93 落とし物 その3
階段を下りる二つのモフモフとお人形。
「くんくん、いい匂いがするクマだよ」
「お、本当だ。ぬいぐるみの俺でも感じるとはね」
「魔性化された料理の香じゃの」
暗い影から、一人の人間が進み出てくる。
「ようやく、おそろいですわね。食事の用意が出来ましたわ」
屋敷に引き入れてくれた、あの老女だった。
「お婆さん。ここにいたクマですか……あ、あわわ」
翔一は自分が熊形になっていることを忘れていた。
しかし、この空間では人間に変身できない。
「心配しないで、あなたが人間じゃないことは知っていたわ。可愛いクマちゃんだったのね」
「だますつもりはなかったクマです。でも、熊形でうろうろしたら、みんなを驚かせてしまうから」
「いいのよ、気にしないで」
「……そうだ、お婆さん、黒いドラゴンみたいな影を見なかったクマ?」
タイミング的に、老女があの怪物に出会った可能性は高い。
翔一の内心に警戒が出る。
「そう、あれに導かれたのね。あれと私はこの鏡のダンジョンの中の現身の一つ。古代にうち捨てられた幻なのよ。私たちはお互い直接干渉できない決まり。だから、あいつは私を無視して去ったわ」
「幽霊同士がお互いを認識せぬような話じゃの」
大絹姫がうなずく。
「へー、そうなんだ」
「知らぬのか、熊の翔一ともあろう者が」
「そうよ。ええ、詳しいことはすべて話します。その前に良い匂いがしてるでしょう。おいしいスープも出来上がっているわ。どうぞ、召し上がって」
色々と彼女に聞きたいことは多かったが、体の方がスープを食べたいといっていた。
翔一は老女にいざなわれて、広めの部屋、食堂に案内される。
例の無言のメイドが二人で給仕し、そして、土壁源庵と球磨川風月斎が静かにスープをすすっていた。
「おう、皆おそろいで。先にいただいているぞ」
源庵が声を上げる。
メイドの案内で座り、全員でスープを飲む。
大きな丸ごとソーセージとハーブの入った透明なスープ。
パリっと食いちぎると、熱い肉汁が口に広がる。
「すごく美味しいクマ!」
強いハーブの香りと、ソーセージの風味と歯ごたえがいい。野菜も優しく溶けており、口当たりも良かった。
メイドが堅くて香ばしいパンを置く。
これも絶品だ。
「モグモグ、クマクマ」
「悪くないな、魔性化してある。お代わりほしいぜ」
辛辣なダーク翔一も絶賛。
結局、全員しばらく無言になって食事を堪能した。
「奥方、馳走になった」
風月斎が老女に礼をいう。
他の面々も口々に礼をいった。
「口に合ったようで何よりですわ。自慢の一品なの」
「おいしかったクマです」
彼女は相好を崩して満面の笑み。
「ウフフ」
「奥方。我らに何か頼みたいことがあるのではござらんか」
風月斎の問い。
笑顔が消え、真剣な顔になる老女。
「……ええ。こんなことを依頼するのが筋違いなのは百も承知でお願いします。この迷宮の主を倒してほしいのです」
「やっぱりそんなことか」
ダーク翔一は嫌そうな顔。
「ダーク君、困っている人にそんなこといったら駄目だよ。お婆さん、詳しく話して欲しいクマ」
「では、少し長くなりますが、聖家の因縁がすべての始まり。そこから語ります……」
老女は大昔の経緯から話を始める。
聖家の祖先は女系がヨーロッパにあり、その祖先はキリスト教以前には土地の邪神を信仰していたという。しかし、キリスト教に改宗してからは邪神は打ち捨てられてしまった。
邪神はその不義理に怒り、聖家に祟りのようにしがみついている。聖家が古の技を失う前に異界を作って邪神を閉じ込めたのがこの迷宮である。
「……あの鏡が何かの呪物で迷宮に通じているクマ?」
「屋敷にある鏡はすべて普通の品よ。しかし、聖家に属する鏡は一定の条件で迷宮への入り口になるの。この迷宮は一族の宿業みたいなもの。鏡がたくさんあるのは邪神の呪詛を散らしているのよ」
「ふーん、じゃあ、あの倫という娘が怪物に生命力吸われているのはどういうことだ。閉じ込めたんじゃないのか」
ダーク翔一が問う。
「邪神の魔力は封じきれない。一族は安心しているけれど、迷宮は破れかけの袋みたいなもの。一部が破れて、定期的に弱い子が狙われているの」
「古の技とやらを忘れたから、何が起きているのかわからぬのじゃな」
大絹姫も問う。
「ええ、今の聖家は男系の白魔術を旨としているわ。とても強力だけど、唯一神の体系以外には疎いの。邪神の接近に気がつかない」
白魔術はキリスト教世界観を宗とする。神と天使の力で悪魔を追い払う魔術であり、精霊術のような汎用性は失われている。密かに邪神に呪われていることをわからないとしても不思議ではない。
「あんた、何者なんだ」
「ダーク君」
翔一は毛皮の腕をぐっととる。
彼女に優しい笑顔以外の反応はなかった。
「委細はわかったでござる」
「お婆さん、そいつはこの奥にいるんだね。でも、精霊術が使えなくて僕たちは不利だと思うクマ」
「短い時間なら、結界を弱くできるわ」
「じゃあ、お願いしますクマ。悪者はやっつけるクマだよ」
老婦人は宝石がいくつもついた銀のロザリオを渡す。
「あなたにはもっと強力なものがありますから、必要ないかもしれませんが。私には渡せるものもないのです。これを受け取って下さい」
「気にしなくていいですクマだよ。僕の親友なら絶対お婆さんを助けるから」
受け取ろうとしない翔一。
「しかし……」
老女の懇願するような目を見て、断るのも失礼に感じた。
「……ありがとう、ありがたく貰うクマ。邪神を倒すために頑張るよ」
翔一はロザリオを首にかけた。
老婦人は深々と頭を下げる。
「ただ働きじゃないなら文句はいわないぜ」
「ほんに、お主は駄熊じゃのう」
「駄熊いうな!」
「拙者は翔一殿の心意気が好きでここにいる。当然、助太刀いたす」
うなずく風月斎。
「力仕事は性に合わんのだがな。私もやる。精霊が呼べるなら邪神ごときどうということもないぞ」
意外と源庵も力強い言葉を吐く。
一行はぞろぞろと、この空間の奥にある、闇の広間に向かった。
「全員隠密精霊の影に入るクマ。チビクマはダーク君が指示して」
「わかった、ちょろちょろすんなよ」
「キュー」「キュー」
物陰や隅をそろそろと進む一行。
広間はどんどん巨大な空間となる。
せりあがった台があり、台の周りは階段。
巨大なたいまつが台上にいくつもあり、あたりを照らしている。
台の上には巨大な王座。
そこは人と竜を掛け合わせたような巨大怪物が座っていた。
(竜人間?! 皮は赤と黒、緑もある……)
その怪物の皮はまだら模様で様々な色があった。
竜の影のような生き物が怪物の前に出現する。
翔一と宿精が追っていた怪物の影だ。
「ふうむ、突然襲われたというのか。娘の魂は吸ってきたか?」
竜人間が吼えるように声を出す。
「……」
何か意思を伝えたのだろうか、影は怯えている。
「役立たずめ」
そういうと、怪物は影の生き物をむんずとつかむと、がぶっと食う。
断末魔の悲鳴を上げながら、それは竜人間の胃袋に収まった。
「……」
静けさが訪れる。
竜人間の鼻息が止まった。
「客人がきたようだな。何者だ。姿を現せ」
竜人間は翔一たちが潜むあたりをギロッと睨む。
翔一は巨大化し『念焔剣』と『水竜剣』を抜く。
術者は後ろに控え、風月斎が『ソルヴァル』を抜かずに翔一の横に立った。
「ほほう、ユルギスの一族か。よくもワシを裏切ったな」
竜人間は翔一のロザリオを睨みつけた。
「あなたは何者クマ」
「ワシを忘れたのに、戦いだけは挑むというのか。昔はワシに縋って、無数の生贄を捧げたくせに。今になって縁を切るなどといわせぬぞ」
「時代は変わったクマ。人々は生贄欲しがる神様は捨てて、もっとまともな神様を信じているよ。あなたも信仰心だけ貰って、生贄なんて諦めるクマ」
「うるさい。忌々しい唯一神の手先め。憎きユルギスの一族を滅ぼし、血で贖う信仰を齎してくれるわ」
「現代にあなたみたいな古臭いものは必要ないクマ」
「ワシが必要であれば、現代がそれに従うまでの話だ」
「そうはさせない」
会話が終わった瞬間、竜人間は立ち上がった。
グンッと巨大化する。
大熊でも見上げるほど巨大な魔の竜人となった。
魔竜人ともいえるその怪物は魔術を唱えだす。
同時に床から何十もの古代の鎧を付けたゾンビのような生き物が出てきた。
「こいつの眷属だ。気を付けろ」
ダーク翔一はチビクマ結界を張って、光の球を連射し始める。
「雑魚は拙者に任せるでござる」
「妾もやるぞよ。いでよ眷属」
大絹姫は古代の鎧に身を固めた数人の剣士を召喚した。魔竜人の眷属と似ている。
「俺が魔術全般をやるぜ」
ダーク翔一も様々な精霊を呼び寄せる。
仲間たちも動き始めた。
「白虎……」
翔一はいきなり突撃しようとしたが、体が止まった。
「時間停止」
魔竜人はにやりと笑う。しかし、
「対消滅! やらせるわけがないぞ!」
源庵の声。
「……一剣!」
一瞬、止まるかに見えた体はそのまま魔竜人に突撃する。
瞬息の斬撃は決まるように見えたが、怪物はひらりと躱した。
バサ
蝙蝠の羽が、床に落ちた。
「貴様、よくもやってくれたな!」
左の羽を失った怪物は激怒し、息を吸い込む。
「ブレスだ、気を付けろ!」
源庵の声。
「やらせない、水ブレス!」
翔一は『水竜剣』を掲げて水ブレスを出した。
魔竜人と水竜のブレスが衝突する。
魔竜人のブレスは虹色だったが、水ブレスは全てを中和した。
広間全体が水蒸気に覆われる。
「ち、何も見えんぞ」
ダーク翔一の声。
「心で敵の動きを見るでござるよ」
風月斎は全く動じることもなく『ソルヴァル』をふるい、鎧のゾンビたちを寄せ付けない。霧の中に光る刃。
翔一はここまで視界が真っ白になると思わず、焦った。
頼みの『水竜剣』も邪悪な魔力に満ちた霧の中で敵を察知できない。
ブン!
何かが振り下ろされる音、翔一はとっさに避けたが、額を少し斬られた。
「うわ!」
ばっと血が目に入る。
チビクマがすぐに禍を吸ってくれたが、傷自体はすぐには治らない。
巨大な魔剣が連続で襲ってくる。
魔竜人が滅茶苦茶に振り回しているのだ。
オーラの剣で連打を受けるが、視界が悪く、苦しい戦いだった。
「竜の視力は何にも阻害されない。死ぬのだ、裏切り者」
ブンブン振り下ろされる剣を受け続け、小手は壊れ、左手の指が一部ちぎれ跳ぶ。
じわじわと後退する。
(なんて、強い奴だ)
「熊殿を守れ!」
大絹姫の剣士が二体突撃するが、一瞬の時間を稼いだだけで、二撃で粉砕されてしまった。
飛び散る手足、武具。
「翔一殿、逃げたら終わりでござる」
喧騒の中、風月斎の声が突如耳に入った。
「ウォーターエレメンタル。水蒸気を消せ!」
源庵の声。
霧が晴れた。
魔竜人は骨でできた巨剣を振り下ろそうとしている。
「火炎弾! 連射!」
ダーク翔一のエレメンタルが立て続けに火炎弾を魔竜人に叩き込む。
全く効いていないように見える。
しかし、仲間の援助で敵の動きがかすかに鈍った。
翔一は『水竜剣』を捨て、両手で『念焔剣』を持つ。
「剛刃素戔嗚!」
身を稲妻に変えて、渾身の一撃を叩き込む。
「ち!」
だが、魔竜人は無敵の剣士だった。
必殺の一撃を寸前でいなしたのだ。
すれ違う二匹の巨体。
互いにブワっと、血煙を上げる。
「やるな、大熊!」
「く」
鱗の胸と毛皮の胸には大きな裂傷があった。
傷の深さは同じぐらいだろうか。
「これならどうだ。地獄の悪魔よあいつを殺せ! 突撃!」
ダーク翔一の叫び!
炎の剣を持った悪魔のような怪物が異界から突如現れ、魔竜人に襲い掛かる。
「ぬん!」
魔竜人は振り向きもせずに悪魔を斬って捨てた。
袈裟懸けに斬られて、存在が滅せられる。
「お、俺の必殺怪物が、い、一撃ぃ!」
宿精、驚愕の声。
にらみ合う巨体。
「矢車夢想剣!」
群がる鎧ゾンビたちを撫で斬りにする風月斎の叫びが耳に入る。
剣を敵の視線にまっすぐに構え、全力のオーラを注ぎ込む。
「……突いてくるか」
「月読三突!」
渾身の突き。
しかし、それは同時に体当たりでもあった。
しかも、刃は返して柄を叩き込む。
刃が消えたように見えた魔竜人はかすかに慌てた。
虚を突かれた魔物は小さく横なぎで翔一を打つ、剣をわき腹に受ける。
ザクっと、ぶ厚い毛皮を破る魔剣。
「ガアアア!」
しかし、翔一は剣の柄を竜の胸に突立てる。
捨て身の突撃だった。
バリ!
砕け散る柄。
めりめりとオーラの短剣のように剣の茎が先ほどの傷口に突き刺さる。
「グオ!」
燃え上がる剣を胸に挿したまま、一歩下がる魔竜人。
不安定な剣は抜け落ちるが、そのまま抱き着き、大きく開いた胸の裂傷に右手の指を突き入れた。
爪が伸び、筋肉とあばらを突き破って指が体内に入る。
わき腹に食い込む魔剣、しかし、苦痛も感じないほど闘争に我を忘れていた。
呪力を注ぎ込んで、右手の爪を伸ばす。
「ガアアアアアアアアア!」
それでもは魔竜人は翔一の目を突き破ろうと剣を捨てて爪を叩き込んでくる。切り裂かれる顔面。
頭を振って、妨害する。
咄嗟に、左手でロザリオを掴んで竜の右目に叩き込んだ。
バシュ!
光が爆発し、魔竜人はふらふらと力を失う。
ロザリオが目をつぶして突き刺さっている。
「ガハ、グアア……」
しかし、まだ死んではいない。
死ぬどころか、ロザリオの破邪の力を克服しそうな気配だった。魔力で金属の十字架を押し返す魔竜人。
抜け落ちるロザリオ。
翔一は渾身の力で爪で傷口を広げ、手を深々と突き入れた。
脈打つ心臓をぎゅっとつかむ。
「ガアアアアアアアアアアアアア!」
激しく脈動する心臓。
掴んだ心臓をめりめりと引き抜いた。
「ギャーアアアアアアアアアア!」
噴水のように赤黒い血を浴びる。
魔竜人は大熊の胴体に全力で爪を突き入れたが、それが最後の抵抗だった。
血管が全て千切れると、力を失う。
ズルっと、竜の右手が翔一の体から抜ける。
怪物はひざまずく姿勢になって、動かなくなった。
「ワシを殺すのか」
思念が伝わる。
「……やりたいわけじゃなかったんだよ。君が心を入れ替えてくれたら……」
「愚か者め……ワシが再び蘇るまで、暫し、その心臓を託そう。……勇者よ」
「……」
翔一の手にはどくどくと脈打つ黒い心臓がある。
黒い血液が床に広がる中、白銀のロザリオが輝きを放っていた。
2021/8/14~2022/8/6 微修正




