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亡命3

 しかし、どれだけ自分が悪くとも諦めないのが陛下だ。


「ぬう……! 誰でも良いから宰相を捕まえよ!! 決して逃すな!!」


「父上、おやめください!!」


 王太子は陛下を諌めて、ダクス宰相を見上げる。


「宰相、父上の行いについては謝罪する!! しかし聖女ならば教会に所属すべきだ!!」


『王太子か。案ずるな。聖女は我が国と契約する。教会には所属しない』


「なっ! 聖女を独占する気か!!」


『そうだ。当然だろう』


 そう言うと、私にすっと視線を動かす。片方の口の端だけを持ち上げた意地の悪い笑みにぞくりと悪寒が走る。


 まるで獲物を見つけて舌舐めずりをする蛇に見つかったような気分だ。


「だ、ダクス宰相、お、おおお許しを……!」


 まだ何もされていない。されてはいないが、予感がする。

 これは女神様からのお告げだろうか。

 しかし、この主塔の先端という非常危険な足場でダクス宰相に頼るしかない私に逃げ道などなかった。


 一時的に拡声魔法を切ったダクス宰相が耳元で囁く。


「言ったであろう。あの者の未練を断ち切らねばならん」


 片手で私を抱いたまま、顎に手をかけられ上を向かされる。


 夜の闇そのもののような深い紫が私を飲み込んでいく。


 ダクス宰相は陶然とした表情で見上げる私を覆い被さるようにして腕の中に包み隠した。


 まるで口付けを交わすかのように鼻先が触れ合うほどの距離にある彼の顔。


 その距離でーー


「言い忘れていたが、そのドレス。王女によく似合っているな」


 そう、囁いた。


 彼にとっては何ということはないただの社交辞令だとはわかっている。


 だけれど、私の正常な判断を奪うには充分だった。


 言葉を発することもできない。

 少しでも動けば唇に……いや、これもうアウトでいいのでは?

 というか、ここまでしてなぜ唇にしないのか。


 彼との間にある僅かな距離に確かな憤りを感じてから、はっと我に返った。


「さ、宰相……っ!」


『ん、どうした』


 理性を総動員して制止しようとしたが、顔を動かした拍子に耳を掠った唇に言葉が止まる。

 耳朶を震わす低い声が耳元と拡声魔法とで二重に聞こえてクラクラした。


 下では絶えず女性陣の黄色い悲鳴が上がっており、陛下や貴族達も私達の姿を見上げているのだろう。

 もういっそのこと気を失ってしまいたくなる。


(あぁっ、シアやお母様が見ていたらどうしましょう……!)


 二人の反応を思うだけで地中に埋まりたくなった。


「や、やめろ!! 私の聖女を汚すな、魔王め!!」


 王太子が焦った声で憎々しげに叫ぶ。その発言にダクス宰相の背中を慌てて叩く。


「あ、あの! これ逆効果では!?」


 未練断ち切るどころか、恨み骨髄って感じですけど!?

 むしろ前世の片鱗すら窺えますが!?


 ダクス宰相も遥か下の方にいる王太子を確認して不思議そうに首を傾げた。

 

「……ふむ、男女の仲だと見せつけることで聖女への幻想を砕けば執着が薄れるかと思ったのだが失敗したな」


 あっさりと失敗を認めるダクス宰相。

 王太子の表情は鬼気迫るものへと変わっている。


「お前に聖女は渡さん!! 返せ!!」


『断る。すでに契約は交わしている。お前に返す道理はない。それに見て分からんのか。これほど愛でているのだ。引き離そうなど酷な事を言う』


 愛おしむように髪を撫で、長い指先が栗色の髪を弄び唇を落とす。


「さ、さささ宰相っ? さっき失敗したと言ったじゃないですか! なぜ続けるのです!?」


「言ったが、中途半端だったゆえ王太子も諦めが付かぬ可能性があると考えた。それに衝撃を与えることには成功していた。まだ諦めるには早いだろう」


「いえいえいえ、単純に作戦ミスです! 中止を要求します!!」


「まだ結果は出ていない。やってみなくてはわからぬではないか」


 そう言って器用に拡声魔法を切断したり発動したりと切り替えながら、ダクス宰相は王太子を煽っていく。


『公妃として迎え入れる準備もしている。アルディスに返すことは未来永劫なかろうよ。我らに子が出来ればパーティに招待くらいはしてやるぞ。ふはははははっ!!』


 「ひゅーひゅー!」「さすが宰相! 男前!!」「私を公妃にしてーー!」


 囃し立てる国民。舞台は最高の盛り上がりを見せていた。


 しかし、それが最後のトリガーになった。


「…………ふ、ふふ、ふ、ふっざけるな!! 聖女様は我らが聖騎士の命より尊きお方!! 貴様などが聖女様と、い、営みをして子を成すだと? なんと汚らわしい!! 死を以って贖え!! っ!? ……ぁ、ぐ、ぅ……っ!」


 激昂していた王太子が急に頭を押さえながら膝をついた。


「せ、聖騎士とは? ……わ、私は、一体何を……聖女様……いや、違うっ! 違う!! ……こ、これは、これは何だ……?」


 混乱し酷く取り乱している。

 あの様子では既に前世の記憶との混濁が起きているようだ。


「ひぃぃぃぃ!? 宰相宰相宰相!! 駄目です駄目ですこれ!! 本気でこれは危険です!!」


「む、藪蛇だったか」


「藪蛇だったか、じゃないですよぉぉお!! 私の羞恥心を犠牲にして何してるんですかぁぁぁっ!!」


「すまんな。止めを刺すつもりだったんだが」


「そうですね、ある意味止めを刺しましたね!!」


 王太子が頭を抱えて地面に蹲る。その近くに側近達が駆け寄って行くのが見えた。


 ああなれば時間の問題だろう。

 王太子の記憶は遠からず戻る。


 地の果てまでも追って来そうな懐かしき聖騎士の顔が思い浮かんで恐怖に顔を引き攣らせた。


「しかし過ぎたことは仕方あるまい。一番の目的は王女の亡命だ。それを果たせば文句はなかろう。それに王太子など取るに足らん者がいつ来ようとも俺が追い返す。だからそう案ずるな」


 ダクス宰相は堂々とそう言い切る。


「〜〜あぁ、もう、わかりました! ダクス宰相がなんとかしてくださるのでしたら、それを信じます!」


「ああ、俺に任せておくといい」


 どこか嬉しそうに口角を上げた彼に、私もついつられてしまう。


「ではそろそろ帰るとしよう。ーーナレアス!!」


「はっ!」


 ダクス宰相の呼びかけに応じて即座に空中に片膝をついて浮かぶ男性が現れた。

 すっぽりと顔を隠すフードを被っており、怪しさ満載だ。


「帰還する!」


「承知しました」


 ナレアスと呼ばれた男が胸に手を当てて頷き、私とダクス宰相を包み込むように魔力で覆う。

 声からしてまだ年若い青年のようだ。

 しかし、私たちを包む魔力濃度は明らかに人間を超越していた。

 何をするつもりなのかと少し警戒し、彼の動きを注視する。


「ま、待てっ!! 待ってくれ、ダクス宰相!! 頼む、聖女様を連れて行かないでくれ!!」


 ダクス宰相は、痛みを堪えながらも悲痛な声を張り上げる王太子を黙殺する。


 王太子の翠玉の瞳が私に縋るように向けられた。その瞳はどこか懐かしい色を宿していた。


(泣かないでくださいね。あなたはしっかりしているのに、いつも変なところで泣いて私を困らせるのですから)


 王太子に大切な聖騎士の姿を重ねて見る。

 困り顔で見下ろすと、目を見開いた王太子が何か言いたげに口を開閉し、泣きそうな顔で私を見上げる。


(なんて顔してるんです、全く)


 苦笑して、首を横に振る。


 そのまま王太子から視線を外してアルディスの王都をぐるりと見渡した。

 そしてシアがいるであろう部屋、最後に東の離宮へと順に視線を向けて胸の内でそっと別れを告げた。


「もう大丈夫か?」


「はい、待ってくださってありがとうございます。もう充分です」


 それに大きく頷くと、拡声魔法を起動する。


『さらばだ、アルディス王国の民よ! 王侯貴族共よ!!』


 ダクス宰相の合図で青年がこちらへ向けて腕を伸ばす。その拍子にフードの隙間からペリドットの瞳がチラリと見えた。


 それを綺麗だと思う間もなく、憎悪が籠った目が私を貫いた。


 殺意すら感じて、肌が怖気立つ。

 訳も分からないまま、青年を呆然と見つめた。


 忌々しそうに私を睨み付けたまま彼が片腕を振るうと、視界がぐにゃりと歪む。


 転移魔法だと認識すると同時に目の前が真っ白に染まった。

 あまりの眩しさに目を開けていられず、すぐ眩暈と浮遊感に襲われて平衡感覚までもが狂いだす。


 陛下や王太子の声も国民の声も全てが遠ざかる。


 両腕でしっかりと抱き締めるダクス宰相に守られるようにして私はアルディス王国から姿を消した。

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