それぞれの長い夜【前編】
「おい、飲み過ぎだ。コーネリア。酒抜く前に酔い潰れてどうする……」
さして酒に強くもない俺は結局一滴も飲まなかったが、コーネリアは聖女の母親と共に浴びるほど飲んでいた。
我が主は酒に呑まれるような方ではないし、全く酒を飲まない俺が酒精を抜く魔法など覚えるはずもないので、コーネリアの酔いを覚ましてやることはできない。
しかし酒豪であるコーネリアが酔い潰れるところを見るのは初めてだった。
コーネリアと同じかそれ以上に飲んでいた向かいに座る聖女の母親は、まるで素面のように涼しい顔をしていてゾッとする。
「うわばみか……」
「あっはは! エルフ様と飲むとなるといつもより美味しくてお酒が進んじゃうのよ! あなたも一杯付き合わない?」
多少は酒の影響で陽気になっているようだ。気持ちのいい笑い声を上げながらテーブルをぐるりと回ってこちらに来ると俺の隣に勝手に座られた。
グラスを勧められるが手で押し返す。
「断る。俺はセルシオン様の護衛だ。何かあった時、すぐさま駆けつける必要がある」
「あら、それなら仕方ないわね。偉いわ。自分の仕事に責任を持っているのね」
柔らかな手の平が俺の頭を撫でる。
振り払おうと思ったが、酔っ払い相手に抵抗したところで厄介な目に遭うだけだと好きにさせておく。
「んう、ナレアス……」
「どうした、水か? ほら」
コップを渡すと目を閉じたまま口を半開きにして催促してくる。
普段よりも赤く色付いた唇、少し乱れた呼吸、上気した頬。
(ちょっと待て、ふざけんなよ。こんな無防備な顔しやがって。口付けてやろうか)
指先で触れた唇は熱を持っていた。
柔らかく、吐息まで熱い。
吸い寄せられそうになって、ハッと我に返った。
(って、いや俺は何を!? クソ、駄目だ。酒の匂いで酔ったか?)
酒瓶は空いたそばから回収されるが、二人が飲んだ本数を考えればこの近さならば匂いで酔ってもおかしくない。
「ん、はやく……」
少し掠れた吐息混じりの声に、ゴンッとテーブルに額を叩き付ける。
(平常心、平常心。俺なら出来る。耐えろ。耐えてくれ……っ)
「だ、大丈夫?」
「問題ない」
心配する聖女の母親に、すっと静かな動作で顔を上げて平坦な声で返す。
額の痛みで多少は冷静さを取り戻して、どうにかコーネリアに水を飲ませる。
「そろそろお開きにしようかしら。コーネリアちゃんも潰れたみたいだし、私は部屋で飲み直すことにするわね。ええ、きっとそれがいいわ。それではおやすみなさい」
表情を消しはしたが切羽詰まった空気を感じたのだろう。
こちらに気を遣ったようで、一息に言い切って去ろうとするその背中を引き止める。
「待て。まだ城内の作りも覚えていないだろう。そこに立つ護衛が部屋まで案内するからついて行け」
俺の言葉に反応し、扉前に立つ護衛が前に進み出て頭を下げる。
護衛に簡単に挨拶を終えると、聖女の母親はこちらを振り返る。
「ありがとう。また明日、でいいのかしら? 同意なしに手を出したらダメよ?」
「余計な心配だ。そんなことしようものなら半殺しにされるだけだ」
「あらあら。コーネリアちゃんは見かけによらず逞しい子なのね」
くすくすと聖女に似た笑い声を響かせて護衛と共に出て行った。
残るは俺とコーネリアと、片付けのために残っている使用人だ。
目を閉じているがまだ眠ってはいないはずだと肩を揺すってみる。
「起きろ」
「もう少し、待って……」
待てるか。コーネリアのこんな姿を男どもも見てるんだぞ。
見てみろ。あそこに立ってる若い男の熱の籠った視線を。絶対いやらしいことを考えている目だ。許せん。
ギロリと睨み付けると怯えた顔で俯いたので多少溜飲を下げる。
だが、それでは根本的な解決にはならない。
「部屋に連れて行く。抱えるぞ」
微かな頷きを確認してから上着を脱ぐと、コーネリアに被せて抱き上げる。
「皆、遅くまですまないな。片付けを頼む」
「ナレアス様もお疲れ様でございました」
使用人達からの労いの言葉に苦笑して、そのままコーネリアの部屋に転移する。
カーテンが引かれて真っ暗な室内では足元も見えない。
頭上に光量を落とした魔力光を灯して、転ばぬよう慎重にコーネリアを運ぶ。
寝室に入りコーネリアをベッドに下ろす。
安心し切った様子で目を閉じたままのコーネリアをベッドの端に腰掛けて見下ろした。
何百年経とうと眠っている顔だけはあどけないままだ。
「着替えさせた方がいいんだろうが、流石にそれはメイドを呼ぶか。ーー少し待ってろ」
返事も待たずに立ちあがろうとするとシャツを掴まれた。
「……だめ」
駄目なのはお前だ。
長年の片想いを拗らせた俺をベッドの上で引き止めるな。
「あのな、コーネリア。お前だってドレスのままじゃ苦しいだろ……ってうわ!?」
ぐい、と腕を掴まれた。
相変わらずの見た目によらない強い力で、踏ん張って耐えようとしたが簡単に体勢を崩された。
危うく押し潰しそうになり、咄嗟にコーネリアの顔の横に肘をつく。
「〜〜〜おい! いきなり引っ張るな! 潰しそうになったろ!」
内心、傍から見たら襲ってるように見えないかとハラハラしながら抗議すると、コーネリアは薄っすらと目を開いた。
「ナレアスを信じてるもの」
普段にも増して夢見心地のようなふわふわした声だ。珍しく甘えているのかもしれない。
ほんの少し詰めれば、触れてしまいそうなもどかしい距離。
けれどこれ以上、この距離も俺たちの関係も縮めることをコーネリアは求めていないことを知っている。
目を閉じて一度長く息を吐き切り、気持ちを整える。
雰囲気に流されて簡単に口にできるような想いではない。
普段通りに見えるよう素っ気ない表情を取り繕う。
「目が覚めたなら魔法使え」
「嫌よ。良い気分なの。今夜はこのままでいいわ」
本当に珍しく、コーネリアは気の緩んだ顔でへにゃりと笑う。
「ねえ、久しぶりに一緒に寝ましょう?」
「い、一緒にって……ったく、いつまで弟扱いするつもりなんだ。駄目だ。断る。一人で寝ろ」
「ふふ、じゃあナレアスが抜け出せたらね」
そう言って、柔らかい体が俺に抱きついてきた。
「ちょっと待て、コーネリア!! 流石にこれはマズい! 誰かに見られたら……っ」
「うん、がんばって」
ふわっと愛らしく応援されたところで、コーネリアの拘束から逃れる術はない。
ガッチリと捕まえられてしまえば、俺に手荒な真似など出来ないのだ。もう諦めるしかなかった。
絹糸のような髪が鼻先を擽る。
激しい鼓動の音も、俺の感情も全て筒抜けだろう。
だというのに、ぴたりと密着してくるのだから全く悪魔のような所業だ。
今夜はひとり眠れぬ夜を過ごすことになるのかと溜息をついた。
いつも読んでくださりありがとうございます。
次話はユーフィリアとセルシオンのお話になります。
あと4〜5話で完結予定です。