94 落とし物 その4
「お前がここまでやられるのを見たことがない」
そういいながら、ダーク翔一は治癒精霊を翔一に纏わせた。
土壁源庵が無言でちぎれた指を繋げ、大きく斬り開かれたわき腹を止血する。
「治りも遅いな。どうすればいい?」
柄にもなく、宿精は心配そうだった。
「これは邪神の呪詛だ。人間と同じプロセスで治す以外ない。普通の人間の医者に行くのも一つの手段だ。呪詛を克服している間に身が持たないかもしれない。たまには人を頼れ」
源庵が血を拭きながら答える。
「ありがとう、ダーク君、先生」
広間には魔竜人の死骸と巨剣。雑魚どもは塵となって消えた。
魔竜人の死骸は石となっている。
「これで聖家の因縁は消えたクマだろうか」
「さあな、奴は邪神だった。神はそう簡単にはどうにもできんよ」
源庵が答える。
「ありがとう、悪魔を倒してくれて」
老女がいつの間にか立っていた。
手には何か良い匂いのする壺がある。
「お婆さん、敵はやっつけたよ。でも、ロザリオはちょっと汚れたクマ」
血まみれのロザリオを見せる。
「気にしないで、それの元の持ち主もこの結果を見たら満足するわ。でも、その心臓はそのままではよくないわね」
翔一は傍らに置いた心臓を見る。
「これはどうしたらいいクマ?」
「この蜂蜜の壺で蜜漬けにするのよ。すごいものになるわ」
黄金色の蜂蜜を見せる老女。輝き透き通っている。
「美味しそうな蜂蜜クマー」
翔一は人熊化してから蜂蜜が大好物だった。
「その心臓をいただけないかしら」
「じゃあ、あげるクマ」
夫人は心臓を受け取ると、壺の中に入れる。壺には蜂蜜が入っていたのだ。
良い匂いが、一瞬で、何か薬のような残念な匂いに変わる。
色も黄金色から黒い蜜になった。
「あー、勿体ないクマー。こんなのになるなら……」
「いいのよ、これは天使から頂いた花の蜜なの。竜の生命の源と合わせると、すごい薬になるわ」
「うーん」
クンクン匂いを嗅ぐ。やはり、がっかり感が消えない。
「美味しすぎると、パクパク食べちゃうでしょ」
「クマクマ」
「効果を見せてあげるわ。付いてきなさいな」
全員でぞろぞろとついていく。
廊下を通り、聖倫の部屋に入った。
老婦人は黒い蜜を小さなスプーンですくうと、眠る少女の口に入れる。
「少しでいいの。普通の人間には強力すぎる薬よ」
「へえー、倫ちゃん元気になってほしいクマ」
見ていると、少女の真っ白の顔に赤みがさす。
「ほう、オーラが強くなった。こんなの見たことないぞ。すごい薬ですな」
源庵が感心しきり。
「倫ちゃん……起こしたらダメクマだね」
倫は穏やかな寝息を立てていた。
少女の部屋を出る。
いきなり、先ほどの食堂に出た。
「じゃあ、僕たちはそろそろ帰りたいクマだよ」
「勇者様。この霊薬を持って行ってくださいな。私のような者が持っていても宝の持ち腐れ」
断ろうとした翔一だが、
「ご婦人の仰る通りでござる、翔一殿、その薬は英雄たちのために使うべきではないか」
「そうですわ。それに、私はもう隠居の身。私が秘宝を持つ意味はありません」
「意味のない遠慮だぞ」
仲間たちにも口々にいわれて、
「ありがたく貰うクマ」
蜂蜜の壺を受け取る。
「そんな危険なものを、婆さんに持たしておくのも罪だぜ」
「駄熊は言葉使いを厳しくしつける必要があるようじゃな」
駄熊に厳しい大絹姫。
「翔一、その薬、お前飲まないのか。怪我だらけだろ」
壺を大事そうに抱える大熊に黒い子熊が問う。
「竜と僕は敵対関係にあるクマ。僕にいい結果が出るかどうか……さすがにこれで呪詛は消えないと思うクマ」
自分が心臓を引き抜いた相手の血蜜を吸う。
どうもその発想は受け付けない。翔一は嫌な予感がした。
「そう思うなら、好きにしろ」
「ご婦人、我らはどうやって出たらよいのですか。不思議な異界だ」
源庵の問いに。
「出口まで案内しますわ。この迷宮は聖家の影の異界として存在しています、邪竜を閉じ込めるための。しかし、今となっては、あの者を閉じ込めるだけの道具を越えています。聖家の縁者が家を守るための霊魂的結界でもあるのです」
「だから崩壊しないのか」
「ええ、聖家とそれに連なる者たちの魂が、結果的に支えています」
「だから、祖霊のあなたが住んでいるんだ」
「ええ、太古の霊魂殿。その通りです」
源庵は彼女の正体を見抜いていたようだった。
老女に連れられて、ぞろぞろと出口に向かう。
光り輝く鏡が見えた。
「あれをくぐって下さい」
「全員で出たら騒ぎになると思うクマなので、精霊界に戻って下さい。僕も人間になります」
翔一はそういいながら、人間に戻った。
顔に大きな傷が走っている。三本の線が額と頬を深くえぐり、赤い線となって。
シャツにも血がにじんでいた。
一瞬、無言になった仲間たちだが、精霊界に消える。
「お婆さん、さようなら」
「お願いがあります。この場のこと、この場で起きたことは……」
白髪の頭を下げる老女。
「ええ、秘密にします。邪竜のことは誰も知らないほうがいい。それに、聖さんの家の秘密でもあります。僕がみだりに言い触らしていいことじゃない」
「ありがとう、勇者様。ありがとう」
老女の声が聞こえ、翔一は、光に包まれる。
出た場所は、聖家のホールだった。
目の前に二人の人間がいる。
美沙の父、聖雄造とスーツを着た若い青年が一人。
雄造は迷宮で見た人物と似ている。某大企業の日本幹部で防衛会議の理事だったので、翔一はそれとなく知っていた。
(……迷宮で見たのは?)
そして、若い男の方はびっくりするぐらいの美青年だった。
唖然とする三人。
(まいったなぁ。こんな場所に出たよ)
ホールは広いが、出口は彼らに塞がれていた。
「えっと、その、これには……」
「何者かね、君は。今までここにいたのか。どうやって入った。何で血塗れなんだ。それに、その壺は?」
しばらく唖然としていた三人だったが、聖雄造が声を出す。
そして、目が光った。
美沙の父は強力な術者だった。
無言で霊視を使い、壺にいち早く気が付いた。
「これは、大事なものです」
慌てて、精霊界に引っ込める。
まだ、老婦人の力が残っていたようだ。結界が弱い。
「この小僧、今、異界に隠しましたよ」
青年も翔一と似たような能力があるのか、異界からサーベルを出す。
雄造も同じく細剣を出した。
「刺客か」
「僕に任せてください」
すっとサーベルを抜く青年。
かなりの腕前なのは一瞬で理解した。
「待ってください。僕は偶然入り込んだだけで」
「何をいうか、先ほど隠したものを見せろ! 邪術の使い手だろう」
青年はそう決めつけると、サーベルをササっと小刻みに動かす。
殺す気はないようだが、けがをしかねない。
翔一は躱して、木刀を出す。
「武器を出しましたよ、叔父上」
「容赦はできんな。侵入者め」
雄造も鞘から剣を抜いた。
剣の猛撃にさらされる、翔一は必死に逃げ回った。
木刀は簡単に割られる。
彼らの剣は相当な魔力を持ったものだった。
(このままじゃ……)
この二人に自分の秘密や、迷宮のことを教えるのが正しいのか迷った。
人の話を全く聞かない。
しかも、誤解してそれを真実と思い込んでいる。
小傷も治らないようだ。
剣には聖なる力があり、人獣の治癒力は阻害されている。
(それに、お婆さんと約束した。自分の言葉は守ろう)
「もう逃げられないぞ、小僧。観念しろ!」
「おい! やりすぎるな」
雄造は翔一を殺す気はなく降伏させるだけのつもりだったが、思った以上に素早く手強いことに驚いていた。
そして、青年は躱されることに怒り始め、ついに必殺の剣を繰り出した。
「まて!」
慌てる聖雄造の声が聞こえるが、剣は致命的な軌道を描く。
(まずい!)
翔一はあきらめて『念焔剣』を抜いた。
柄が壊れていたので、剣の茎を掴んで居合で受けたのだ。
一瞬だけ、激しく燃え上がる。
そして、返す刀で剣を叩き折った。
カラン!
青年のサーベルは枯れ枝のように簡単に根元から折れて、大理石の床を転がる。
「え? 嘘だろ」
自信満々の顔が、驚きに変わる。
それでも、すぐに立ち直り、素早いステップで後退する青年。
翔一は慌てて下がった彼の脇をすり抜けて、ホールから脱出した。
門も閉じてあり結界もあったが、剣の一撃で破壊して強引に押し通る。
「なんだ、今のは、オーラの炎?」
聖雄造のつぶやきが聞こえた。
「はぁはぁ」
全力疾走で高級住宅街を抜ける。
人通りが少ないことは幸いだった。
適当なところで立ち止まる。
制服の白いシャツが見る見る真っ赤に染まって行く。
青年との戦いで、傷口が再び開いたのだ。
バリっとシャツを開けると、だらだらと血が流れていた。
意識がもうろうとしてくる。
「このまま、では、まずい」
血まみれの手で、ヒーロー端末を出す。
ぶるぶる、震えて、思わずアスファルトの地面に落とした。
翔一は忘れていたが、指が自由に動かなかったのだ。
何とか拾い、緊急連絡のボタンを押す。
ヒーロー端末は単なるスマホではなく、そのような工夫がされている。
「こちら防衛会議。四級治癒クマーですね。何があったのです。報告を」
日本防衛会議の女性オペレーターの声が聞こえる。
彼等なら緊急事態には冷静に対処してくれるだろう。
思わず、膝をついた。
ボタボタと血液がアスファルトを染める。
「血が……出て……」
「報告して、何があったの!」
「……」
御剣山翔一は住宅街の片隅で、血まみれになり倒れ伏す。
小柄な少年は、硬いアスファルトの上で意識が遠のいていく。
どこかで必死に呼びかけるような声が聞こえていた。
2023/8/29 怪我だらけの少年が蜜を舐めなかった理由を追加しました。




