53.入学案内
「――納得できません」
やってきたサーフと助手に、聖女はずいっと詰め寄った。
「私は魔術を学びに来たのです。自分で生活費を工面するような時間はありません」
「うん、まずは入学おめでとう。諸事項はこれから話すからね」
だが予想していたのか、サーフたちは落ち着いたものである。
「まあ、いい機会だから先に説明するけど。
入学試験の時に言ったよね?
特級クラスは一流の魔術師を育成するコースだ、と。
その一流の魔術師の必要要項に『お金を稼ぐ』という項目が入っているってだけの話だ。
わかりやすく言おうか? 稼げない魔術師は一流になれないってことだよ。この魔術学校の基準ではね。ねえセイフィさん?」
「私は一流ではありませんけど、それでもお金は必要です。高度な魔術に関われば関わるほど多額のお金が必要になってきますよ」
クノンとしては、納得できる面が多々ある。
魔術の勉強と研究にはお金が掛かることを、お小遣いを削りながらやってきた上で知っているからだ。
資料集め。
魔術に使用する薬品や魔術の媒体になるアイテム。
魔道具の部品一つ取っても、魔力に反応・作用する特注品ばかりだ。
「好事魔多し、と言えるかどうかはわからないけど。
お金の稼げない魔術師は、悪い方向へ進むことが多いんだ。
研究費用のために人から奪ったり殺したり。
なまじ魔術なんて力だけはあるから、性質が悪い。
悪い奴に騙されたり脅されたり報酬をエサに悪事に引き込まれたり、昔はそんな話もちょくちょくあった。
魔術ばかり学んできた世間知らずを騙すなんて、その筋のプロからしたら簡単らしいからね。
腕力なり権力なり、力持ちを利用して利益を得ようなんて奴は、どこにでもいるだろう?」
それに、とサーフは続ける。
「高度な魔術を学ぶ。習得する。レイエス、君はその目的を果たしてからどうするかを考えたことがあるか?」
「いえ。私の将来は決まっていますから」
「だったら猶更野に出て働きなさい。自分の魔術で何ができるかを知り尽くしなさい。君の将来は決まっているかもしれないが、決まっていないこともたくさんあるはずだ。
特に、自分のやりたいことを探すんだ。興味があることでも、好きなことでもいい。
それが君の魔術を成長させることにも繋がるから――まあ、今は信じられなくてもいい。騙されたと思って色々やってみるといい。ねえセイフィさん?」
「若い内にしかできないこともありますからね」
クノンは知っている。
師であるゼオンリーから聞いた。
彼は、お金を稼ぐために魔道具造りを始めたことを。
最初は軽い気持ちで手を出して、気が付けばすっかり夢中になっていたそうだ。
今わかった。
師は、ここで魔道具造りに出会い、そしてそのまま生業にしてしまったのだろう。
魔術師としてやりたいことを見つけたのだ。
それが今をときめく魔技師ゼオンリー・フィンロールである。
生涯の生業を見つける。
それはきっと、幸運であり、また幸せなことでもあったのだと思う。
――あの性格だし、まともな魔術師の職では、周りとうまくやれていない可能性が高いから。
「私は月に百五十万ネッカを稼がないと生活ができないのですが、そんな仕事ありますか?」
聖女の言葉に、今度こそサーフは驚いた。
「えっ百五十万!? それは……え? なんでそんなに高いの? 食費?」
「護衛を兼ねた使用人が二人いますから。使用人の給金も払うのでしょう? それと生活費です」
「あ、そう……それは少々困ったね。ねえセイフィさん?」
「自分で払うと思うと、胃が痛くなる金額ですね……」
護衛を兼ねているなら、そう簡単には外せない。
でも使用人の給料分は、聖女が稼いで払う義務がある。特級クラスの決まり事ではそういうことになる。
なるほど、納得できないと言うのもわかる話だ。
「さっさと解決したいなら、方法はあるよ」
「あるんですか? 稼ぐ方法が?」
「いや、二級クラスに移るといい。あっちは仕送りを受けられるから。……まあ上のクラスに行くのは可能だが、下のクラスに行くと、もう二度と上がれない決まりなんだけど」
「……学ぶ内容に差は?」
「本人のやる気次第だね。
そもそも特級クラスは何を学ぶのも本人の自由だ。学びたいなら好きなだけ学べばいいし、サボりたければ好きなだけサボればいい。
二級クラスは、自由に学べる範囲が狭くなる。それだけの差だよ」
「……」
「ゆっくり考えればいいよ。多少の猶予期間はあるから、教師たちに相談するのもいいかもしれないし。ねえセイフィさん?」
「そうですね。微力ながら私も力になりますので、簡単に諦めないで」
「……ありがとうございます。少し考えてみます」
二級クラスに移る、という選択肢もある。
魔術学校での生活が始まったばかりなのに、聖女は金銭面で大きな問題を抱えてしまった。
前後逆になったが、改めてサーフと助手から入学案内を受ける。
「入学案内といっても、特級クラスはあまり制限がないから、大して言うことはないんだけどね」
「――あの!」
と、リーヤが声を上げた。
「ぼ、僕は二級クラスを希望したんですけど! なぜか特級クラスの案内が来たんですけど!」
そんな寝耳に水なケースもあったようだ。
「君の実力なら、特級クラスでもやっていけると判断した結果だよ。不満かい?」
「不満、というか、……僕は空いた時間は働いて、実家に仕送りするためのお金を稼ぎたいと思っていて……」
「そうか。でもまあクラスの変更はすぐに受け付けるから、しばらくは特級クラスで様子を見てはどうかな。
そもそも今の君の事情を聞く限り、特級でも支障はないと思うし」
確かに。
実家に仕送りするために仕事をしたいなら、むしろ特級クラスの方が、時間は取りやすいのではなかろうか。
「……わかりました。しばらくこのまま様子を見ます……」
それがいい、とクノンも思った。
せっかくの同期だ、彼からもいろんな話を聞きたい。
「少し補足するけど、特級クラスの生徒は、もう一端の魔術師として認識される。
だから教師たちに実験や研究を頼まれることがあり、これでもある程度稼ぐことができるんだ。
教師に相談しろ、というのも、その辺の兼ね合いもあるからだよ。
君たちが彼らに欲しい人材だと思われれば、嫌でも稼ぐ方法は提示される。まあ金額は交渉次第だがね」
簡単に言えばフリーの助手扱いだね、とサーフはまとめた。
「君たち特級クラスは、基本的に自由だ。
二級クラスや三級クラスのように、毎日決まった時間に授業があるわけでもないし、個人的な約束でもなければ、滅多なことでは学校は君たちに強制も強要もしない。
特級クラスは学校設備を自由に使う権利がある。その権利を活かして、好きなだけ魔術に、仕事に、好きなことに没頭してほしい」
どうやら相当自由にやっていいクラスのようだ。
「ただし、一年間に十点ほどの単位……研究なり実験なり、あるいは教師の頼みを聞いたりして、実績を積む必要がある。
一点でも足りなければ、次の年からは二級クラスに入ってもらうことになるよ。
さっきは好きなだけサボッていいと言ったけど、それは嘘じゃない。
ただし、単位を取れなければ特級クラス権限は取り上げられることになる、というだけだ」
要は、自由にやっていいけどスケジュール管理も自分でしろ、どう実績を積むかも自分で決めろ、と。
他のクラスはともかく、特級クラスは望んでそこに入る者が多い。
実力も意欲も汲んでのことだ。
だから、放置しても己に必要なことは勝手にやると見なされるのだ。
「だいたいこんなところかな。覚えるのは、一年間に単位十点を取れってことくらいだ。単位の取り方は色々あるから、いろんな教師に聞いてみるといい」
これで入学案内は簡潔に済んだ。
特に縛りのない特級クラスなので、ここから先は、ここで生活しながら慣れろということだろう。
「説明は以上だ。何か質問は?」
いくつか質問があったが、特に気にするべき質問は上がらなかった。
「――はい、クノン」
他の三人の質問が終わったのを見て、長くなりそうだと思って最後まで待っていたクノンが挙手した。
「先生相手に商売をすることは許されてますか?」
「なんでもやりなさい。助手の売り込みでも、自分が得たものや造ったものを売るのも自由だ。ただし教師を怒らせたら放校処分もありえるから、法と常識の範囲内で分別はつけようね」
よかった。
クノンは胸を撫でおろす。
色々考えてはみたが、これが一番効果的かつ安全で、また実績がある、自信を持ってクノンが出せるものだ。
いろんな教師と知己を得るきっかけにもなるし、その中に憧れの水の魔術師サトリがいたら感激である。
「で、なんの商売を? 差し支えなければ聞かせてほしいな」
「睡眠の提供です。あと女性なら僕の言葉で心も癒したい」
「睡眠?」
「師匠が唯一認めてくれた魔術です。ほかは平凡な水魔術師と大して変わらないけどこれだけは認めてやる、と言われました。あと女性なら僕の心でも尽くしたい」
師匠。
さらっと出てきたそれが、あのゼオンリーの言葉であるというだけで、百分も一見もするべき案件である。
あの他者を褒めることなど滅多にない男が認めると言ったのなら、きっと商売にも使えるだろう。
ただ、聞いただけでは、どんなものかはよくわからなかったが。
「睡眠の提供ってどんなのだ?」
しかし聞いたことがない商売の形だと言われれば、猶更興味を引く。
「ほら、魔術師って本腰を入れて実験とか研究とか始めると、生活が不規則になるでしょ?
夢中になると二徹三徹あたりまえ、更には締切りギリギリにならないと仕事を始めない……なんて困った人もいるとかいないとか」
休息も食事も忘れて没頭する者。
追い込まれないとやる気が出ない者。
いる。
それは確かにいる。
特に、締切り間近までやる気が出ない者など、この魔術学校にはゴロゴロ存在している。
毎日少しずつやっていれば、こんなに崖っぷちギリギリまで追い込まれることもないのに。
そう嘆きながら仕事をこなす者は、本当に少なくない。
いるのだ。
そういう厄介な性分の人が。
たとえるなら、長期休暇の最中にやらなければいけない課題を、最終日まで手付かずで残して泣きながらまとめてやるような。
そんな人が。
「そんな追い詰められた人たちが、ほんの一時だけ取る仮眠。それをより良く深く熟睡できる環境を用意する……そういうのは商売になるんじゃないかと思って。
ただ、どれくらい儲けが出るかまったくわからないので、商売として成り立つのかどうか疑問なんですよね。その辺の相談をしたいです。できれば女性に」
「それはすぐに試そう」
サーフの頭には、すでに色々追い込まれている教師の顔が何人か浮かんでいる。
皆今にも死にそうな土色の顔をしていて、今すぐ休ませたいくらいである。
商売の基本は、必要な人に必要なものを提供することだ。
物品であれサービスであれ、だいたいはそうして成り立っているものだ。
「あと女性なら僕の甘い言葉で心も癒したいなと」
「あえて聞かない方向で流してたんだが、それはいらないと思う」
「わかりましたよ。そこまで言うなら希望者に限り男性にも無理をしますよ」
「そこまでも何も私は何も言ってないよ。ねえセイフィさん?」
子供が何を言っているんだ、という話である。
助手もなんとか言ってやれと視線を向ければ、真剣な面持ちで「将来有望な魔術師の子……私があと五歳若ければ……」などという強い念を感じる呟きを漏らしていた。
「――よし、じゃあ入学案内はこれで終わりにしよう。皆、実り多き学校生活を」
サーフは聞かなかったことにした。





