もちろんユーフィリアだけではなく護衛も複数付ける。害はないのだが、いや、あるのか? 何を血迷ったのか無差別にエルフ達の縁結びなんぞ始めおってな。皆、迷惑しているようだ」
それは迷惑極まりない。お節介にも程があるぞ。
「わかりました。人のーーエルフの恋路を滅茶苦茶にするような者は成敗してくれます!!」
「うむ、その意気だ。頼んだぞ」
安請け合いとも言えるが確かに対悪魔であれば聖女が適任だ。聖力も馴染んできているので問題ない。
何よりセルシオン様から聖女への依頼だ。
断るだなんてありえない。
悪魔退治、確実に果たして見せましょう!!