509.本題に入りましょう
第八校舎六階、西棟。
この階は特別教室がない。
なので、用事がない生徒はまず来ない。
そして調べた結果、ラサミン以外の利用者もいないようだ。
つまり彼女の貸し切りの階だ。
空き教室多数。
隣もその隣も、隣の隣も空き教室。
何をしようと誰にも迷惑をかけない。
使い放題。
……というわけでもないのだろうが。
でも、空き教室が近いのは羨ましい。
実験なり研究なり。
場所を取る作業は、結構多いのだ。
おまけにクノンの借りている教室は、常に散らかっている。
空き教室は魅力的だ。
物置によし、休憩場所によし、緊急の実験室によし。
ここは憧れの環境だ。
きっと同期の聖女だって言うだろう。
「空き教室? 欲しいですね」と。
そして鉢植えを並べるに違いない。
「……」
ラサミン・アウリッツの研究室前に立つ。
――昨日は完敗だった。
手も足も出なかった。
今もう一度やれば……いや、結果は変わらないと思う。
ラサミンのあの魔術の速度。
勝てる見込みなど、まるでない。
彼女は、教師サトリとまた違う実力者だ。
サトリは魔術全般が得意である。
世界的に有名な水魔術師であり、それに恥じない実力がある。
しかし、教育者の面が強い。
本を書いたり研究をしたりと、後進の教育に力を入れている。
だが。
恐らくラサミンは違う。
彼女はきっと、自己研鑽に集中している魔術師だ。
そしてそれは。
これまでクノンが関わってきた教師たちとは、違うタイプということだ。
偽教師だけに。
彼女は教育者ではないのだ、と思う。
「――よし」
深呼吸して、ノックする。
反応がない。
何度かノックする。
反応が、ない。
「…ぅ……ぁ……」
いや。
中からかすかに声が聞こえた、気がする。
……。
「失礼します」
まるで聞き取れなかったが。
ここまで来た以上、立往生している場合ではない。
許可なくドアを開けるのは紳士らしからぬ……と思いつつ、クノンはドアを開けた。
「――何度もノックしましたね」
ドアの先。
部屋には本や資料、レポートが一杯だった。
テーブルの上も、下も。
床にも棚にも。
とんでもない数の知識が積まれていた。
そして、唯一本がない椅子。
その椅子に座り、本を読む彼女がいた。
ラサミン・アウリッツ。
昨日会った彼女だ。
「何度も『どうぞ』と言ったのに。おかげで声を張り上げる必要がありました」
「あ、すみません。全然聞こえませんでした」
クノンは、見えない代わりに五感が鋭い。
なのに聞こえなかったのだ。
かなり小さい声で言っていたのではなかろうか。
「気を付けてください。
私は喉が弱く、大きな声を出すと疲れるのです」
……それは誰しもが疲れるのでないか。
とは思ったが。
まあ、そこはいいだろう。
「あの……ラサミン先生とお呼びしても?」
「どうぞご勝手に。ただし私は教師ではありません」
知っている。
だから一応聞いたのだ。
「私はただの無職の不法侵入者ですよ。
学校設備を不正に利用している犯罪者と言わざるを得ない。
そんな私を先生と呼ぶ、と。
――あなたの心がそれを許すのなら、先生と呼べばいい」
「あ、じゃあラミちゃんって呼んでも?」
「先生と呼びなさい。偽でも教師ですよ」
なんだろう。
素直なのか、素直じゃないのか。
「嫌ですか? ラミちゃん。
親しみと信頼と愛を込めた愛称ですよ」
「あなたがあの男の弟子じゃなければ受け入れたかもしれません。
恨むならゼオンリーを恨みなさい」
師ゼオンリーは彼女に何をしたのか。
非常に気になるが。
聞く勇気はない。
たぶんきっと、ひどいことをしたのだろう。
ゼオンリーはやらかしているから。
「……色々と聞きたいことがあって来たんですけど、お時間いただけますか?」
パタンと、ラサミンは本を閉じた。
「来ると思っていました。
確信していた、とも言えるかもしれません。
同じ水魔術師、気にならないわけがない」
その通りだと思う。
「先生も僕のこと気にしてました?」
「気にしていなければ洗礼などしません。
私は教師ではありませんからね。生徒と関わる理由などありません」
「教師じゃないならラミちゃんって呼んでいいですか?」
「ダメです。先生と呼びなさい」
ラサミンの許可を得て、クノンは彼女の研究室に入った。
そして、衝撃を受けた。
「こちらへどうぞ」
「あ、はい……えっ!?」
積み上げられた本たちの陰になって、見えなかったが。
壁に穴が開いていた。
これにはクノンも二度見である。
見えないが。
「か、壁抜いちゃったんですか!?」
驚くクノンを気にせず、ラサミンは穴を通って隣の教室へ向かう。
「一部屋だけでは足りなくなったので」
わかる。
空き教室は魅力的だ。
いやいや。
でも、これはダメだろう。
さすがに。
「先生、これさすがにまずいでしょう」
無職の不法侵入者で。
学校設備を不正に利用して。
しかも器物破損まで。
おまけに、なんだ。
「あと、ここにある本って図書館の本ですよね? 読んだら返してます?」
この量の未返済はまずいだろう。本当に。
「――そんな話をしに来たのですか?」
隣の教室から、ラサミンの声が飛んでくる。
「私は誰が来ても私のスタイルを変えませんよ。
この第八校舎六階西棟は私の縄張り、私のものです」
「……」
「でもどうしてもと言うなら返しますけど。渋々と」
結構ゼオンリーと揉めそうな性格してるな、とクノンは思った。
――まあ、なんだ。
これも一旦いいだろう。
置いておこう。
彼女の犯罪行為のことは、今夜会う学校側の人に報告……するかどうかはわからないが。
とにかく、ここへ来た用事を済ませないと。
「本題に入りましょう。聞きたいことがあります」
隣の教室は、随分すっきりしていた。
執筆用の机。
来客用のテーブルに、向かい合わせのソファー。
壁際の棚には機材や本、レポートがある。
必要な物だけ置いている研究者の部屋、という感じだ。
いや。
棚にちょこちょことガラス細工の動物が並んでいる辺りは、女性の部屋っぽい。
「本題……え? 先生から?」
勧められたソファーに座り、向かい合う。
クノンがここに来た理由は、あるのだが。
ラサミンも何か話があるようだ。
「ええ――まず『これ』」
彼女は人差し指を立てて。
その先に、紋章を描いた。
「…っ」
クノンの胸が高鳴った。
――やはり、というべきか。
――むしろ「当然」というべきか。
ラサミンは「鏡眼」を再現していた。





