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契約

 すっかり陽も落ちて、夜の静けさに耳を澄ませると、夜風が虫の鳴き声と木々のざわめきを運んでくる。


 湯浴みも済ませ、後は寝るだけという状態で、ソファに腰掛けて本を読んでいた。


 そろそろ頃合いかとちらりと時計を確認してシアに声をかける。


「シア、もう寝ますね。下がって大丈夫ですよ。今日もありがとうございます」


「いつもお伝えしているかと思いますが、仕事ですのでお礼は不要でございます。では、ユーフィリア様。おやすみなさいませ」


「ええ、おやすみなさい。良い夢を」


 頑なな態度のシアを苦笑を浮かべて見送った。

 シアの足音が遠ざかったのを確認してソファから立ち上がる。


「では、行きましょうか」


 扉の前には護衛がついているが、多少物音がしようと今まで声をかけられたり、中に入って確認されたこともないので気にしなくても良いだろう。


 目立たぬよう真っ黒の外套を羽織り、ベッドサイドのランプを右に二回まわす。


 ずずず、と小さく振動したのを確認して本棚の隠しレバーを下ろすと、本棚の向こうに通路が現れた。

 この部屋を与えられた際に陛下から教えられた隠し通路だ。

 実際に使うのは初めてで少し気持ちが弾んでいる。


 中は思った以上にひんやりとしていて、身を震わせて外套の前を掻き合わせた。


 どこかで外と繋がっているからか笛を吹くような風の音が時折聞こえた。


 通路は灯りもなく、一寸先も見えないほど闇に包まれている。

 明かりを手に前へ進むと、背後の扉が自動的に閉まった。

 帰りも仕掛けを動かせば自室への扉が開くことは知っているが、退路を絶たれたような気分になり心細さを感じる。

 足から伝わる感覚だとあまり整えられていないようでゴツゴツとしている。かろうじて床と呼称できるレベルだ。まるで洞窟の中にいる気分だった。


「まさかこんな使い方をする事になるとは思いませんでしたね。ふふ、これではまるで密会ーーって違う違う違います!! 何を考えてるんです、私っ!? もっと緊張感と危機感を持ってですね!?」


 自分にツッコミを入れながら、頭を激しく左右に振る。


「ぁぁあああっ、そんな浮ついた気持ちではなくて、ただ私は小説や劇にありそうだったので、ついそう思ってしまっただけなのです!」


 誰に対しての言い訳なのか、必死で言い募る声が隠し通路に反響する。


「そもそも! そもそもですよ!? わ、私が彼にそのような感情を……向ける、資格が……ありませんし……ええ、それに何より平凡な私が彼の隣に立つだなんて釣り合わないですし……」


 言っていてだんだんと声量が落ちていく。

 肩を落として唇を噛み締めた。


「彼にこのような契約を持ちかけるなんて本当に私は恥知らずです。断られて当然だと言うのに、彼の良心に縋ろうだなんて、なぜこうも図々しいのでしょうか。もし断られても彼の要望だけは叶えましょう。それが私にできるせめてもの償いです」


 ぎゅっと胸元の外套を合わせるように掴み、宰相の執務室の方向へと足を進めた。




 出口に辿り着き、息を整える。

 周囲に人の気配がないことを確認してから壁のレバーを動かして廊下に出た。

 左に曲がればすぐに宰相の執務室だ。


 足音を忍ばせて扉の前まで進むと小さくノックする。

 入室を許可する声が聞こえ、サッと部屋に入り込んだ。


 雰囲気を出すためだろうか。あえて蝋燭の明かりだけを灯した薄暗い室内でロックグラスを片手にソファにゆったりと腰掛けるダクス宰相の姿を見つけた。


「そこへ座るといい」


「はい、失礼します。お待たせしました。あの、早速ですけど」


「まあ、待て。そう急かすな。決断するにも時がいるだろう?」


 そう言って勿体ぶるように酒を煽る。


「あのう……?」


「最後にもう一度だけ確認するぞ。取引の相手が俺で王女は後悔しないな?」


「はい、私の全てを賭けて誰かを信じるならあなたがいいです」


 例え裏切られたとしても、彼にはその資格があるのだから。


 決意を込めた言葉に返事はなく、しん……と静寂が返ってくる。

 張り詰めた空気に自然と呼吸が浅くなる。


(彼は……頷いてくれるでしょうか)


 期待と不安が入り混じり、ダクス宰相の返答をじっと待った。





 ーーそうして話は冒頭へと戻る。



 


「何を見ている」


「えっ、あ、いえっ、不躾にすみません……」


「責めているわけではない。王女が安易に謝るな」


「ですが私は半分は平民ですし、もう王女ではなくなります。公爵家であるダクス宰相の方が余程高貴な身分かと……」


「己を卑下するな。王の血に変わりはない。まあ、あの王にどれだけ価値があるかは知らんがな」

 

 鼻で笑うと彼はローテーブルに置かれている契約書にあっさりとサインした。

 目を見開き、ひったくる様にして契約書を手にする。


「ダクス宰相!? でっ、では契約成立ということでよろしいのですか!?」


 信じられない気持ちで何度もサインを確認しながら問いかけると、漆黒の髪を揺らして鷹揚に頷く。


「ああ、構わん。彼奴等に血の雨を降らせてやろう。生まれ変わったというのに相も変わらずあの無知蒙昧な愚か者共に、俺が思い知らせてやろうぞ。……ふっ、ふはっ、ふはははははっ! ふはーっはっはっはっは!!」


「や、やめてください! 契約の履行だけで結構ですっ!」


 ダクス宰相なら本気で血の雨を降らしかねないと思い必死で引き留める。


「ふっ、気にするな。俺からのサービスだと思え。どうだ、俺は親切だろう?」


「いらないサービスです! 小さな親切、大きなお世話です!」


「なに、感謝はいらぬ。惚れてくれるなよ、王女よ」


「惚れませんよおぉぉぉ!! 話を聞いてくださいぃぃぃっ!」


 肩で息をしながら叫ぶ私を見て、愉快そうに喉を鳴らしてくつくつと笑う。


(遊ばれたのでしょうか……なんだかどっと疲れました……)


 眉間を揉み込む様にしてほぐしながら溜息をこぼす。

 

 と、そこで重要な話をしていない事に気づいた。


 契約してもらえたけれど、ダクス宰相の要求を聞いていない。

 契約書もサインしか確認していなかったのだ。

 ダクス宰相のことだ。既に記入されているのかもしれないと思い、丸めていた契約書を開いて確認する。


「…………え?」


 見間違いかと思い、目を擦ってもう一度文字を追う。


「あれ?」


 どの角度から見ても、どうしてもそうとしか読めない。

 首を傾げてダクス宰相に説明を求めるように視線を向けた。


「どうした?」


「それで私は何を対価にお渡ししたらよろしいのでしょう? あの、ここに書いてあるのはどういう意味で……?」


「ああ、言ってなかったな。聞いて驚くがいい。俺はこの無能な王が治める国を捨て、我が領地で新たに建国する。ーーその名もダクス公国だ」


「まあっ、そうなのですね! 素晴らしいご決断だと思います! もしやダクス宰相の国に亡命させてくださるのですか!?」


 声を弾ませて身を乗り出す私へダクス宰相は大きく頷く。


「そうだ。そこで聖女の任に就いてほしい」


「せ、聖女と言いました? ですが、それはーー」


「記憶も聖力も戻っているのだろう?」


 問いかけでありながら、それは断定だった。


「な、なんっ、なっ……!?」


「目を見れば分かる」


 顔色が青くなって、白くなって、酸欠で倒れるかと言うところで、はっとして呼吸を再開した。


(お、おおおお落ち着きましょう、ユーフィリア! 何を求められても受け入れると決めたではないですか。彼の要望に応えられるものが私にあったことに感謝しなければ! そうです。それに彼の国の聖女であれば、理不尽な命令もきっとありません。この国と将軍との結婚から逃げられるのです。充分満足のいく結果ではありませんか)


 何度か深呼吸を繰り返して、意を決して顔を上げると紫黒色の瞳がまっすぐに私を捉えた。


「我が国の聖女となれ。それが王女に望む対価だ」


 迷いのない透き通る夜色の瞳に射抜かれて息を飲んだ。

 嘘偽りなく、上も下もなく、ただ私という存在を捉えてしまうその瞳に魅入られて身動きが取れない。

 どれ程の時を経ようと、生まれ変わろうと彼のこの瞳に抗える気がしなかった。


 光が消えた瞳を閉じさせたのは私だ。

 温もりが消える前に灰にしたのは私だ。

 だけど、今度はーー


(今度は彼の味方として、彼のために……彼のそばで共に生きていけるのですね)


 そう理解した瞬間、言いようのない喜びが込み上げた。


「わかりました。あなたの国の聖女になります。これからよろしくお願いします」


「ふはははは! 既に契約完了しているのだ。王女に拒否権はないぞ。なに心配するな。任期を定めている。ここを読むといい」


 契約書の一部分を指で差し示される。


「任期は五年……ですか?」


「そうだ。その間の賃金は少しばかりだが出してやろう。まあ亡命の対価だからな。あまり高額の給与にしてしまうと臣下から不満の声が上がろう。寝食に関しても契約に組み込んでいるので安心するといい。五年が経過した後は再雇用も可能だ。その際は正規の給与を支払おう」


「まさに至れり尽くせりではありませんか!」


「ふははははは! そうであろう!? 喜べ王女よ! 決して我が国で不幸な目には遭わせんぞ! しかし、幸せになれるかどうかは王女次第だ! 胸を張って生き抜いて見せよ!!」


 力強い口調で明言され、胸が震えた。


 自分のために生きていける人生がここから始まるのだ。


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