62.妖精たちのエスコート
「最近ちょっとわかってきた気がする。なんというか……こうしたらどうか、ああしたらどうかって思い付くようになったんだ」
「そうなんだ。でも僕としては、失敗は減らしてほしいな。せめて食べられる範囲で失敗してほしいよ」
「それは……ごめんな?」
「中まで炭になってるのもあるからね。レイエス嬢でもえずきながら食べてたくらいだし」
「見てたよ。私もその場にいたから」
「捨てるの勿体ないからって言ってたね。……お金に困ってるんだろうね」
無表情ながら、涙目で焦げた肉を咀嚼する聖女の姿は、胸にぐっと来るものがあった。
彼女の育てている霊草はもうじき収穫できるはずだが、まだなのだ。
つまり、まだ収入がないのである。
果たして今現在、聖女がどんな生活をしているのか気になるところだが――
今は置いておくとして。
今日も今日とて、ハンクは朝からベーコン造りに勤しみ、クノンはハンクが付けている記録をチェックしている。
「そろそろ完成しそうだね」
「そうか?」
記録と合わせて、早くもいくつか仕上がっている燻製肉をチェックしつつ、クノンはその出来栄えに頷く。
クノンの合格をもって完成となるので、ハンクとしては有難い話だ。
有難い話では、あるのだが……
「……でもこうなると、私の方が気になってきたんだよな」
クノンの合格点より、ハンクは自分が納得できるベーコンを作りたい。
そんな無用なこだわりが芽生えてきている。
「やっぱりハンクは僕が見込んだ通りの逸材だったよ」
ようやくハンクの魔術師魂が騒ぎ出したようだ。
外部からの依頼でもなければ、魔術師が独自にする実験や研究とは、結局自分の知りたい・追求したいを突き詰めることである。
いずれこうなると思っていたので、クノンとしては想定通りだ。
ハンクほど魔力が巧みに使えるなら、魔術を使うことにのめり込まないわけがないと思っていた。
細かい魔力操作が好きな同類だと思っていたから。
「いいんだよ? 自分が納得いくまでベーコン造りを追及しても。趣味にしちゃえばいいよ。できた物は僕が買うから」
「うーん……本気で悩むなぁ」
「匂いつきの火は出せるようになったでしょ? 次は塩味のする火とか出せない?」
「塩味の火!? 意味あるのか!? 誰がどうやって味を確認するんだ!?」
「ベーコンとか燻製肉って、それ用の液体に漬け込んで下味みたいなのを付けるんだ。その下味を塩味の火でつけようって話だよ」
「お、おう……火に匂いを付けようって発想も驚いたが、味まで……できるのか?」
「大丈夫だよ。魔術に限界なんてないから」
「……クノンが言うと怖い意味に聞こえるな……」
そして、そう言われて「ふっふっふっ」と楽しそうに笑うクノンも少し怖いとハンクは思った。
文字通りの意味でも、己とクノンでは魔術に対して見えているものが違うのだと感じた。
もしかしたら、この感覚こそ、魔術師としての格の違いだったのかもしれない。
まあ、何はともあれ、ハンクのベーコン造りの達成は近いかもしれない。
午前中のベーコン造りが終わった。
作った燻製肉は、毎日学校の食堂に持ち込んでサンドイッチにしてもらい、それが昼食になる。
特に示し合わせているわけではないが、最近の昼食は、同期四人が聖女の教室に集い食べるようになっていた。
――ただ、そんな日課も、今日明日には終わりそうだが。
「こんにちはクノン君」
「こんにちは」
「やあ」
「迎えに来たわよ、クノン」
来た。
先日、クノンが適当な返事をしたツケがやってきた。
聖女の教室を訪ねてきたのは、総勢十名ほどの派閥の垣根を超えた女性たち。
なごやかとは決して言えないピリピリした緊張感を、満面の笑顔でできるだけ隠し、クノンの前に立っている。
この前クノンを勧誘した、三派閥の女性たちだ。
「こんにちは、可愛い妖精たち。見ての通り今ランチ中なんだ。用事があるなら終わってからでいいかな?」
いや今行けと。
今すぐさっさと行けと。
食べかけのサンドイッチを手に、平然と彼女たちを待たせるクノンが異常なのであって、それ以外の者の気持ちは「早く行け」で統一されている。
普通なら、雄弁に語る笑顔で佇む十名の女の子に見詰められて、平然としていられるわけがない。
たとえ見えなくても圧くらいは感じられるだろう。
「今日の失敗ベーコンは悪くないですね。吐き気もしませんし、呑み込むことに対して身体が異物として拒否もしませんし、塩加減もいいです。
しかし私は魚肉の燻製も好きですよ。もう少し頻度を上げて魚を燻してみてもいいのでは?」
いや、聖女も平気のようだ。
これも感情が乏しいがゆえの反応だろうか。
「魚肉かぁ。魚も美味しいよね。でもたまに買えるけど、ほんとにたまになんだ。この辺はあまり海に近くないから、新鮮な魚はなかなか仕入れられないんだって。
遠方に行った魔術師が、お小遣い稼ぎに冷凍した魚介類を持って帰ってくることがあるらしくてね。そういう時でもないと手に入らないそうだよ」
「そうですか。残念ですね」
何を平然と話しているのか。
この状況で。
「淡水魚ならこの辺で養殖できたりしないでしょうか?」
「うーん、どうかな。でもたぶん、この学校の魔術師なら試したことくらいはあると思うよ。図書館でレポートでも探してみたら?」
「クノン。もしレポートが見つかって実現できそうなら、その時は手伝ってくれますか?」
「もちろん。レイエス嬢の頼みなら喜んで」
なぜこの状況でこんなにも平然とそんな話ができるのか。
話なんて後でいいだろうが。
それより早く行け。
魔術師として話の内容が気にならないでもないが、ハンクとリーヤはとにかく居心地が悪く、俯いたままもそもそとサンドイッチを咀嚼するばかりだった。
「――こんなにたくさんの妖精たちにエスコートしてもらえるなんて、僕は幸せ者だなぁ」
昼食が終わり。
堂々と待たせていた女子十名に前後左右斜めまで包囲され、クノンは幸せに連れ去られてしまった。
去り際に見た女子たちの横顔は、とてもじゃないが妖精とは程遠い、静かな怒りを滾らせていたように思うが……
「さあ、私はベーコン造りに戻るか」
「僕も『飛行』の練習をしようかな」
ハンクとリーヤは気にしないことにした。
気にして、これからクノンがどんな目に遭うのか、想像しただけで恐ろしいから。
これはクノンの自業自得でしかない。
だがしかし、それでも、恐ろしいものは恐ろしいのだから仕方ない。
「私もレポートを探しに行きましょう。なんだかウキウキしますね」
聖女だけは、本気で何一つ気にしていないようだった。無表情でウキウキしている。
男たちはそれが少しだけ羨ましかった。
「はあ……これはすごい」
クノンは溜息を吐いた。
十人もの女性に案内された先にあった威風堂々たる古城。
それにも驚いたが、案内された中の一室に集う魔術師たちを見て、更に驚いて胸がドキドキしてきた。
案内してきた女性たちも含めて、そこには五十人近い魔術師がいた。
年若い者が多いので、きっと全員生徒たちだろう。
それも、特級クラスの面々だ。
――そして、彼ら彼女らに憑いている存在。
クノンの蟹。
ハンクのトカゲ、リーヤの紙吹雪。
そして聖女の後光、ゼオンリーの光。
商売を通して、この学校の魔術師を多く見てきて、それなりに法則も見出したが――
ここには、今までに集めたサンプルにより割り出した法則を裏切る者たちもいた。
まず目を引いたのは、顔を覆い隠す長い黒髪を垂らした、悪霊のような女性である。
そんな宙に浮かぶ彼女に、顔……両手で口を押さえられている男だ。
法則崩れである。
あんなに人にしか見えない人型の生物は、始めて見る。
そして、そんな彼が歩み寄ってきた。
「ウフフ。はじめまして、クノン・グリオン君。フフ、私はジュネーブィズと言います。アハッ、ははっ、親しみを込めてジュネーブと呼んでくださいねぇ」
「初めまして、ジュネーブ先輩。……僕なにかおかしいですか?」
「あ、いや。ごめんね。笑い声、うふ、なんか漏れちゃうんだ。癖なんだ」
「癖……」
もしや後ろの彼女のせいだろうか。
もしも彼女に口を縛られていると考えると、もしかしたら彼は――
「ここから先は、私が、フフッ、案内を……」
ジュネーブィズが先を歩む。
クノンが続く。
五十人近い魔術師たちが割れ、その間を行くクノンを見ている。
そんな彼らの中心に、三人の魔術師が待っていた。
きっと彼らの誰かがこの城の主だ。
「……」
また法則崩れ。
サンプルが多くて、ここに来ただけで実に有意義だ。
クノンは笑い、腰を折って挨拶する。
「――初めまして、クノン・グリオンです。この度はご招待いただき大変光栄です」