いつか
廊下を一人、聖衣をはためかせ歩く。
その背中に声が掛かった。
「諦めはつきましたでしょうか?」
「これはこれは。私に非道な依頼をされたコーネリアさんではありませんか」
足を止めて振り返ると、美しいエルフに嫌味を込めてにっこりと微笑んだ。
「まあ。あんまりな言いようです」
「あはは、どの口が言いますか。私にユーフィリア様の婚姻準備を手伝わせるとは、そちらこそあんまりでは?」
私との結婚にすり替えようと思い手伝いはしたが、現実はそう上手くいかない。
傍目に見ても付け入る隙が無いほど、あの二人は想い合っている。
「大神官様のお心を測るには打ってつけの状況でしたので。ユーフィリア様のためにどこまでしてくださるのか把握しておかなければ、いつセルシオン様に牙を剥くかわかりませんもの」
「コーネリアさんにとって、あのお二人以外の人間はどうでも良いのでしょうね」
半ば独り言のように呟く。
聞こえているのかいないのか、彼女はふわりと穏やかな笑みを浮かべている。
明確な敗北宣言を待っているようだった。
口にするのをほんの少し躊躇う。
その僅かな迷いすら見逃さないように紅い目はじっとこちらを捉えている。
恐らく答えるまで解放されないのだろう。
エルフから逃げることなどただの人間に出来はしない。無駄なことをするのは好きではないのだ。
「……我が聖女のためならば何でもいたしましょう。私は聖職者である前に、ユーフィリア様の下僕ですから」
ここにいないはずのユーフィリア様が全力で否定する姿が目に浮かび、うっとりとした心持ちで目を細めた。
「いつかそう遠くない未来に公王陛下に見切りを付けて、私の手を取ってくださる時が来ると信じております。それまでは大人しくしていましょう。ユーフィリア様が望めば、その時は遠慮なく奪い去ります」
諦め半分、負け惜しみ半分の言葉は惨めに聞こえただろうか。
未来永劫そのような日が来ないのだと知っていても一縷の望みを抱いて生きることくらいは許されるはずだ。
そう簡単に諦めはしない。
私が生まれたこの時代に聖女が目覚めたのは運命なのだから。
◇◇◇
去っていく大神官様はどこか吹っ切れた様子だった。
まだ完全に諦めたわけではないようだけれど、本人も言った通りユーフィリア様のご意思に逆らうことはないだろう。
「育ちきっていないからこそ、一旦ここで引いてくださったのでしょうね」
アルディスの王太子も大神官様も、そう簡単に諦めはしないだろう。
粘着質な人間に好かれるユーフィリア様には同情する。
「さて、と。まだまだこれからもお二人の幸せを守るために暗躍しなければいけないわね」
「我は変に手を出すと拗れるからやめた方がいいと思うにゃ」
しっぽをゆらゆらと揺らしながらベレトがこちらを見上げる。
「ベレトったら真面目なことを言うのね。でも放っておいたら自己肯定感の低いあのお二人は、相手を思ってすぐ離れようとしてしまうわ。そんなつまらない結末見たくないでしょう?」
「いい加減に物語として見るのはやめるにゃ。娯楽でも、お前の人生でもないにゃ。あやつら自身が苦しみ、悩み、迷い、それでも手放せないのだと気付けば、また相手を求めるにゃ」
「そんな無駄なことをする必要あるのかしら?」
「一概に無駄とは言えないにゃ。お前も奴と向き合ってみたら理解できるだろうにゃ。お前が踏み出せないなら、我が手を貸してやろう」
面白がるようにニヤァと笑う、憎たらしい悪魔を抱き上げる。
「いいこと? 余計な真似をしたら土に埋めるわ。これからも甘いお菓子にありつきたければ余計なことはせずに、言わずに、ただ愛玩動物として生きなさい」
「……にゃあぁ」
媚を売るように可愛く鳴いてみせるベレト。
(全く学ばない子ね)
チラつくペリドットの瞳を頭の隅に追いやり、ベレトの頭を撫でる。
「今は結婚式の準備で忙しいのだもの。他のことを考える時間が勿体無いわ」
式の段取り、デザイナーとの打ち合わせに、その合間にイグニダの様子を見たりと大忙しだ。
目の回る日々が容易に想像つく。
だから、自分のことを考えるのはまだずっと後でいい。
長い時を経て拗れた感情と素直に向き合うには、もう少しだけ時間が必要だった。
それこそ、大神官様が口にした『いつか』でいい。
揺れ動きそうな気持ちにまた封をして、颯爽と歩き出した。