母と娘
数日後、国王より国民へ向けて私の結婚についての公示がされた。
反応は様々だが、多くの国民と貴族から哀れみを向けられた。
貴族の中には「お似合いの末路だな」などと声をかけてくる者もいたが、悲し気に微笑めば居た堪れなくなるのかすぐに去っていってくれるので特に問題はなかった。
今日は陛下の許可が下りたので、母との面会がある。
この国を去る前に母と話をしておきたかった。
基本的に母の住む離宮に足を踏み入れることができるのは陛下の許可があるものだけだ。
しかし、娘である私でも頻繁に訪れると陛下から不満の声が上がるので、機嫌を損ねないためにも年々足が遠のいており、今では顔を合わせるのは一年に数えるほどだった。
東の庭園から程近い離宮は、白と茶色を基調とした落ち着いた雰囲気で、私も十二歳になるまではここで過ごしていた。
この離宮にいる限り母は安全だ。
母に危害を加えようとした者達の行く末を知っている者ならば、誰も手を出そうとはしない。
王妃は虎視眈々と暗殺する機会を狙っているが、少なくとも王太子が即位するまでは大人しくしている事だろう。
離宮に到着すると客間へと案内される。
ソファに座ったところで、勢いよく部屋の扉が開かれる。
「ユーフィリア!!」
母はチョコレート色に波打つ髪を振り乱し、私に駆け寄ると強く抱きしめた。
「あのクソ野郎殺して一緒に逃げるわよ!!」
「お母様っ!? 何をおっしゃるのです!?」
「このままじゃ、ユーフィリアが殺されてしまうわ! お母様に任せなさい。二人で生き延びるわよ」
何とも頼もしい言葉だが、あまりに無謀だし陛下を弑したとなればただで済むはずがない。逃げ延びることなど不可能だ。
「顔を引っ掻いて殴りつけて何日も大暴れしてユーフィリアの結婚を撤回するように言ったんだけどアイツ聞き入れやしない!! もう殺すしか手はないわ!」
「お、落ち着いてください、お母様!」
「大丈夫よ、落ち着いてるわ。ほら、お母様の目を見てみなさい。普段通りでしょう?」
私から少し身を離した母の瞳は蜂蜜色にきらめき、どこか爛々としていてとても正気とは思えない。
「お母様、まずその物騒な考えはおやめください。そのようなことなさらなくていいのです!」
「嫌よ! ユーフィリアまで失うだなんて耐えられないわ! それならいっそ全部ぶっ壊してやるわ!!」
「お母様!!」
ああっ、もう! 本当になんでこんなに人の話を聞かないのでしょう!
視線で控えていたシアや母付きの侍女達を下がらせると会話が漏れぬよう部屋に結界を張った。
まあ、普段から過激な発言が多い母のことなので侍女達も特別取り乱したりはしないが、この後の私の話を聞かせるわけにはいかない。
「私の可愛いユーフィリアを野蛮な男に嫁がせるとか頭沸いてんじゃないの!? ああ、沸いてるわよね。そうよね。平民に執着して十数年も離宮に閉じ込めるんだから! ふふ、最期は苦しみながら死んでもらわないとね」
「だから聞いてください!! 私、亡命するんです!!」
肩を揺さぶるように掴み、そう叫ぶと母は目を丸くして私をまじまじと見つめた。
「ぼ、亡命? どこへ?」
「まだ詳しいことはお伝えすることはできないのですけど、まずは私がその国へ行き、状況が安定すればお母様を迎えに来ようと思ってます。ですのでそれまでーー」
「ダメよ」
「え?」
あまりに鋭いその声に息を飲んだ。
「二度とここには戻ってこないで。迎えに来なくていいわ」
「なぜですっ!?」
「私が逃げたらあの男は追ってくるわ。あなたが手に入れた平穏を私が壊すわけにはいかないでしょ。ユーフィリアが生きているならそれでいいわ。私のことは忘れなさい」
「ではお母様はどうするのです! 今は良くとも、陛下に何かあれば王妃様がーー」
私の頭をわしわしと雑に撫でると、私を安心させるようにケラケラ笑う。
「わーかってるわよ。あの男が死ねばすぐにでも出ていってやるわよ、こんな所。王妃の手からも逃れて、名前を変えて田舎で暮らすの。だからユーフィリア、よく聞いて。この城を出たら私のことは死んだものと思いなさい」
「そんなっ!」
母は私の頭を抱きしめると優しく髪を撫でる。
「それが親孝行だと思って。最後のお願いよ。私は私の方法でこの城を出て行ってやるわ。だから、安心していってらっしゃい。そして今までの分も幸せになってちょうだい」
その柔らかな声は既に覚悟を決めていた。
ならば、私もその覚悟を返すまで。
「いえ、やはり受け入れられません。お母様、私にニ年ください。お母様にはきっと途轍もなく長く感じると思います。ですが、必ず安全に救い出して見せますから自棄にならないで私を待っていてください」
母は力強く反論する私を心から愛おしげに見つめ、仕方なさそうに苦笑した。
「あなたのいない二年は長いわね。ええ、でもいいわ。二年、待ってやろうじゃない。そこまで言ってくれる娘を信じて待つのも親よね。でもね、ユーフィリア。自分の命を一番に考えて、危険なことはしないで。それだけは約束して」
「はい。ウェルニア様に誓って、必ず」
(必ず陛下から救い出して見せます。危険なことをしないとは約束はできませんけど)
心の中でそう付け加えながら大きく頷いた。
◇◇◇
母と昼食を共にして部屋に戻ると、しばらくしてからシアが銀のトレイに一通の手紙を載せて持ってきた。
「ユーフィリア様、宰相閣下よりお手紙が届いております」
シアの言葉に引ったくるような勢いで手紙を受け取る。
逸る心を抑えることなくペーパーナイフで雑に封を開け、手紙に目を通す。
内容はイグニダ将軍との婚姻の件だ。
婚約式、結婚式、ベルヅ国へ移る時期、この結婚がアルディス王国に齎す利益などなど誰に見られても問題のない表向きの内容だ。
しかし、これは前もって決めていた亡命決行の合図である。
詳細を一切知らないことは不安ではあるが、任せておけと言われているのでダクス宰相を信じて当日を迎えるまでだ。
日付を確認すると決行は五日後と書かれている。
(あら、五日後といえば……)
「ねえ、シア。確かそろそろマルロスの……」
「はい。五日後、マルロス共和国の使節団がお見えになります」
「なんだか騒がしくなりそうですね」
いろんな意味で。
これが王女として過ごす最後の五日間となる。
側に立つシアを見上げて、寂しさを感じた。
(これでシアともお別れですね)
肩身の狭い思いを沢山させてしまった。
仕事が出来るばかりに私を押し付けられて可哀想なことをした。
不平不満を言うことなく、私を虐げることもなく、真っ当な王族として扱ってくれた。
そんなシアに感謝していた。
この魔窟のような王城で、張りぼての王女が王族としてかろうじて振る舞えていたのは常に側に控えていてくれた彼女のお陰だ。
優しい言葉はなくとも、彼女が認めてくれていた。
私は確かに、このアルディス王国の王女であると。
それが幼い私にはどれだけ心強く、支えになったことか。
確かに感情豊かではないけれど、彼女ほど職務に忠実で優しい侍女はそうはいない。
直接別れの言葉を言うことは叶わないだろう。
だから、せめて彼女に手紙を認めて品を贈ろうと思う。
シアをあらゆる困難から守ってくれるよう、祈りを込めて。
聖女の祝福を与えた贈り物を。
何一つ受け取ってくれたことはないけれど、突き返す相手がいなければ持っていてくれるはずだ。
(最後なんですもの。このくらいの我儘は許してくださいね)