地獄の一年の始まり
「こちらでございます。」
手を指された方向を見れば、丈夫そうな樫の木に細かな彫刻を施した両開きの扉が鎮座している
目の前を先導してくれたメイドさんがノックすれば、広い廊下にこだまする
「旦那様。お連れいたしました。」
『入ってくれ』
「かしこまりました。」
チラリとメイドさんが見る
「わたくしは外で待機しておりますので、何かあれば」
扉を開いて、どうぞ、と言うように手で促す
「あ、ありがとうございます・・・」
着慣れないドレスを引きずって、私は中へ入る
絢爛豪華。というわけでもなく、むしろ貴族にしては質素であろう執務室。ヴェアルが座っている机の後ろはガラス張りになっていて、逆光でいまいちヴェアルの表情は読めない。
「・・・・来たか」
ギィ、と椅子を動かし、ヴェアルがこちらを向く。
「早速だが、お前がここに呼び出された理由を説明しよう。エマ中佐」
階級で呼んだということは、やはり私の軍への復帰の有無か・・・元とはいえヴェアルは少将だ。軍の中ではそれくらいの権限はある
「・・・はい」
無意識に背筋が伸びる。・・・・・この威圧感は、現役の時と全く変わらーーーー
「まぁまずはこれを読め」
「えっーーーあっわぁっ」
ピッと紙を飛ばされて、慌てて受け取る
一日のスケジュール
五時 起床
五時三十分〜六時四十五分 魔法訓練
六時四十五分〜八時 湯浴み・着替えのち作法講座兼朝食
八時〜十二時 語学・歴史授業
十二時〜十三時 昼食兼会食マナー講座
十三時〜十四時三十分 社交ダンス練習
十四時三十分〜十五時三十分 数学授業
十五時三十分〜十四時 休憩
十四時〜十八時三十分 戦闘訓練
十八時三十分〜十九時 湯浴み・着替え
十九時〜二十時 夕食兼作法・マナー講座のおさらい
二十時〜二十二時 自由時間
二十二時 就寝
「・・・・・」
「お前にはそのスケジュールで行動してもらう。」
「・・・・あの」
「部屋は昨日までお前が寝ていた場所だ。風呂もそこに入っている」
「ちょっといいですか」
「そのスケジュールは明日からだ。今日は講師の顔合わせと使用人の紹介」
「ちょっっといいですか」
「さっき案内していたのはここのメイド長だ。家令もいるから後で紹介する」
「ちょっ」
「ああ、あと午後から採寸が来るから準備しておけ」
「あ、」
「ここまでで何か質問は?」
「大有りだ少将閣下っっ!!!!」
エマの声が廊下まで響く。外で待機していたメイド長は動じる事なく突っ立っている。
「上司の命令です、逆らいはしません。だが!!無礼を承知で言わせてもらう!!何っだこのスケジュールは!?まるで貴族令嬢がこなすような日程ではないか?!!」
エマの手の中で紙がグシャリと悲鳴を上げる
「そりゃぁそうだろう。」
「何がですか?!」
優雅に紅茶を飲みながらヴェアルは言う
「お前が貴族令嬢になったからだ。」
瞬間、エマは石になった
「・・・・・・・・・・ーーーーーーーゑ?」
変な声が漏れる
「・・・・え。あの、もう一度・・・」
「何度も言わせるな。俺が現役だったら一発しばいてたぞ」
「はぁ」
「特別だ。もう一回言ってやる」
「ありがとうございます」
「お前は、このヴェアル侯爵家の養女。つまりは貴族令嬢になったんだ。」
「・・・・・」
かさりとシワの寄ったスケジュールが床に落ちる
絵に描いたような笑顔のまま、エマは天井を仰ぎ
「はぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああっ!!!!!!???????」
顔面蒼白で、思い切り絶叫した。
廊下のメイド長は、どこから取り出したのか割とゲスめなゴシップ誌を読んでいた
……………………***
「嘘だろう・・・・・?・・・ははっ・・・・・・・・なぁ、嘘だろう・・・・・・?」
さっきからずっとこれしか呟いていない
「いつまで引きずってるんだお前は」
はぁーっとこれ見よがしにヴェアルは溜め息をつく
「いやいや・・・・ですけどね・・・?急に貴族になったとか、すぐに受け入れる方がどうかしてると思いますよ?私は」
もう立つ気力も無いのか、エマは無様に四つん這いで項垂れている
「確認だが、お前今何歳だ。」
「・・・・十四になりますお父様ぁ・・・・あははっ・・・・・・」
スカートを広げてエマは床にのの字を書いている
因みにお父様とは、ヴェアルが「一応お前は戸籍上俺の娘ということになるし第一いつまでも少将閣下呼びだと不自然だ。」ということで不本意ながら呼んでいる。また少将閣下とか言ったら埋められる。物理で。
「・・・・・それがどうかしましたかぁ・・・・・・?」
「いや、十五歳以上の貴族は王立学院に通う義務があってだな、そのスケジュールを組ませたのはあと一年半で学院に入っても問題ないくらいにするためだ。」
唐突に、ーーーーはっ!とエマは思いつく
「質問をいいでしょうか、少しょ・・・・お父様」
「何だ」
「学院に通うと言われましたが、私は未だ軍属です。貴族令嬢になったとはいえ私は国に雇われている以上、お勤めを放棄するわけにはーーーーー」
「ああその事だがな。現総隊長から許しが出るまで、お前は無期限の休役だ。」
エマの顔から表情が無くなる。今度は膝から崩れ落ちた。
「何だ、そんなに休役が嬉しいか」
「今の私がそう見えるならあなたの目は節穴ですおとーさま」
最早エマの目に光は入っていなかった。目の端に浮かぶ涙がキラリと光る
「あ、」
ふと、エマは自分の側近の双子を思い出す。そう言えば、今日は朝から姿を見ていない
「お、お父様。あの、クロエとアメリアは・・・・・」
「あの双子なら早朝に出かけたぞ」
「えっ?」
エマの目が丸くなる
「出かけるって一体どこに?」
「あーまぁ、出かけたというより修行に行ったって言う方が正しいか・・・?」
「修行・・・?」
話を要約すれば、あの双子は従者教育を受けるべく優秀な従者を何人も輩出している名門アスタリア家に早朝にヴェアルの紹介状を片手に出発したらしい。
「従者って・・・もう逃げ道がなくなったじゃないか・・・」
「諦めろ。そして受け入れろ。」
かくしてエマはエマ・ヴェアルとなり、軍人から貴族令嬢へとジョブチェンジした。
………………………****
一方、早朝にヴェアル家の屋敷を出立し、丁度エマがスケジュールを見て嘆いている頃に双子はアスタリア家へと到着した。
そこでは
「姿勢は九十度をキープ!常にご主人様の一歩後ろに立ち、影は踏まず、もちろんご主人様が歩く際に邪魔にならない位置を常に探せ!」
『はいっ!!』
「メイド服など百年早い!シャツにロングスカート、底の薄い靴を履き、足音を立てず!」
『はいぃっ!!!』
「ご主人様に言われずとも常に要件を察して行動し!お疲れの色が見えた際はリラックス効果のある紅茶をお出しし、お使いを頼まれた時は最短で全てを済ませろ!」
『はひぃっ!!!!』
軍の訓練とは違うキツさの修行が待っていた。