275.聖女の無駄に高性能な畑
温室の地下は、急造で建設された。
ヒューグリアの王宮魔術師たちの仕業である。
魔術都市ディラシックへ行ったミリカが持ち帰った、光る種のせいだ。
それを見た瞬間、彼らのテンションが爆上がりしたのだ。
ミリカが詳細を説明する間もなく。
魔術師同士で意見を交わし、これが何であるかを熱く語り合い。
そして、結論にたどり着いた。
わからない、と。
幾重もの枝葉を伸ばし拡大する。
そんな推論たちこそ存在するが、決定打が見つからない。
ミリカも詳しくは知らないそうなので、情報はほぼないに等しい。
魔術絡みのことなのに、わからない。
理解不能。
見たことがない。
長く魔術に関わり、その最先端にいる王宮魔術師たち。
そんな彼らが「わからない」と判断した。
そんなの、彼らの好奇心が抑えられるわけがない。
――なんかヤバそうだから人目のつかないところに植えてみよう、と。
ミリカそっちのけで結論が出た末にできたのが、ここ。
地下の畑である。
狭い螺旋階段を下りると、真っ暗な一室に出る。
陽光の差さない地下なので当然のことだ。
床だけが薄ぼんやりと光ってはいるが。
淡い光だけに、よく見えない。
聖女はすでに手慣れたもので。
階段を降り切ったところにある、宙に浮かぶ魔石に触れる。
すると――天井付近に光球が三つほど発生する。
それは地下室を隅々まで照らす、小さな太陽である。
「何度見ても素晴らしい光景ですね」
開拓地に場違いな温室の、地下。
そこにあるこの畑だ。
育っているのは、薄ぼんやりと光る野菜。
あの時、聖女がミリカに持たせた種の育った姿である。
育つのは当然。
豊穣の力を付加した種だ。
どこででも芽吹くし、育つ。
光る種は、そういうコンセプトで生まれたものだ。
ただし。
「相変わらず不可解な……」
聖女は野菜たちを軽く観察し、内心眉を寄せる。
――成長度合いが違う。
以前聖女が持たせた光る種と。
ここへ聖女が来て、新たに生み出して植えた光る種。
違うのだ。
成長速度が。
理屈で言えば、古い方が付加した「結界」の効果が弱まっているはずなのだ。
それなのに、新しい光る種より、以前の方が生育が速い。
同時に植えたそれらは、明らかに成長が異なっている。
観察した限りでは、二割増しくらいで、以前渡した種の方が育っている。
なぜだろう。
実に興味深い。
――それもヒューグリアの王宮魔術師たちの仕業である。
ここはただの地下室ではない。
もちろん照明のこともあるが……それ以上にとんでもない代物がたくさん備わっている。
ヒューグリア王国の魔術の最先端がここにある、と言っても過言ではないほどに。
自動でやる温度調整。
自動水まき機能と水はけ機能。
空調清浄機能。
もちろん害虫、害獣よけも抜かりない。
天井の照明も、ただの光球ではない。
外にある暗黒球が帯びて貯めた陽光を、ここで放つようにしてある。
更には、この部屋と違う部屋を瞬時に入れ替える一対性空間転移機能を備えている。
もしもの時の緊急避難用の機能である。
また、自壊機能も備えている。
もしもの時には証拠隠滅するために。
一瞬でこの部屋を土で埋め立て、なかったことにするのだ。
本当にめちゃくちゃなのだ。
「ただの畑」などでは、断じてない。
――だが、彼らが関わっていることは秘密である。
この地下室の詳細は、開拓民の中ではワーナーしか知らない。
領主代行であるミリカでさえ、知らされていないのだ。
そう、王宮魔術師たちはわかっている。
わかっているのだ。
やっちまった、と。
やりすぎている、と。
明らかに外に出してはいけない技術を面白半分に使ってしまった、と。
だが。
やってしまった以上、壊すのも勿体ない。
だから秘匿することにした。
集落中で色々やってるのに今更隠すことも……という感もあるが。
ここは特に、まずいのだ。
本当にまずいのだ。
「立派な大根ですね。よく煮ると味が染みて絶品です」
一緒に来たワーナーは答えられないことを内心詫びつつ、畑を見ている。
視線の先は、のびのびと葉を伸ばす大根。
あれだけ頭が大きければ、下もきっと大きいことだろう。
「食べられそうなものは収穫しましょう」
基本、成長が止まった植物は発する光が消える。
これ以上は「結界」の効果がない、というサインである。
つまり、光が弱まった頃が食べ頃、ということだ。
消えるまで行くと熟しすぎだと思う。
まあ、熟しすぎた方が逆においしい野菜や果物もあるが。
そこもまた面白いところである。
薬草類なら、枯れるまで放置して種を取ることもあるのだ。
大きさも観察対象。
味も観察対象。
聖女の興味は、この地下の全てに向いている。
「――それではレイエス様、私は屋敷に戻りますね」
地下での収穫が済むと、ワーナーの管理人としての仕事は終わりだ。
野菜を屋敷の厨房へ運び。
雑務を済ませ、少々の書類仕事と備蓄の管理。
老人ゆえ力仕事はできないが。
それでも、やることがなくなることはない。
足りないばかりの開拓地とは、そういう場所だ。
「わかりました。ご教授ありがとうございました」
ガンガン質問しまくった聖女は、ここに残って観察を続けるつもりだ。
居られる時間が限られている。
疑問が尽きるまでは、精一杯学ぶつもりである。
「あ、そうでした」
背を向けたワーナーを見て、聖女は思い出した。
「私の侍女がワーナー様を呼んでいましたよ」
「おや。何かご用でしょうか?」
「聞いていません。見掛けたらそう伝えるよう頼まれただけです。
ただ――大麦は大成功、と。嬉しそうに言っていましたね」
「――それは急いで行かねばなりませんな。失礼します」
と、ワーナーは野菜をいれた籠を持ち、いそいそと螺旋階段を登っていく。
大麦。
それは、聖女の侍女がワーナーに相談したことだ。
――「すぐ酒ができる魔道具があるけど、うまい酒の作り方を知っているか」と。
そう聞かれ、ワーナーは答えた。
大麦や麦芽を使ったエールの作り方を。
すぐ酒ができる魔道具。
それがどういうものかはわからない。
だが、できたというなら、やるべきことは一つである。
味を見に行くしかないだろう。