恋話には酒
案内されたのは、王族の居住区に程近い客室だった。
侍女が言うには仮の部屋となるそうだ。先程、セルシオン様も仰ったように晩餐の席で今後の暮らしについても話すのだろう。
白色を基調とした柔らかな色合いの部屋は続き間となっており、奥の部屋が寝室のようだ。
棚の上の壁にはダクス公国の地図が飾られ、机の上には観光本がいくつか揃えられている。
慣れない土地に住むことになった母を思ってくれた部屋だというのは、少し見ただけで伝わってきた。
「お母様、良いお部屋ですね」
窓を開けながらお母様を振り返る。
さあっとひんやりとした風が入り込み、レースのカーテンが揺れる。
乱れた髪を整え、母の手を引くと窓際まで連れて来て景色を見せた。
「見てください。ここから街が一望出来ますよ!」
「ええ、すごいわ! 本当に私には勿体無いくらいだわ」
お母様は目を細めて、セルシオン様の国を見下ろす。
ようやく叶った願いに胸がいっぱいなのは私だけではないようだ。
「お二人ともまずはゆっくりされてはいかがでしょう。積もる話もあるのでは?」
コーネリアの提案にお母様も同意してソファに座る。
案内してくれた侍女とシアがお茶の準備を終えて待ってくれていた。
ティーカップにとぽとぽと紅茶が注がれる。ほんのりと白い湯気が立ち上り、鼻をくすぐる香りが広がると自然と気持ちが解れていく。
「シアーナの紅茶は相変わらず美味しいわね。何だかやっと息が出来た気がするわ」
カップをゆらゆらと揺らしながら、ぼんやりと呟く姿はどこか儚げだ。
「まだ夢みたいだわ。こんな一日で目まぐるしく変わって……しかも全部私に都合のいいことばかりだなんてね。変な薬でも飲まされて幻覚を見てるんだって言われた方が信じられるくらいよ」
嘘偽りない本音なのだろう。少し申し訳なさそうにしながらもお母様は内心を吐露する。
揺らしていたカップを両手で持ち、膝の上に置くと、ゆっくりと目を閉じる。
「…………でも、これが現実なのね」
吐き出す息と共に呟く。
その瞼は微かに震えていた。
抱きしめたらいいのか、声をかけたらいいのか逡巡する。
思う気持ちはあるけれど、ありきたりな慰めの言葉など何の意味があるだろう。
複雑な心境だろう。手放しで喜べないのだろう。
その悲しみも苦しみも、失ったものの重みも……知るのはお母様だけだ。
でもきっと、それでも言葉が欲しい時があるというのも知っている。
拙い言葉でも自分を思って紡がれた言葉には力が宿るものだから。
しかし、言葉が形になる前にお母様はパッと目を開いた。
「よし! これから新たな人生の幕開けね!! やりたかった事、全部制覇してやるわ!!」
その目には既に力強い光が宿っていて、躊躇いも戸惑いも何も映らない。
いつも前を見据えて決して諦めないお母様らしい言葉だった。
そうだ。お母様は太陽みたいな人だった。
「はいっ、それでこそお母様です!」
心からの称賛に、お母様は照れたように笑いながら後ろ頭を掻く。
「ユーフィリア達が作ってくれた未来だもの。無駄になんてできないわ。改めて言わせてちょうだい。助けに来てくれてありがとう」
私達に向けて深く頭を下げる。
そして、がばっと勢い良く顔を上げた。
「それで? 洗いざらい詳しく聞かせてもらおうかしら」
「えっ? ええっと、な、何をでしょう……?」
「何をって決まってるでしょう? あなた亡命したっきり連絡の一つも寄越さないで、私がどれだけ心配したと思ってるの? どうせ無茶して周りに心配かけたんでしょう?」
「ええ、ええ。まったく仰る通りですわ。私共、心労で倒れてしまいそうでしたもの。ねえ、シア」
「ユーフィリア様にも困ったものです。こちらの制止など一切聞いてくださらないのですから」
「ちょっとコーネリア、シア! 何言ってるんです!?」
コーネリアはにこにこと笑顔で、シアはどこか非難めいた顔でこちらを見てくる。
(ううっ、味方がいないです……!)
「ほーら、見てみなさい。無茶しないでって約束したのにあなたって子は! それで何? ようやく会えたかと思えば結婚? 馴れ初めから話しなさい。あ、ちょっとお酒持って来てくれるかしら?」
「はあい、お好みは?」
「ウイスキーで」
「待ってください! 今からお酒ですか!? ほろ酔いで、いえ、泥酔してセルシオン様との晩餐に向かうつもりです!? そんなの認められません!!」
お母様は呆れたように額に手を当てて首を横に振ると、まっすぐ私を見つめた。
「いい? ユーフィリア、恋話には酒よ!!」
「そんなの聞いたことありません!」
「ユーフィリア様、ご心配なく。酒精を抜く魔法もございます」
「あら便利ね。エルフって何でもできるのね」
きゃっきゃとはしゃぐお母様の姿に途方に暮れる。
ダメです。これは止まりません……
「さあ、ユーフィリア。観念して話してしまいなさい?」
「は、はいぃぃぃ……」