30.砂糖のように溶けていく
2021/08/20 修正しました。
春の終わりに、クノンは十歳の誕生日を迎えた。
家族に祝われて、初めて自分の誕生日だったことを思い出すくらい、毎日が忙しくなった。
ゼオンリーの弟子となって約三ヵ月。
日々は紅茶に落とした砂糖のように、あっという間に溶けていく。
「――弟子というか、もはや助手と言った方が近いかもしれませんね」
「――そうだね。ここまでこき使われるとは思わなかったよ」
「――もしくは清書を仕事にしてる人」
「――そうだね。今度バイト代でも請求してみようかな」
休憩に入ったクノンは、侍女の淹れた紅茶で一息ついていた。
朝起きて、ずっと書類仕事だ。
夕方までそうして、夕方から夜までが運動と魔術の訓練。
そして倒れるように就寝。
ここのところは毎日そんな生活が続いている。
ゼオンリーは本当に人使いが荒く、数日おきに書類が届けられるようになっている。
そのせいで、相変わらず離れに住んでいるクノンは、今は違う理由で本館に帰れなくなった。
ゼオンリーがどんどん魔術に関するレポート……という名の覚え書きや思い付きを、「清書してまとめろ」と送ってくる。
そしてそんな書類が、クノンの部屋にいっぱいになっているからだ。
見る者が見れば、書類の多くが金貨の詰まった革袋である。
というか、率直に言って、本来なら王宮魔術師の残すものは覚え書きでも門外不出なのである。
言ってしまえば機密文書だ。
そんなものが部屋に溢れている以上、できるだけ人目についてはいけない。
だからクノンは、余計離れから移ることができなくなった。
基本的にここに出入りするのは専属の侍女だけだから。家族とは呼び出しに応じて会いに行くのだ。
「それにしても、図形が多いですよね」
簡単な字は読める侍女だが、専門用語が多い書類はさすがにわからない。
ただ、ゼオンリーが送ってくる書類には、絵が多いのだ。
意味がわかる絵もあれば、まったく意味のわからない絵もある。
ついでに言うと、書き殴っているような文字も多く、解読できないくらい崩れているものも珍しくない。
正直、クノンは覚え書きの清書より、崩れ過ぎた難読文字の解読の方が大変だったりする。
「面白いよね、魔技師って」
魔技師。
それがゼオンリーの、王宮魔術師としての役割なのである。
鋳型を作ったり、建物の修繕をしたりと言った普通の土魔術師の仕事もこなすが、本人は魔技師……魔道具を作ることをメインの活動に据えている。
魔道具は、魔力を流すことで動く道具のことだ。
今のところ滅多に見られるものじゃないし、そもそも魔術師だけしか使えないので普及もしていない。名前だけが有名というだけの代物だ。
ゼオンリーは、一般人でも使える魔道具を作るのが目的なのだとか。
つまり、土魔術による造形の生成を主としている。
そしてそれは、クノンが形作る「水球」と、やっていることが少々似ているのである。
いつだったかゼオンリーは、「だからロンディモンドは俺とおまえを会わせたんだろう」と言っていた。
クノンもそう思う。
魔技師の役割を知り、ゼオンリーの覚え書きを見れば見るほど、そうだとしか思えなくなった。
「私には何が何やらですが、クノン様が満足しているなら私も満足です」
「ほんと? 応援してくれる?」
「はい! クノン様の生活は私が支えますから、クノン様は頑張って夢を叶えて! クノン様の才能は私が一番よくわかってるんだから!」
「まるで売れない劇場役者を支える恋人みたいだね」
「売れたら捨てる?」
「捨てるわけないじゃないかー。僕はイコ一筋だよー。将来は結婚しようねー」
「うわあ棒読みー。嘘くさーい」
あっはっはっ、と笑い合う二人。
そして仕事に戻った。
以前は二週に一回だったミリカの訪問は、週に一回となった。
表向きは護衛として同行する、ゼオンリーを連れてくるためだ。
ゼオンリーがクノンを弟子にしたことは、極力誰にも知らせないようにしている。
クノンはよくわからないが、玉座の後継者問題がなんだかんだあるそうだ。
「よう、可愛い愛弟子。清書終わってるか?」
ここ三ヵ月ほど、書類仕事を弟子に押し付けてすっかり元気になったゼオンリーは、ご機嫌でやってきた。
「半分くらいは」
「あ? おっせえな、しっかりしろよ」
追加追加で後から後からやってくる書類仕事が終わるものか。
だいぶ理不尽な言葉だが、しかしそんな理不尽にももう慣れたものである。
「僕のメッセージ見てくれました?」
「……おまえさ、書類の端に『師匠愛してるよー』とか『尊敬してまーす』とか書くのやめろよな。ロンディモンドとかほかの魔術師に見せる時すげぇ恥ずかしいんだよ」
「愛弟子と仲良くしてるのが? いいじゃないですか、見せつけてやりましょうよ」
「一部の連中に嫌がらせされんだよ。おまえを弟子にしたかった連中にな」
「――ミリカ殿下。いらっしゃい」
「――こんにちは、クノン君」
「おい……おい。師匠を無視とはいい度胸だな」
やってきたのは、いつもの三人だ。
ミリカ、ゼオンリー、そして護衛であり監視も兼ねているという騎士ダリオ。
この三ヵ月、ずっとこの三人がやってくるようになった。
そして、今後もこの三人が週に一回来るのだろう。
挨拶もそこそこに、ゼオンリーとクノンは実験に入る。
試したいことは山ほどあるし、週に一度しか会えないこの時間は、とてつもなく貴重なのである。
――書類仕事は、ゼオンリーなりの教育である。
意味と意図を理解し噛み砕いて理解させ、書かせる。
これがよく記憶に残る。
週に一度しか会えないだけに座学の時間は取れない。
そのため、こういう形でクノンへ知識を与えているのだ。
まあ、清書が面倒なのも本音ではあると思うが。
「――ここ、どう思う?」
「――圧が掛かりすぎだと思います。入れ物を強化するか、込める魔力を減らさないと成立しないかと」
「――だがこれくらい魔力圧がないと正常に動かないだろ」
その証拠に、多くを語らずとも、ゼオンリーの話にちゃんとついて行ける。
三ヵ月前は魔技師の魔の字も知らなかった素人が、専門家とちゃんと話ができている。
教育の賜物である。
作業量については、バイト代が欲しいくらい理不尽だが。
「――よし、試しに造ってみるか。おまえ内部機構を頼む」
「――はい」
ゼオンリーが土魔術で大枠の入れ物を造り、内部の仕掛けをクノンの「水球」で即席で造り組み立てる。
「固い部品」はゼオンリーが造れるが、「柔軟な部品」は造れない。
そちらがクノンの役割なのだ。
脇目も振らず実験や試作に没頭するクノンたちから離れて、ミリカはダリオと向き合っていた。
「よろしくお願いします!」
「はい、こちらこそ」
お互い木剣を持ち、構える。
――三ヵ月前から、ミリカはできることを頑張るようになった。
目標は、入学したばかりの上級貴族学校を、首席で卒業すること。
そのために一層勉学に励むようになった。
そして、剣術を含めた武術を学ぶようになった。
もしもの時、ミリカがクノンを守れるようになりたかったから。