愛を乞う
「なあ、ユーフィリアよ。今を生きる我らに過去の悲しみはあまりに重い。だが、最早切り離せぬものだ。俺の人格もこれまでの選択も俺自身のものか判別付かん。全てが積み重なり現在の俺を作っているならば、今更思い悩んだところで大した差異などないのだろうな」
こちらを見下ろす瞳は全てを受け入れた穏やかな眼差しをしていた。
「それでも我らはあの時とは別の人間なのだ。同じ記憶を有していようと、後悔に苛まれようとーーあの日に戻ることなど出来はしない」
私を見つめているのにどこか遠くを見ているように感じるのは、セルシオン様の心が私を置いて前へと進んだからだろうか。
私が余程心細い顔をしていたのだろう。セルシオン様は苦笑いを浮かべた。
その表情にほっとしつつもどこか落ち着かない気持ちだった。
「あの時の判断も、覚悟も、何一つ間違いなどなかった。過去の決断を後悔するのは生き抜いた者への冒涜であり……今を生きる我らの驕りだ。ーーもう悔やむのは今日で終いにしよう。これから共に生きるのはセルシオン・ダクスとユーフィリア・アルディスであり、魔王も聖女もここにはいない」
その凛とした口調は私の弱さを払うような力強さで胸に響いた。
「改めて乞おう。俺と生きてくれ、ユーフィリア。上手く愛すことはできないかもしれない。傷付けることもあるだろう。また泣かせるかもしれん。それでもお前がいなければ明日を生きることすら苦痛なのだ……」
苦しげに胸を押さえたセルシオン様が美しい顔を歪めてこちらを見下ろす。
セルシオン様が瞬く度に紫黒色の中の光がきらりと輝きを増して、かつてない程に私の心を揺さぶってくる。
見た目は百戦錬磨の色気のある男性だと言うのに、まるで少年のような表情をして純粋に愛を乞う姿に込み上げてくるものがあった。
「ああ……ああもうっ、何でわからないんですか……! 改めて聞かなくても言わなくても分かるでしょう!?」
「分かっていても愛を乞わずにはいられないのだ。許せ。公王としてではなく、一人の男としてこの場所でお前に告げたかった」
力が抜けたような安堵した顔でそう言うと、セルシオン様は自身の胸元に手を差し込んで小さな天鵞絨の箱を取り出した。
まさか、と思うと同時に開かれたその箱の中にはヴァイオレットサファイアとアクアマリンの宝石があしらわれた指輪があった。
セルシオン様と私の瞳のような美しい指輪は光を集めて輝きを放っている。
セルシオン様は大切なものに触れるように私の手を取り、左手の薬指に嵌める直前で動きを止めた。
「……このまま嵌めてもいいか?」
「……っ、はい」
躊躇いがちなその声に、何を不安になることがあるのだろうと聞きたかった。
けれど言葉にならない想いが溢れて、辛うじて絞り出した一言で精一杯だった。
きっとこれから先もティアニアの所業を後悔しない日はないだろう。
セルシオン様の顔を見る度に、愛しさと共に痛みは蘇るだろう。
それでも、愛さずにはいられないのだから罪も痛みも受け入れるだけだ。
「もうこれで逃げられないな。お前からこの檻に飛び込んできたのだ。二度と離すものか」
言葉とは裏腹に、閉じ込めるように巻きつく腕の檻は優しく私を捕らえる。
腕の中があたたかくて泣きそうになりながら、逃すものかと言う気持ちで抱きしめ返した。
「違いますよ。捕まったのはセルシオン様の方です。何百年越しだと思ってるんですか?」
「ならばお互い様ではないか」
「いーえ! 私は一目惚れしてましたから! 愛の重さも年季も違います!」
「ほう? 生意気な口だな」
「なら塞いでしまいますか?」
挑発するように笑って見上げると、セルシオン様もそれに応えるように片眉を跳ね上げて意地悪に口の端を持ち上げた。
「ああ、それがよかろうな」
細く差し込む光が私達を照らす中、どちらからともなく唇を合わせた。
息が苦しくなるほど深く求められても、まだ足りないと言うように、長い時間お互いを離すことはなかった。