113.勝負は決した
あとがきにお知らせがあります。
「なかなか容赦がない」
そう呟いたのは、「調和の派閥」代表シロト・ロクソンだ。
闘技場には火の海が流し込まれ、観客席まで暑くなってきた。
クノンは偉そうに空を飛び、ジオエリオンは火の海の真っただ中で平然と佇んでいる。
これでジオエリオンが地面を支配した。
落ちたら終わりだ。
この先、クノンは常に空中にいなければならない。
「クノンは少し厳しくなったな」
自身の身を守りつつ、足場も守り確保し続ける必要がある。
ジオエリオンを相手にだ。
足場も元は「水球」、火の影響を受けるだろう。
維持するだけでも難しくなるだろう。
いや、そもそもを言うなら。
地面を燃やされた時点で終わっているのだ。
水の魔術師が飛んでいることの方が異常なのだから。
だが、しかし。
こういう形になってしまうと、決着は近そうである。
「私は狂炎王子の方が気になるよ」
シロトの隣にいる、クノンの同期ハンク・ビートが言った。
同じ火属性だからわかる。
火の魔術師とは言っても、別に肉体が火に強くなるわけではない。
普通に熱を感じるし、操作を誤れば自分の魔術で火傷したり燃えたりするのだ。
それなのに、ジオエリオンは平気な顔をして火の海の中にいる。
きっと、魔力の操作で熱を遮断しているのだろう。
それはかなり難しいことだ。
狂炎王子。
その二つ名に恥じない実力者である。
――そんな二人からそう遠くない観客席で、彼らは笑っていた。
「楽しそうだな、ジオ様」
「そうでありますね」
ジオエリオンの友人兼護衛のガスイース・ガダンサースとイルヒ・ボーライルである。
帝国の皇子。
そう聞けば、華やかで贅の限りを尽くした派手な生活を送っていると思われがちだが、とんでもない。
清貧、とでも言えばいいのか。
ジオエリオンは、与えられる物こそ高級品だが、それ以上は求めない。
楽しみを自分から探すこともない。
知識欲こそ旺盛だが、それを満足に満たすだけの時間はない。
ジオエリオンの毎日は、研鑽と学習ばかりだ。
自由に使える時間なんてほんの一握りしかない。
いつか、溜めに溜めた鬱憤が大爆発するのではないか。
二人はそんな心配をしていた。
しかし。
今は、楽しそうだ。
我慢もなく遠慮もなく魔術を放ち。
そして相手がそれに応える。
実に楽しそうだ。
楽しそうで、嬉しそうだ。
だが――
「そろそろ大詰めでありますね」
楽しい時間とは、どうしてこうも早く過ぎていくのか。
元々魔術師同士の勝負は、長期戦になりづらい。
小技の一発でも、まともに入ればそれで決着が着くからだ。
小技でもそうなのに、大技も出るのである。
お互いに一撃必殺を繰り出し続けるのだ。
そうなれば、すぐにでも結論は出るというものだ。
このクノンとジオエリオンとの勝負も、時間にすれば短いが。
魔術師界隈では、すでに長期戦の分類になる。
ジオエリオンが生んだ火の海。
維持するために相当な魔力を使っている。
あれは長く使用できるものではない。
つまり――
「ああ、もうじき決着だな」
ジオエリオンは勝負を仕掛けたのである。
観客席の想いはどうあれ。
そろそろ決着が着く。
それはクノンもジオエリオンも思っていたことだ。
様子見も小競り合いも済ませた。
あとはもう、応酬のみ。
ここから先は――
「行くぞクノン!」
感情も露わにジオエリオンが吠えた。
巨大な火球が二つ生まれる。
クノンとほぼ同じ大きさの火の球が、二つ。
しかも、無数の火蝶をまとっている。
そして、それは容赦なくクノンに向けて飛ばされた。
「――よし、気合い入れよう」
クノンの笑みが消えた。
この火球は、追跡してくるものだ。
ジオエリオン自らが操作し、どこまでもクノンを追ってくるだろう。
これほどの高熱の火となると、クノンの手札では対処が難しい。
単純な力の差である。
それほどまでに、火球に込められた魔力が強いのだ。生半可な水ではどうにもならないだろう。
ここから先は。
クノン自身も、自分がどうなるかわからない。
理屈や対処法を考える間もなく、勘と感覚で動くことになる。
瞬時に判断しなければならない。
そうじゃないと、もう対応できないと思った。
火球が迫る。
クノンは沢山の「水球」を周りに生み出しつつ、椅子型「水球」を高速で移動させ――
「あっまずっ……!」
逃げる意識に気を取られ、気づくのが遅れた。
突然。
飛行する進路を塞ぐように、一つの火球が下から目の前に飛び出してきた。
下の火の海より出てきたものだ。
もう避けられない。
クノンは両腕で顔を守りながら、速度を上げて火球に突っ込んだ。
先に魔力の導線を引いて、決められたルートを移動する。
クノンの飛行は、そういう原理で動いている。
それだけに、急な方向転換はできないのだ。
ならば。
逆に速度を上げて、一気に火球の中を通りやり過ごすのみ。
加えて、とっさに「水球」をまとった。
そのおかげでなんとか助かった。
軽く皮膚が焼け、衣類に穴が空き、少し髪が焦げただけで済んだ。
熱い。
痛い。
だが、まだ思考力はある。
魔術も使える。
ならば問題ない。
飛び出してすぐに「水」で冷やす。
しかし、今ので足場は蒸発してしまった。
クノンは宙に放り出されていた。
そんなクノンを追って、火蝶をまとった火球が迫る。
「――っ!」
同じく、ジオエリオンもダメージを負っていた。
クノンが回避すると同時に飛ばした不可視の「砲魚」。
それが一本だけ、彼の右肩を貫いたのだ。
やや放射状に三十七本。
方向だけ決めた無差別な飛び道具を、ジオエリオンは一本だけ避けそこなったのだ。
それもそうだろう。
今や火球を三つ操作し、火の海を維持し、また自分の身体が燃えないよう制御もする。
いかな天才でも、いや天才だからここまでやれるのだ。
しかし、才能があっても限界はある。
この上更にクノンの攻撃を避けろと。
見えない攻撃をかわせ、と言うのは酷だ。
ある程度避けるのが精一杯だった。
――ここからだ。
最初は一歩も動かなかった魔術勝負は。
ここに来て、まさかの機動勝負になった。
「――」
クノンは声にならない声を上げる。
意識を失わないため、そして深く呼吸して熱を吸い込まないように。
とにかく気合いの声を上げていた。
右に左に上に下にと、勢いよく宙を舞いながら。
椅子型では急な対処ができない。
ならば、別の方法で飛ぶしかない。
進行方向に超弾力「水球」を生み出す。
そして、反発力で違う方向に撥ね飛ばしてもらう。
クノンはそんな移動方法を編み出して、宙を舞い続けた。
もう上下左右の感覚がわからない。
ただ撥ね飛ばされるだけなので、身体はきりもみし、両手足は投げ出されるように振り回されている。
その様は、強風に弄ばれる木の葉のようだ。
何度も火球が掠めた。
直撃はないが、半ばもう当たっているようなものだ。
熱を帯びた眼帯を捨て、服は焼け焦げ、手足が尋常じゃないほど痛い。
それでもクノンは舞い続けた。
舞い続けて、「砲魚」を放ち続けた。
「――っ! っ! っ……!」
声にならない声を上げ、ジオエリオンもボロボロになっていた。
避けきれないクノンの攻撃が何発も当たっている。
激痛が走る。
ぼたぼたと少なくない量の血が流れている。
それでもなお、心が折れることはなかった。
魔術を操作する意思は変わらず、むしろどんどん冴えわたってきている気がする。
限界は近い。
いや、もう超えていると思う。
だが、それでも。
二人は同じことを考えていた。
いつまででもこの戦いを続けたい、と。
そして、勝負は決した。